紀伊国屋文左衛門(紀文)のお墓と碑が、江東区三好1丁目6-13の成等院に
あります。お墓は正面の碑の左奥にあります。
紀伊国屋文左衛門は、紀州出身で若いときに江戸に出て材木商を営み、幕府と関
わり材木豪商となりました。後年は、門前仲町一の鳥居付近に住んでいましたが、
享保19年(1734)4月に66歳で没したといわれ、成等院に葬られました。
紀文の墓は、この碑の左側奥にあります。正面の大きな碑は昭和38年に建て
られたものです。
人物伝には不明な点が多く、半ば伝説上の人物といわれますが20代の頃、紀州
みかんや塩鮭で富を築いた話は有名です。晩年には蕉門十哲の筆頭といわれている
宝井其角らの文人とも交友し、「千山」の俳号を名乗ったといわれています。(参
考・江東区みどころ案内など)