288
山里ののきのまつかぜ木枯にふきあらためてふゆは来にけり
五三六 山里の軒の松かぜ木(こ)がらしに吹(ふき)あらためてふゆは来にけり
□木がらし、木をふきからすなり。木枯の風とも云ふなり。「からし」と云ふ、「し」は風のことではなきなり。「し」は風の名なり。西吹風などに「し」は風の名なり。あらしの「し」も同じ。「し」は息のことなり。息と風とはひとつなり。しなが鳥は、おき長鳥なり。木枯、六、七百年前歌合の時、論ありたることなり。秋にも云へど冬を宗とするなり。
○「木がらし」は、木を吹き枯らすのである。木枯の風とも言うのである。「からし」と言う語は、「し」は風のことではないのだ。「し」は風の名である。「西吹風」などに「し」は風の名である。あらしの「し」も同じことだ。「し」は息のことだ。息と風とはひとつである。「しなが鳥」は、「おき長鳥」のことである。「木枯」は、六、七百年前の歌合の時に、議論のあったことである。秋にも言うけれど冬を本意とするのである。
289
夜もすがら木の葉をさそふ音たてゝゆめも残さぬ木枯のかぜ
五三七 よもすがら木葉をさそふ音(おと)たてゝ夢も残さぬこがらしの風 文政八年
□此れは「木枯の風」にてよみたるなり。本行に「木枯」の題もなき故こゝに入れたり。木の葉を残さず吹くのみならず、夢も残さずとなり。
「よもすがら」、夜もすがら夜をそのまゝと云ふことなり。さて御杖は、昼もすがら夜もすがらと云ふことにて、昼を言ひたることにかねると云ひたり。一寸聞えるやうなれども、夜もの「も」は昼に対するにてはなきなり。
○これは「木枯の風」(という題)で詠んだものである。本行に「木枯」の題もないのでここに入れた。木の葉を残さず吹くばかりではなく、夢も残さないというのである。
「よもすがら」は、夜も「すがら(ずっと)」、夜をそのままと言うことである。さて(富士谷)御杖は、昼もすがら、夜もすがらと言うことであって、昼を言ったことに兼ねると言った。ちょっとそれらしく聞えるようであるが、「夜も」の「も」は、昼に対するものではないのである。
290
今はとてしぐるゝ冬のはじめこそものの哀のをはりなりけれ
五三八 今はとてしぐるゝ冬のはじめこそものの哀のをはり也(なり)けれ 文化十五年
□しぐれそむる頃、哀はれのかぎりとなり。「をはり」と云ふは限りの事なり。されば「かぎり」と云べきなれども、初めと云ふに対しておもしろくなるなり。亥の子の時分、わびしき時節のどんぞこなり。
○しぐれ初めの頃は、哀れのかぎりであるというのだ。「をはり」と言うのは、限りの事である。だから「かぎり」と言うべきなのだけれども、「初め」と言うのに対しておもしろくなるのである。亥の子の時分は、わびしい時節のどんぞこである。
291
朝附日さしもさだめぬ大比えのきらゝの坂にしぐれふるなり(※誤記)
五三九 朝づく日さしもさだめぬ大比えのきらゝの坂にしぐれふる見ゆ 文化二年
□「きららの坂」、比えのつづきなり。
「さしもさだめず」、降かと思へば晴るゝか、さだめぬなり。
「見ゆ」と云ふは見えまじき時分に見ゆるを云ふなり。たとへば「遠き山べに雁のとぶ見ゆ」と云ふやうなる工合なり。
○「きららの坂」は、比叡の(山の)つづきである。
「さしもさだめず」は、降るかと思えば晴れるか(して)、(はっきりと)定めないのである。
「見ゆ」と言うのは見ることができないような時分に見える(こと)を言うのである。たとえば「遠き山べに雁のとぶ見ゆ」と言うような具合である。
※結句が刊本とちがっているが、講義では「見ゆ」のつもりで話しているので誤記だろう。
292
山里のふゆのにはこそさびしけれ木の葉みだれて時雨ふりつゝ
五四〇 山里の冬の庭こそ淋しけれ木葉(このは)みだれてしぐれ降(ふり)つゝ 文化十年
