縦横高さに時間の流れをプラスした4次元の先に
「感じる」
という5次元目が存在していることを
或る人との会話で今日ハッキリ認識することになった
自分にとって「感じている時間」というものを再考してみるに
縦横高さは全体像としてボンヤリ感じていれば済むことになり
時間の流れは在って無いに等しいものになる
寿命を考え生き急ぐことも無くなる
重力に逆らう労力からも解放される
ただ一番に素敵だと思うことは
その場所では泣いても笑っても怒っても憂いても
誰も何も文句を言う人は居ない、ということだ
観念の中で何年分かの体験をし
瞑想状態から解かれれば
大した時間も過ぎてないこともあるし
その逆に
ほんの短い間だと思って瞑想から解かれたら
何時間も過ぎていたということもあるだろう
感覚を研ぎすませて行くと
こういう場所で
痛んだ自分を気の済むまで解放させ休息を取ることが出来る
そしてそこにやってくる人とは
いくらでも会話も出来る
会話と言う表現は方便で
本当は「繋がっている感じ」を得られる
人間が生き残るために働かせている本能がある以上
そういうものが縺れ合いながらこの世界が出来ている以上
現実の世界での摩擦や理不尽さは無くならないだろう
この5次元目の場所でしか得られないものがある
この場所は
生きながら体験出来る天国
とも言うことが出来るかもしれない