Rosa Guitarra

ギタリスト榊原長紀のブログです

聴こえている事

2017-10-05 | ギターの栄養


今朝の徹夜明けの朝焼け





「キミと僕」から繋がって
ジブリ、ディズニーと計3枚の
ギターヒーリングアルバムを作る機会に恵まれた自分は
今次なるステージに移行しようとしているように思う




僕には子供の頃からずっと聴こえている「或る事」がある

それは潜在意識下、無意識下での痛みとも言える


それを言語化しようと試みた時期もあるが
黙って語らず
音楽の中に織り込む方が
自分にとっても多分、周りにとっても良い事のように思うようになった



この「聴こえてる事」は僕の意識外で道標となっていて
僕の音楽人生は見事なまでにそれに誘導されている

それを若い頃は不思議な事のように感じて来たが
今は必然だと感じられている

必然は縁を結んでゆく


僕がずっと聴こえて来た「事」と「同じ事」を聴いている人と出会い支えられ
「キミと僕」を作り
それが繋ぎとなってヒーリングアルバムの製作の場が与えられた

そのプロデューサーさんとの対話の中で
キラッと強い光を放つかのような
共鳴するキーワードがよく出て来ることで
僕とは全く違う人生を歩いて来た彼が
僕と同じ「事」を聴いて来たことが感じられる


誰もが無意識裡に大なり小なり痛みを背負っていて
多分誰もがその「事」を形に表したいと思っている

その表し方は芸術であったり愛であったり恋であったり
依存であったり暴力で表される場合さえもあるだろう


形にする事は神様ででもないと不可能だが
それぞれがトライするその行程の中で
聴いている者同士が出会う事になり
或る期間、共同作業することになるのだと思う




僕は多分
娯楽としての音楽にはあまり興味が無い
だから娯楽傾向が強い音楽のフィールドでは
縁が増えなかった

もう少しメディカルな領域が肌に合っている

とはいっても
プロの奏者という演奏に対するシビアな枠からはみ出したくないので
音楽療法士ではない

というか
音楽自体には誰が扱っても元々治癒力があるから
極論、音楽療法士というカテゴリー分けも
不必要かもしれないと思っている



そんな自分を
敢えて言葉で説明するとしたら
奏者と療法士の狭間を歩いている
というところだろうか


そして僕に力をくれる人との縁というのは
職業的に全くバラバラだが
1つだけ一貫している共有項がある


それは家族との関係性の歪みである


これはシャイな気質の日本人は
外に出さない傾向が多いだろうが
人が神でない以上親にも子にも兄弟、親類縁者にも
不完全さが在るので
ほとんどの人の人生にそれ(歪み)は付きまとうだろう


そして無意識のうちに溜め込んで
理由の判らない壁に立ち塞がれ
人生に息苦しさや空虚感を感じることになる




僕は「キミと僕」からジブリ、ディズニーと
ヒーリングアルバムを作る毎に
1枚1枚、表皮を剥いでゆくように
「聴こえていた事」に手を伸ばして行ってる感がある


そして同じ事を聴いて来た人となら
自然に生じる共鳴の中
僕の次なる展開は如何なるものになるのか、と
この1ヶ月ほど考えていたのだが
先日のマスタリング日にDellaのプロデューサーさんより
次なる展開と思えるお話を頂いた


Dellaさんが提携している療法士のアドバイス、データに則って
メディカル面から切り込むギターアルバムのお話だった

それはもしかしたら遂に
僕がずっと求めていた領域の入口に立てる機会を
与えられることになるかもしれない



唐突ではあるが
奥田民生のイージューライダーの歌詞で
好きな部分がある

♪大袈裟に言うのなら
そういうことなんだろう
誇らし気に言うのなら
そういうことなんだろう♪
というところ


ゲージューライダーが大袈裟に
そして誇らし気に言わしてもらえるなら

遂に目の前に神の姿を仰ぎながら
その膝元に跪いて
己の全てを解放する努力をしながら
奏でる時がやって来る


変化球を使いたくない

肩を壊しても構わないので直球勝負
ということになるだろう




今はただただ
その手前の充電期間...
























コメント
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