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第320回 アラブ化する日本人

2019-05-24 | エッセイ

 人とのコミュニケーションで、相手との物理的な「距離」って、あまり意識しませんけど、結構大事なようです。
 酒場のカウンターで親しい人同士なら、肩と肩が触れ合うくらい近くても大丈夫でしょうが、一方、関西人の場合は、総じて「必要以上に」近づきたがる(ついでに、さわりたがる)傾向があって、非関西人からは、時に嫌われたり、警戒されたりもします。

 「かくれた次元」(エドワード・ホール 日高敏隆・佐藤信行訳 みすず書房)は、人間を含めた動物の「安心」と「敵対あるいは闘争」感情を幅広く分析した本で、とりわけ興味深いのが、「距離」の問題です。

 「2000年以上接触しているにもかかわらず、西欧人とアラブ人はまだ理解し合っていない」という書き出しで始まる章があります。
 二人の西欧人が初めて会って話をする時の「安心友好距離」は、テーブルを挟んで向かい合うくらいといいますから、2メートルくらいでしょうか。日本人でも、そんなものでしょう。

 ところが、アラブ人の場合は、それが、50センチくらいだというのです。互いに相手の目の真ん中を見つめ合い、唾(つば)が両者の顔にかかるほどの距離で、言葉のやり取りをします。あくまで「初対面」でこれですからね。
 こんな美女ならいいですけど,


 こんな”濃い~”人だったらどうします?


 日本人に限らず、ヒク人が多いと思うんですが、なんでそんなに近い距離でコミを図るかと言えば、相手の息を嗅ぎ合う必要があるから、というのが著者の説明です。

 アラブ人は話している時、絶えず相手に息を吹きかけます。これには、習慣とか作法以上の意味があるというのです。いいニオイは、相手に快感を与え、お互いの距離感を縮める手段だと彼らは信じています。ですから、アラブ人は、嗅覚を重視し、体臭を消そうとせず、いいニオイを発散して、良好な人間関係を維持することに努めるわけです。

 一方で、他人のニオイが気に入らない時は、はっきりそう言うのもアラブ人。
「朝、出かけようとする男に、伯父がこう言うこともある。「ハビブよ。お前は胃酸過多で、お前の息ははなはだ香しいとは言えぬ。今日はあまり人の近くで話をせぬがよいぞ。」(同書から)
 2000年の壁は厚いですねぇ。

 さて、アラブ人の個人的空間意識というか、位置取りにも独特なものがあります。著者自身のこんな体験が語られています。

 ワシントンのホテルのロビーで友人を待っていた著者。友人が見つけやすいように、そして、ひとりでいたかったので、通行の流れの外に離して置いてあった椅子に腰を降ろしていました。
 すると、ひとりの男が近づいて来て、彼の椅子のすぐ側、息づかいまで聞こえるくらいの場所に立ったというのです。
 大混雑してるのなら分かるけれど、こんなに空(す)いているロビーで、こんな近くに立つとは、と不審・不快の念にとらわれる筆者ですが、ほどなく謎が解けました。

 その男は、アラブ人で、同胞人がロビーに降りてくるのを待っていたのです。そして、エレベーターから出てくる彼らをいち早く見つけられる絶好のポジションが、たまたま著者の座った場所だったというわけです。
 周囲の状況、込み具合などで、他人との取るべき距離、立ち位置などをごく自然に、合理的に調整するのが、西欧人に限らず、日本人でも普通のマナーですが、アラブ人は違うというのがよく分かります。

 他人は関係ないんですね。自分がどうしてもそこにいなければならない必要性、欲求があれば、他人を押したり、突いたりして自分のポジション(絶対的位置)を確保するのは、我々が思うほどあつかましくて無礼な行為とは見なされていないというのです。

 ですから、アラブ圏の映画館で、最後列の席は大変です。「そこに座りたい」観客からぐいぐい押されたり、小突かれたりしますから。まあ、座ってる方も覚悟はしているので、そうそうケンカにはならないみたいですが、我々の理解と想像を超えます。これじゃ、あと2000年経っても、やっぱり「理解し合っていない」状態が続きそうです。

 それで思い出すのですが、混んでる電車なんかで、夜逃げでもするかの如くデカいリュックを背負ったり、スマホを操作するスペース確保のためとかで、必要以上にぐいぐい押してきたりするヤツ(特に若者)がいます。そうか、日本人もアラブ化してきたのだ、と思いつつ、怒り、不快感がますます募ります。

 いかがでしたか?次回をお楽しみに。

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