□此歌無心にして感深し。
○この歌は無心で「感」が深い。
※「感」という語については、「端的の感」ということで藤平春男が景樹を論じながら焦点化して取り上げた。これは『香川景樹と近代歌人』にも書いたが、景樹と空穂とのかかわりについては、現代歌人たちはずっと肯定的に言及して来なかったのである。その点、弟子の藤平春男や国文学関係の研究者たちの方がむしろ公正だった。今は直近の「短歌研究」千号記念号で馬場あき子が「調べ」の話をしていたり、「短歌研究」の連載評論で今井恵子が和文脈について書いていたりするなど、やっと風向きが変わって来そうな気配がある。
293
月さゆる落葉が上におく霜をかげのうづむとおもひけるかな
五四一 月さゆる落葉がうへにおく霜を影のうづむとおもひけるかな
□木の葉を月かげが埋んだかと思うた、と云ふことなり。
○木の葉を月かげ(月の光)が埋めたかと思った、ということである。
※景樹の真骨頂は、こういうところにある。
294
冬の夜の長きかぎりをあかつきの霜にこたふるかねの音かな
五四二 冬の夜の長きかぎりをあかつきの霜にこたふるかねの音かな 文化十三年
□此の通りの歌なり。幾度ねざめしても長きなり。霜には鐘は出合ものなり。もう明くるか明くるかと待つて居るに、しもに答へて追付あくると云ふやうなるを、云ふなり。
○この通りの歌である。幾度寝ざめしても(夜が)長いのである。霜には鐘は出合う(「いであふ」出くわす、めぐりあう)ものである。もう(夜が)明けるか明けるかと待って居ると、霜に答えて追付(おっつけ、やがて)(夜が)明けて来るというようなところを、言うのである。
295
呉竹のしげみが上に音たてゝちるやあられのかずぞすくなき
五四三 くれ竹のしげみがうへに音たてゝちるや霰の数ぞすくなき
□音と見るのとは大違いなり。それを詠むなり。岡崎の実景なり。
「散るや」、「や」は心なきなり。
○音(で聞くの)と見るのとでは大違いである。それを詠んだのだ。岡崎の実景である。
「散るや」の、「や」は(特に)意味はないのである。
296
山陰のちりなきにはに散りそめて数さへ見ゆるけさの初ゆき
五四四 山陰の塵なき庭にちり初(そめ)て数さへ見ゆる今朝の初雪
□いやかたまれる庭の面にふる初雪の云々、みつねの詠れたる気色なり。「数さへみゆる」、山里故に直(ただち)にきえぬさまをいふなり。
○「いやかたまれる庭の面に」降る初雪の云々と、躬恒のお詠みになった景色である。「数さへみゆる」は、山里のためすぐには雪が消えないさまを言ったのである。
※「古今集」凡河内躬恒の長歌「しもこほり-いやかたまれる-にはのおもに-むらむらみゆる-ふゆくさの-うへにふりしく-しらゆきの-つもりつもりて-(以下略)」一〇〇五。
297
大宮のうへにかゝれる衣笠のやましろたへにゆきふりにけり
五四五 大宮の上にかゝれる衣笠(きぬがさ)の山白妙(しろたへ)に雪ふりにけり 文化八年
□岡崎の梅月堂よりの真景なり。御所の所に打越して見ゆるなり。「かゝれる」は、笠に緑(縁の誤植)あり。衣笠は、貴人の笠なり。調は大宮がよきなり。
○岡崎の梅月堂よりの真景である。御所の所に打越して見えるのである。「かゝれる」は、笠に縁がある。「衣笠」は、貴人の笠である。調は「大宮」がよいのである。
298
けさみれば汀の氷うづもれてゆきの中ゆくしらかはのみづ
五四六 けさ見れば汀のこほりうづもれて雪の中ゆく白河(しらかは)の水
□粟田のしん町に居たる時なり。十二月十九日のことなり。常楽寺来れり。出でゝ知恩院のあたりを見たり。
○粟田のしん町に居た時の歌である。十二月十九日のことである。常楽寺が来た。(外に)出て知恩院のあたりを見た。
山里ののきのまつかぜ木枯にふきあらためてふゆは来にけり
