さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

中野雨情の歌(「現代短歌新聞」平成28年8月号) 短歌採集帖( 3 )

2016年08月15日 | 現代短歌
 木村雅子の連載「潮音の歌人 53」のコラムである。本文を引く。

「中野雨情は、海外での農業を夢見、国策に添って渡米、カナダへ。その後太平洋戦争勃発のため、捕虜キャンプに強制収容された。戦中の日本人の苦難の体験を詠み残している。」

にはとりを鶏屋に追ひ込む姿勢にて銃口向けられ獄門くぐる

背一ぱいの日の丸のシャツ着せられて有頂天なりしが射殺の目印

  ※「鶏屋」に「とや」と振り仮名。「目印」に「めじるし」と振り仮名。

木村の記事には、「トロント短歌会を創設し、カナダに短歌を普及させた。」とある。作者は戦後カナダ国籍を取得するが、そのことをうたった

墳墓の地カナダと決めて宣誓紙に署名するわが手はふるへたり  歌文集『宣誓』(昭和四十四年刊)

という歌によって歌会始に入選し、これはカナダの国定教科書にもとられたという。

 今年のNHKスペシャルでは、満蒙開拓団の悲劇を取りあげていた。戦後アメリカは、戦時中の日本人収監について公式に賠償する必要を認めた。

ニワトリのように収容所に追い込まれた開拓農民の体験も、戦争中の記憶として語り継がれなければならないことの一つである。「背一ぱいの日の丸のシャツ着せられて有頂天なりしが射殺の目印」という歌は、ソ連のラーゲリ体験に匹敵するきびしさであると思う。

何があろうとも、民間人と軍人はちがう。そのために軍服というものがあった。その区別が無くなって以後の時代をわれわれは生きている。

今、われわれ二十一世紀の時代を生きている人間は、アイエスの登場という経験を思想化しなければならないところに追いやられている。それは、国際金融資本やイスラエルの都合という謀略史観からだけでは説明できない問題だと私は思う。歴史を語る者は、人類の業のようなものにも向き合わなければならない。

かつて動物学者のコンラート・ローレンツは、人間が動物として持っている攻撃性は、スポーツによって解消することができると、述べていた。この数日間、オリンピックの柔道試合の映像を私も見ていた。試合が終わったあと、選手に道着を着直させて、互いに一礼するまで待つ審判の姿に、日本文化が世界に広めた美学が現れていると私は感じた。



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