さいかち亭雑記

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「群像」2016年11月号 この、被虐的逆ユートピア

2016年10月16日 | 現代小説
 「群像」の2016年11月号を読んでいる。岡本学の小説「再起動」は、オウム事件のことを思い出させた。これが町田康の「ホサナ」と並んでいるのは、編集の妙、と言うか、できすぎなぐらいに絶妙な取合せである。ともに宗教的な思念が、逆ユートピアを語ることとリンクしてしまう日本の特殊な精神状況のようなものを言い当てているからだ。

 それはたぶん、派遣労働者の追い込まれている苦境を源泉として、逸脱する想像力が、自己目的的に運動しようとすると、目標とする着地点がないために、必然的に宗教的な志向を参照項として呼び込んでしまうことを意味しており、それ自体は別にさして珍しいことではないが、超越的なものの在処をめぐって現在世界的に展開されている暗闘のようなものに、日本の小説家の想像力が無縁ではないということを同時に意味してもいるのではないかと思う。

 私自身は、こんなふうに小説を読んだコメントを書いているよりも、今はТPP条約やめろ、というデモでもした方がいいのではないかと考えているのだが、とりあえず、口先だけでも犬の遠吠えはしておいて、町田康の小説では、犬となった視点人物は、結局意識朦朧となったところで「私たちをお救いください」と言って倒れてしまうのだから、まったくもって犬の皮をかぶった駄目人間みたいなのが、いまの日本人なのであろうよ。と、激語。

して、何もしない。のではなく、誰かデモでもしてくださいよ。多国籍企業の奴隷になるのが嫌でなかったら。私は息子の世話をしなくてはならないのだ。くそぅ、と町田語調で…。

 田中 慎弥の「司令官の最期」という小説(『すばる』2016年7月号)について、何か書きたいと思ったままきっかけがなかったのだが、ひとつ言ってみると、要するに逆ユートピアの山登り選手権みたいになっているのが、最近の現代日本文学なのかな。優勝、金メダルは誰か。

 こうなったら岩井志麻子あたりに、瀬戸内寂聴さんの『女徳』みたいな大長編の逆ユートピア小説を書いてもらいたい。




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