五三六 山里の軒の松かぜ木(こ)がらしに吹(ふき)あらためてふゆは来にけり
□木がらし、木をふきからすなり。木枯の風とも云ふなり。「からし」と云ふ、「し」は風のことではなきなり。「し」は風の名なり。西吹風などに「し」は風の名なり。あらしの「し」も同じ。「し」は息のことなり。息と風とはひとつなり。しなが鳥は、おき長鳥なり。木枯、六、七百年前歌合の時、論ありたることなり。秋にも云へど冬を宗とするなり。
○「木がらし」は、木を吹き枯らすのである。木枯の風とも言うのである。「からし」と言う語は、「し」は風のことではないのだ。「し」は風の名である。「西吹風」などに「し」は風の名である。あらしの「し」も同じことだ。「し」は息のことだ。息と風とはひとつである。「しなが鳥」は、「おき長鳥」のことである。「木枯」は、六、七百年前の歌合の時に、議論のあったことである。秋にも言うけれど冬を本意とするのである。
289
夜もすがら木の葉をさそふ音たてゝゆめも残さぬ木枯のかぜ
五三七 よもすがら木葉をさそふ音(おと)たてゝ夢も残さぬこがらしの風 文政八年
□此れは「木枯の風」にてよみたるなり。本行に「木枯」の題もなき故こゝに入れたり。木の葉を残さず吹くのみならず、夢も残さずとなり。
「よもすがら」、夜もすがら夜をそのまゝと云ふことなり。さて御杖は、昼もすがら夜もすがらと云ふことにて、昼を言ひたることにかねると云ひたり。一寸聞えるやうなれども、夜もの「も」は昼に対するにてはなきなり。
○これは「木枯の風」(という題)で詠んだものである。本行に「木枯」の題もないのでここに入れた。木の葉を残さず吹くばかりではなく、夢も残さないというのである。
「よもすがら」は、夜も「すがら(ずっと)」、夜をそのままと言うことである。さて(富士谷)御杖は、昼もすがら、夜もすがらと言うことであって、昼を言ったことに兼ねると言った。ちょっとそれらしく聞えるようであるが、「夜も」の「も」は、昼に対するものではないのである。
290
今はとてしぐるゝ冬のはじめこそものの哀のをはりなりけれ
五三八 今はとてしぐるゝ冬のはじめこそものの哀のをはり也(なり)けれ 文化十五年
□しぐれそむる頃、哀はれのかぎりとなり。「をはり」と云ふは限りの事なり。されば「かぎり」と云べきなれども、初めと云ふに対しておもしろくなるなり。亥の子の時分、わびしき時節のどんぞこなり。
○しぐれ初めの頃は、哀れのかぎりであるというのだ。「をはり」と言うのは、限りの事である。だから「かぎり」と言うべきなのだけれども、「初め」と言うのに対しておもしろくなるのである。亥の子の時分は、わびしい時節のどんぞこである。
291
朝附日さしもさだめぬ大比えのきらゝの坂にしぐれふるなり(※誤記)
五三九 朝づく日さしもさだめぬ大比えのきらゝの坂にしぐれふる見ゆ 文化二年
□「きららの坂」、比えのつづきなり。
「さしもさだめず」、降かと思へば晴るゝか、さだめぬなり。
「見ゆ」と云ふは見えまじき時分に見ゆるを云ふなり。たとへば「遠き山べに雁のとぶ見ゆ」と云ふやうなる工合なり。
○「きららの坂」は、比叡の(山の)つづきである。
「さしもさだめず」は、降るかと思えば晴れるか(して)、(はっきりと)定めないのである。
「見ゆ」と言うのは見ることができないような時分に見える(こと)を言うのである。たとえば「遠き山べに雁のとぶ見ゆ」と言うような具合である。
※結句が刊本とちがっているが、講義では「見ゆ」のつもりで話しているので誤記だろう。
292
山里のふゆのにはこそさびしけれ木の葉みだれて時雨ふりつゝ
五四〇 山里の冬の庭こそ淋しけれ木葉(このは)みだれてしぐれ降(ふり)つゝ 文化十年
□此歌無心にして感深し。
○この歌は無心で「感」が深い。
