さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

「エビデンス」のある文章を優先せよ?

2019年02月17日 | 大学入試改革
 いつだったか、車を運転しながらラジオを聞いていたら、アメリカの金融機関で出世して、もう少しでトップに上りつめるというところまで行った人が、それを諦めて日本に帰って来たという体験を話しておられた。自分には「文化」がなかったから、それでトップになれなかった。あちらでは、夜の或る時間以後は、文化のための時間なのだ。自分にはそういう文化的な素養がなかった。お金を稼ぐ才能はあったけれども、文化的なものについての見識を養うという事をして来なかった。そのことをとても後悔している、というような談話だった。若い人たちには、自分と同じ轍を踏んでほしくない、経営の手腕だけすぐれていたってだめなんだ、というようなことを話しておられた。私はラジオを聞きながら率直でえらい人もいるものだと思って感心したのである。

 さて、今度の文科省の高大連携に伴う学習指導要領改訂で、一年生の「現代の国語」2単位から文学教材を排除し、二、三年生の「論理国語」4単位のなかに、「文学」的な評論も、「芸術」についての評論もすべて載せてはならない、と教科書会社を集めた説明会で命令した文科省の視学官某氏は、こういう深刻な反省をもってアメリカから帰って来た日本人がいるということを、たぶんご存知ないのであろう。

文科省視学官某氏の言う「エビデンス」のある文章、というのが、統計やグラフ、契約書や新聞記事に占められるということが、すでに実施されているプレテストの実例(今年のセンター試験についてはまた別途に書く)から明らかになっている以上、新設される「論理国語」の内容は、日本の若者を文化的かつ知的な文章から意図的に遠ざけた無味乾燥なものとなることが予想される。そもそも、それで若者の知的好奇心を満たすことができるのかどうか。今度の高校国語の教科再編は、いまのうちに軌道修正してもらわないと、たいへんな事になる。


説明会で「現代の国語」や「論理国語」に採用してはならない文章の実例として視学官が実名をあげたものは、以下の通り。

  「文学」は不可
  山崎正和「水の東西」不可
  夏目漱石「私の個人主義」不可
  芸術についての評論も不可  

最近になって、日本文芸家協会が声明を出したが、私にはひどく微温的なものに思われた。


※ 18日に文章を手直しした。

※ 25日追記。 知人が私の文章よりよほどわかりやすく書かれた論評を紹介してくれたので、以下にご案内申し上げる。『 文藝春秋オピニオン 2019年の論点100 』のページである。

https://news.biglobe.ne.jp/trend/1227/bso_181227_7050966154.html



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