★★★ 芦坊の書きたい放題 ★★★

   
           毎週金曜日更新

第399回 脱走兵の運命ードイツの場合

2020-12-04 | エッセイ

 店頭で、そのタイトルを目にした時、『ん?」とハテナマークが頭に浮かびました。「ヒトラーの脱走兵」(對馬達雄 中公新書)というのがそのタイトルです。

 どの国の軍隊でも、いざ戦争となれば、大なり小なり、脱走兵はつきものです。ましてヒトラーの「軍律厳しき」軍隊となれば、相当の脱走兵が出たであろうと想像されます。でも、一冊の本にまとまるからには、何かがあるんだろうな、と手に取り、読んでみて分かったことがあります。

 極めて多数の脱走兵が出たのは事実ですが、逮捕された脱走兵に対する処断の苛烈さが並外れていた、というのが第一です。そして、戦争を生き延びた数少ない脱走兵の名誉が回復したのは、戦後60年以上も経ってから、というのももう一つの驚きでした。本書に依りながら、お伝えします。

 「前線では人々は死ぬ「かも」しれない。だが逃亡兵は死な「ねば」ならない」というのが、第2次世界大戦当時、ドイツ全軍兵士にいきわたっていた規範です。
 これは、ヒトラーの「わが闘争」に記された言葉で、自身も従軍した第一次世界大戦時における脱走兵(逃亡兵)を裁いた軍法会議が手ぬるかったことへの強い思いが書かせたようです。
 そんなヒトラーの意向を受け、ナチスドイツは軍法に「国防力破壊」という罪まで規定し、前線銃後の別なく、戦争遂行に不利益な言動をとった者、とりわけ脱走兵には、原則死刑という重刑を課しました。

 それでも、脱走兵は出ます。ドイツ国防軍の場合、1939年9月の開戦から1945年5月の終戦までの総数は30万人。捕まった13万人のうち、死刑判決3万5000人(処刑数2万2000~2万4000人)、減刑された者も含めて収容所、刑務所に送られたのは10万人以上で、生き延びたのは、わずか4000人です。
 一方、アメリカ軍の脱走兵は2万1000人、死刑判決162人、処刑は1人だといいますから、数の多さもさることながら、脱走兵に対するドイツの判決の苛酷ぶりが際立ちます。

 状況によっては、市民も巻き込む凄惨な戦闘への恐怖心、臆病心だけでなく、ナチ思想への抵抗、反逆など、脱走兵ひとりひとりには、個別の事情と、決意があったことでしょう。厳しく処断するだけでは、脱走の抑止力にはならなかったというのが、よく分かります。

 さて、生き延びた脱走兵と、彼らを断罪した軍司法関係者の戦後です。軍司法官はこぞって復職し、昇進を重ね、安逸な年金生活に入りました。当然のことながら、軍法会議の判決を擁護しました。

 一方で、脱走兵という前歴の生存者たちはまっとうな職につけず、生活の困窮は遺族にも及びました。反ナチスの信念からであれ、ただの恐怖心からであれ、兵士としての義務を放棄した卑怯者とひとまとめに決めつける市民感情はなかなか払拭されません。加えて、ナチス的なものとはきっぱり訣別し、過去を清算したはずのドイツ政府にとって、東西冷戦下で再軍備を進めるうえで、脱走兵というのは忌まわしい存在という一面がありました。

 そんな流れが変わったのは、1980年代の後半からです。ナチス軍司法が見直され、その実態が明らかにされるようになりました。そんな空気の中で、脱走兵の復権を主導した人物が、自身も反ナチ脱走兵であったルートヴィッヒ・バウマンなる人物で、気骨に溢れた面構えのこちらの方です(同書から)

 1941年2月に18歳で応召。占領下のフランスに配属されますが、すぐに友人と脱走をはかるも失敗。死刑判決。恩赦減刑されたものの対ソ戦に投入されて負傷、捕虜となります。その後、郷里に戻ったものの、軍刑務所を転々とする苛酷な日々が続き、戦後の結婚生活も順調とは言えませんでした。

 そんな彼が生きる意味に目覚め、平和活動に入ったのは65歳の時。多くの人がリタイヤ生活に入る年齢です。さらに、1990年10月、70歳を前にして「ナチス軍司法犠牲者全国協会」を設立し、脱走兵の復権へと本格的に取り組み始めました。とかく過去のことは水に流し勝ちな日本人とはまったく違う行動力、自立心です。

 学者の協力を得る一方で、左右の政治勢力に翻弄されながらの活動が実を結んだのは、1998年8月の「ナチス不当判決破棄法」の公布でした。
 法案審議の公聴会でのバウマンの発言です。
 「復権を求めるのは、兵士個々人の事情ではなく、なぜヒトラーの戦争がそうした事態をもたらしたかが問われているためであり、脱走、兵役拒否、国防力破壊により軍法会議の下した判決全体を不当であったと、連邦議会が「象徴的に宣言」することで、我々はこれまでの阻害された境遇から解放され、「遅ればせながら人間的尊厳」を得られる。」(同書から)

 仕上げは、2009年9年9月の連邦議会での満場一致による名誉回復決議です。戦後64年が経っていました。その後も、バウマンは、犠牲者たちの追悼碑の建立、青少年への自己の体験と平和を語る活動を続け、2018年に96歳でで亡くなっています。ヒトラー軍隊最後の脱走兵として、実に見事な人生です。のうのうと日々を送っている私自身が、少し恥ずかしくなりました。

 いかがでしたか?それでは次回をお楽しみに。

この記事についてブログを書く
« 第398回 映画で英語 英語弁講... | トップ | 第400回 通過点を越えて »
最新の画像もっと見る