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競馬の記憶 第37回 トウショウボーイ(後編)

2006-07-10 22:37:53 | 競馬(思い出)
続きです。・・・(→)前編、  (→)中編

有馬記念快勝後、多少馬体に痛みが発生し、5ヶ月ほど、休養しました。

復帰戦は、宝塚記念です。

ライバル、テンポイントは、有馬記念後、休むことなく、京都記念、鳴尾記念と連勝し、その勢いのまま、春の天皇賞を制覇!悲願のタイトルを獲得して、再びトウショウボーイとの対戦に意欲を燃やしていました。

しかし、トウショウボーイは、強かった。
テンポイントの追撃を3/4馬身振り切って、逃げ切り、テンポイント陣営に地団駄を踏ませました。

そして、当時は夏の中京の名レース、高松宮杯(当時2000M戦)に進み、不良馬場にもかかわらず、なんと62kgの斤量を背負い、2分03秒8というタイムで、快勝!
まさに日本最強馬の名を欲しいままにして行くのです。

ところが、
このあと、レースでの負担が響いたのか、脚部に不安が出て、4ヶ月の休養。

だが、それもものかは、秋の天皇賞前のひと叩きで出走した1600Mのオープン戦では、裸同然の定量の58kgを活かして、1分33秒6の、当時のレコードを更新、磐石の態勢で天皇賞へ臨みました。

が・・・、
結果はホクトボーイの7着と、はじめての惨敗。
同じテスコボーイ産駒に負けてしまいました。
やはり、長距離は苦手だったようです。

この年限りで引退を表明していたトウショウボーイの最後のレースは、
今も語り草になっている、テンポイントとの死闘を演じた有馬記念でした。

テンポイント陣営の執念は、凄まじいもので、小川調教師は、打倒トウショウボーイと公言し、勝つまでは夜も眠れない、と談話するほどでしたので、最後の対戦となる、この有馬記念は、ファンも二分した、まさに一騎討ちムードでした。

実は、このレースには、無敗の快速馬、あのマルゼンスキーも出走予定だったのですが、残念ながら、故障の為、そのまま引退してしまいました。

さて、その有馬記念。
レースの前も一騎討ちなら、本番のレース自体も、まさに一騎討ちでした。
テンポイントと、トウショウボーイが、スタート直後から、お互いに先頭を競い合うように、入れ替わりを繰り返し、先頭で直線に入ったテンポイントが、そのままの差を保ったまま、ゴールしたのです。

3着には、グリーングラスが入りました。

引退後のトウショウボーイは、受胎も良く、そこそこ走る子馬を出していたので、
牧場仲間の間では、「お助けボーイ」と呼ばれていたそうです。
代表産駒に、3冠馬ミスターシービーや、ダイイチルビーを輩出し、現役時代にもまして、競馬界に貢献していたのです。

おわり。
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