さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

谷崎由依「天蓋歩行」(「すばる」5月号)

2016年04月23日 | 現代小説
 ジュリアン・グラックの小説を、日本語のネイティブの人が書いた文章で読んでみたいと思ったことが何度かある。
その願いが、谷崎由依のこの小説でかなえられたと言ったら、ほめすぎだろうか。

 ひのきの花粉のせいで目が霞むために、時々名詞に添えられているアルファベットのルビが見えないという難点はあったが、通勤の一時を、周囲に立っているひとの手元にちらちらしているスマホの画面の無音の喧騒とは遠く離れたテキストにひたる喜びでみたしてくれた。もっともこの作者の手にかかると、そのスマホの画面も次のようなものになって、木の精のような語り手の世界観に統合されていくのであるけれど。引いてみる。


 石油資本のショッピングモールにはこの世のあらゆる富が集まる。私たちはその富を眺めて楽しみ、リンギッド札一枚であがなえるひと皿のスープで胃を満たす。目をあげれば電波と言う名の胞子は、巨大樹の生まれ変わりであるかのような、彼方に聳える塔へとまっすぐ集められてゆく。
あるいは端末というものも。紙を食い尽くし、紙の書物をなきものにしていく電子は、森の分解者だった菌類そのものだ。
――森は、べつのかたちでここにある。
言うと女は――ベールをかぶった町娘、森とおなじくらいショッピングモールをこよなく愛する女は、首を傾げ、
――そう。
と言って、それから笑った。
ri・ririri・riri・ri・riri・riririr
林床に隠れ棲む蟋蟀が、竪琴の声を響かせる。と思うと女の手元で端末がひかっている。彼女は指を走らせ確認すると、ふん、とちいさく鼻を鳴らした。この都会に溢れる電子音。それもまた森の転生した音色なのだと、説こうとして私は諦める。女は端末を操作してしばらく何か打ち込んでいたが、やがて溜め息をついて鞄に仕舞う。私にはわからないやり取りだ。彼女が勘定を支払って、私たちは店を出る。                 谷崎由依「天蓋歩行」(「すばる」5月号)


 リンギッド札というのは、マレーシアの通貨だから、この小説の語り手は、かの地で切り倒された熱帯雨林の巨樹であるらしいことが、わかる。

 この小説の魅力は、滅んでしまったマレーシアの巨樹に仮託した生命の共生の記憶への遡行を、エクリチュールの網の目によって明滅させながら、読み手の耳に樹液の響きを伝えるよろこびが、感じられることである。





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