※「感」という語については、「端的の感」ということで藤平春男が景樹を論じながら焦点化して取り上げた。これは『香川景樹と近代歌人』にも書いたが、景樹と空穂とのかかわりについては、現代歌人たちはずっと肯定的に言及して来なかったのである。その点、弟子の藤平春男や国文学関係の研究者たちの方がむしろ公正だった。今は直近の「短歌研究」千号記念号で馬場あき子が「調べ」の話をしていたり、「短歌研究」の連載評論で今井恵子が和文脈について書いていたりするなど、やっと風向きが変わって来そうな気配がある。
293
月さゆる落葉が上におく霜をかげのうづむとおもひけるかな
五四一 月さゆる落葉がうへにおく霜を影のうづむとおもひけるかな
□木の葉を月かげが埋んだかと思うた、と云ふことなり。
○木の葉を月かげ(月の光)が埋めたかと思った、ということである。
※景樹の真骨頂は、こういうところにある。
294
冬の夜の長きかぎりをあかつきの霜にこたふるかねの音かな
五四二 冬の夜の長きかぎりをあかつきの霜にこたふるかねの音かな 文化十三年
□此の通りの歌なり。幾度ねざめしても長きなり。霜には鐘は出合ものなり。もう明くるか明くるかと待つて居るに、しもに答へて追付あくると云ふやうなるを、云ふなり。
○この通りの歌である。幾度寝ざめしても(夜が)長いのである。霜には鐘は出合う(「いであふ」出くわす、めぐりあう)ものである。もう(夜が)明けるか明けるかと待って居ると、霜に答えて追付(おっつけ、やがて)(夜が)明けて来るというようなところを、言うのである。
295
呉竹のしげみが上に音たてゝちるやあられのかずぞすくなき
五四三 くれ竹のしげみがうへに音たてゝちるや霰の数ぞすくなき
□音と見るのとは大違いなり。それを詠むなり。岡崎の実景なり。
「散るや」、「や」は心なきなり。
○音(で聞くの)と見るのとでは大違いである。それを詠んだのだ。岡崎の実景である。
「散るや」の、「や」は(特に)意味はないのである。
296
山陰のちりなきにはに散りそめて数さへ見ゆるけさの初ゆき
五四四 山陰の塵なき庭にちり初(そめ)て数さへ見ゆる今朝の初雪
□いやかたまれる庭の面にふる初雪の云々、みつねの詠れたる気色なり。「数さへみゆる」、山里故に直(ただち)にきえぬさまをいふなり。
○「いやかたまれる庭の面に」降る初雪の云々と、躬恒のお詠みになった景色である。「数さへみゆる」は、山里のためすぐには雪が消えないさまを言ったのである。
※「古今集」凡河内躬恒の長歌「しもこほり-いやかたまれる-にはのおもに-むらむらみゆる-ふゆくさの-うへにふりしく-しらゆきの-つもりつもりて-(以下略)」一〇〇五。
297
大宮のうへにかゝれる衣笠のやましろたへにゆきふりにけり
五四五 大宮の上にかゝれる衣笠(きぬがさ)の山白妙(しろたへ)に雪ふりにけり 文化八年
□岡崎の梅月堂よりの真景なり。御所の所に打越して見ゆるなり。「かゝれる」は、笠に緑(縁の誤植)あり。衣笠は、貴人の笠なり。調は大宮がよきなり。
○岡崎の梅月堂よりの真景である。御所の所に打越して見えるのである。「かゝれる」は、笠に縁がある。「衣笠」は、貴人の笠である。調は「大宮」がよいのである。
298
けさみれば汀の氷うづもれてゆきの中ゆくしらかはのみづ
五四六 けさ見れば汀のこほりうづもれて雪の中ゆく白河(しらかは)の水
□粟田のしん町に居たる時なり。十二月十九日のことなり。常楽寺来れり。出でゝ知恩院のあたりを見たり。
○粟田のしん町に居た時の歌である。十二月十九日のことである。常楽寺が来た。(外に)出て知恩院のあたりを見た。
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