散歩の時に見つけた

東京都内を散策しますが、こんな所にこんな物がと再発見します。写真等を添えて記録します。

色鮮やかに初夏

2008-04-20 07:36:39 | Weblog
 

  

 

 春から夏へと季節は正直です。近所の風景は紅、白、黄色と移り変わります。春

の嵐は台風のように、突風と激しい雨を降らせましたが、自然は確実に夏に向かっ

ていますね。  

 おそ咲きの枝垂れざくら、ハナミズキ、つつじ、山吹です。

水天宮境内の末社と絵馬殿

2008-04-19 07:59:59 | Weblog
 

 

 水天宮の「水」にちなみ、火と風の神さま火風神社、鎮火の神さま秋葉神社、雨

の神さま高尾神社があります。絵馬殿には古い写真、奉納された額、絵馬などが掲

げられています。時代を超えて人々の信仰心が伝わってきます。 

 

 また「麻の産着」などを販売する店があります。麻はすくすくと真っすぐに伸び

ることから、赤ちゃんの成長を願う意味をこめています。また、麻の香りは虫除け

になるという一面をもっているといわれます。  

  エレベーター入り口

 水天宮の境内は2階にありますので(1階は駐車場)、妊婦の参拝にやさしくと、

通りから直接エレベーターで2階にあがれるようになっています。

子宝いぬ 安産子育河童(水天宮)

2008-04-18 07:45:18 | Weblog
 



 犬はお産が軽いといわれますので、安産と結びつけているのだと思います。水天

宮の本殿前には、「子宝いぬ」の彫刻があります。愛らしい子犬とこれを見つめる

母犬の情愛が伝わるようです。彫刻としても傑作です。周囲を取り巻く十二支のう

ち、自分の干支を撫でるとご利益があると伝えられています。 

 愛らしい河童の像 水にゆかりの深い水天宮では、河童もシンボルです。

足の下と胸と肩に赤ちゃんがしがみついていますね。 



 紫灘神社境内には御本殿以外にもいくつかの神社がありますが、その一つに

幕末の勤皇の志士・真木和泉守を祀った社があります。真木家の始祖は

安徳天皇のそばに仕えた按察使局でした。紫灘とは和泉守の号のことを

指しています。

 


安産子授け 水天宮(日本橋蛎殻町)

2008-04-17 07:33:12 | Weblog
 

  
 
 福岡県久留米市の水天宮を総本社として日本全国にある神社の一つです。祭神は

壇ノ浦で海に身を投げた安徳天皇とその一族ですが、安徳天皇に仕えていた按察使

局(あぜつちのつぼね)が、九州筑後川のほとりに祠を建てて、その霊を慰めたのが

水天宮の始まりです。  

 その後、有馬忠頼公により豪壮な社殿が造られました。後に第九代有馬頼徳公が

分霊して江戸屋敷に水天宮を祀り、これが東京水天宮の始まりです。江戸っ子たち

の信仰が高まり、塀越しに賽銭を投げ込むなどしたため、五の日に限り屋敷が開放

されて参拝が許されました。人々は「情け深い」ことを感謝する際に、有馬家と水

天宮をしゃれて「情けありまの水天宮」といったそうです。 

 最近は出生率の低下が言われますが、安産・子授けの水天宮に参詣する人々は後

を絶ちません。狛犬は親子連れとその連れ合いが門前で頑張っています。明治五年

に現在地に祀られたということです。

人形町の人形焼(中央区日本橋)

2008-04-16 07:46:20 | Weblog
 

 

 人形町といえば甘酒横丁、そして明治座です。町名の由来は、江戸時代のはじめ

に市村座、中村座が繁栄して、操り人形芝居や浄瑠璃芝居小屋がありました。付近

は多くの人形師が住み、人形を作ったりその販売店が並んでいたため、いつしか人

形町といわれ、庶民の町が花開いたとあります。  

 

 人形焼き饅頭、茶舗、和菓子、漬物などの老舗の多い街としても有名です。近く

に安産・子授けの水天宮があって、マチニティ用品の店もあります。歴史の古い下

町ですが、落ち着いた風情が嬉しい町です。

東京タワー50年(2)

2008-04-15 07:35:58 | Weblog
 

 

 333メートルの塔を支える「タワーの脚」は、がっしりとたくましいものです

ね。丁寧なメンテナンスなど、保守点検で50年頑張ってきました。 この日も社

会科の勉強にきている子どもたちがいました。大展望台から眺める下界の様子は、

この子たちにとって永く記憶に残ることでしょう。  

 

 

 ここの人気もの「蝋人形館」、有名人のそっくりさんが来塔者を歓迎していま

す。お土産販売店は、修学旅行など団体さんや休日の家族連れに期待しているよう

です。ゴールデンウイークはもうすぐですね。

東京タワー50年(港区芝公園)

2008-04-14 07:30:05 | Weblog
 

 

 今年は東京タワーが出来て50年。西の方に出張しての帰途、赤いタワーが見え

て来ると、帰ってきたな と実感したものです。今も夜間照明でキレイに浮き上が

っていますが、このタワーが朱色だからだと思います。これが青でも黄色でもダメ

なんですね。朱色でこそ目が覚めるような美しさを感じます。  

 何十年振りかで大展望台に上がりましたが、神社がありました。祭神は天照皇大

神で、由来には「東京タワーを経営する日本電波塔株式会社の創立20周年に当た

り、その記念として神殿を造営し、皇大神宮の神璽を奉鎮す。日々の来塔者の安全

をも祈念する。昭和52年7月11日」とあります。  

 

 遠望すると、50年前には想像も出来なかった風景です。遥かに見えるレインボ

ーブリッジはもちろんありませんでした。

延命院のシイ(西日暮里3丁目)

2008-04-13 07:58:04 | Weblog
 

 

 このシイの樹は天保7年(1836)開板の「江戸名所図会」巻五の「日暮里惣

図」に、現在地と思われる位置にこの樹の全容が描かれていて、当時から地域の

人々に親しまれた老樹であることが伺えます。  

 かつては幹周り5.5メートルの巨樹だったが、平成14年5月に幹内部の腐朽

が原因で、南側の大枝が崩落し、安全のため現在の樹形に保っています。この樹は

東京都が昭和五年に天然記念物に指定しています。(東京都教育委員会)

安全横丁(西日暮里3丁目)

2008-04-12 07:44:15 | Weblog
 

 ここは一昨年にも通った記憶がありますが、「安全横丁」の看板が新しくなって

いるように感じました。保育園のこどもたちと保母さんが仲良くお散歩です。何処

まで歩くのかな。  

 見ていると、歩き出して間のない子がいるようでした。頑張りますね。看板のよ

うに安全に、ゆっくり散歩してください。そして夜間も安全でありますように願っ

ています。

夕やけだんだん(西日暮里3丁目)

2008-04-11 07:50:56 | Weblog
 

 

 JR日暮里駅北口から御殿坂を上がって西に歩くと、谷中銀座に下りる階段があ

ります。これが「夕やけだんだん」と呼ばれ、最近有名になったかして、丸太ふう

の表札が出来ています。立派なコンクリート造りです。 

 何時の頃から「夕やけだんだん」になったか定かではありませんが、昭和39年

(1964)頃に、道灌山下にあった知人の会社をこの階段を通って訪ねたことを

思い出します。晴れた日はキレイな夕焼けでしょうね。