最初はSAH

2000.11にくも膜下出血(SAH)発症。無事後遺症もなく生還。今興味あること:脳のこと,教育のこと,テニスのこと

「海音寺潮五郎物語」掲載写真に誤りが

2022-02-28 11:48:07 | 海音寺潮五郎
先日このブログで紹介した、伊佐市教育委員会&大口図書館が出版した「海音寺潮五郎物語」
掲載されていた海音寺の写真に誤りがありました。
この冊子のP7に
「加治木中学校時代の末冨東作(海音寺潮五郎の本名)。たくさんの友だちに囲まれ、楽しい学校生活を送りました」
という、説明書きと共に右の写真が掲載されていました。

冊子が、届いて直ぐ姉が、
「加治木中学時代の写真って載っていたの、本当にお祖父ちゃんの写真かなあ?あなたあの写真見たことある?」
と訊いてきました。
確かに、私もこの写真は見たことがなかったし、私の知っている祖父とは違う気がして、
海音寺の息子である叔父たちに問い合わせました。

母の末弟の叔父が、加治木中学時代の写真を手に入れて、送ってくれましたが、
明らかに冊子の写真は、別人であることが分かりました。
左の写真(他2枚)、解像度は悪いのですが、
この写真の顔が、海音寺潮五郎(末冨東作)の若き日であることは、生前の祖父を知っている誰もが分かるでしょう。

伊佐市の教育員会も大口図書館もいい加減な監修をしたわけではないと思いますが、
どこでどう間違えたか、本人よりずっとイケメンの青年の写真になってしまっていました。

叔父が間違いを伊佐市教育委員会に伝えたそうですが、
姉と、このイケメン青年のままの方が、よかったかもと笑ってしまいました。

近年、教科書に載っていた足利尊氏 源頼朝などの肖像画が本人ではないのではないかといわれ、
教科書から消されたという話がありますが、
生前の海音寺を知る人がいなくなったら、
「海音寺潮五郎って、若いときはイケメンの青年だったのね」

なんてことになっていたかもしれない話でした
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

海音寺潮五郎物語

2022-02-20 14:35:43 | 海音寺潮五郎
昨年10月、鹿児島県伊佐市教育委員会&大口図書館が発行した「海音寺潮五郎物語」が手元に届きました。

「伊佐市出身の直木賞作家、海音寺潮五郎」を
“広く市民に知って貰おうと、わかりやすい物語にして一生を綴った”と大口図書館の広報誌『マイ広報誌2022.2.1』に書いてありますが、
子どもたちも読めるような平易な文章で、生まれてから、歴史小説家としてして活躍したその一生が、
色々なエピソードを交えて書かれています。

海音寺潮五郎の本名は末冨東作といいます。
兄の学齢期に就学通知が来ないので、役所に行って戸籍を調べて貰ったら、
まず、「末川」という姓が誤って「末冨」と書かれていたので、そのままにして、以後一家は「末冨」という姓になったというエピソード。
これは、私も祖父海音寺の生前から、
「父親が、末が川となって流れてしまうより、末が富んだ方がいいから、末冨のままにした」
と聴いていました。

そして、父親が、兄と本人の出生届を出していなかったことが分かり、届けを出しますが、
「この子は、出来がいいので早く学校に行かせよう」と、
東作の生年月日を3月生まれ(本当は11月生まれ)と届け、
真の学齢より早く入学させられてしまったので、小学校では、苦労したという話もたびたび聞いていました。
昔って、こんないい加減なことが日本でもあったのだと、呆れてしまいます。

その他、祖母と学生結婚をして、学校を退学になった話など、色々書かれています。

生誕120年記念、企画展「英雄たち」が、かごしま近代文学館において、開催されていることを書きましたが、
郷土の人々が、祖父海音寺潮五郎を大事にしてくれていることを嬉しく思い、
あの世で、ちょっと照れながら、嬉しそうな顔をしている祖父の様子が目に浮かびます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

海音寺潮五郎生誕120年企画展「英雄たち」

2022-02-13 14:14:23 | 海音寺潮五郎
新型コロナ肺炎も、オミクロン株に変異し、第6波が未だ猛威を振るっています。
少し収束が、見えてきたようではあるけれど、全国で子どもや高齢者がまだまだ多い状態で、
重症者、死者数も増えていて、安心できない状況が続いています。

そんな中ではありますが、かごしま近代文学館において、
「英雄たち」と題された歴史小説作家、海音寺潮五郎生誕120年企画展が開催されています。

海音寺潮五郎は、大学卒業後、故郷鹿児島、そして京都で国漢(国語と漢文)教師を勤め、
懸賞小説に応募して、入選して、作家の道に入った人です。

現在、日中間は深い関わりがありながら、友好な関係とは言いがたい。
古くから、日本は、文化や政治は、ほぼすべて中国の影響を受けている。
それなのに、私たちは、中国を知らなすぎる。

海音寺は、そんな教育のあり方を嘆いていました。

相手を知らなければ、つきあい方も分からない。
中国を舞台にした海音寺文学、読んでみたらどうでしょう。

作家 宮城谷 昌光 氏 の講演会もあるそうです。

演題 「中国歴史小説の世界ー海音寺潮五郎さんと私」
日時 2022年3月6日(日)14:00~15:30
場所 かごしま近代文学館 文学ホール
定員 100名(先着順、要申込)
参加費 文学館入館料300円または年間パスポート600円
(講師の宮城谷氏はオンライン出演)

東京から参加出来ないのが残念ですが、お近くの方、参加いただけたら、
きっと面白い話を、拝聴することが出来ると思います。     
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

海音寺潮五郎論 集成(古閑章著作集 第五巻)

2020-12-08 10:56:00 | 海音寺潮五郎
鹿児島純心女子大教授の古閑章先生から著作が送られてきました。

古閑章 著作集 第五巻
文芸評論1
「海音寺潮五郎論」集成 南方新社刊

古賀先生は、1956年生まれですから、私より7歳年下の方です。

以前から、海音寺潮五郎のファンであり、研究者であることは知っていました。
しかし、ここまで、丁寧に海音寺潮五郎の作品、人物を研究されているとは、知りませんでした。

巻末の解説に共立女子大文芸学部教授 はんざわかんいち氏、
そして、著者自身も書いていますが、
海音寺潮五郎は大衆文学作家であり、近代文学者が論ずる対象にはならないことが普通だそうです。

古閑氏も、もともと熊本の出身で、梶井基次郎の研究者だそうです。
それが、鹿児島で教鞭を執るようになり、
2000年「海音寺潮五郎生誕100年」記念行事で、
海音寺潮五郎作品、まずは、「二本の銀杏」に出会ってから、
すっかり虜になったと書かれています。
大学で教鞭を執るようになって、最近の大学事情の通り、研究時間もなかなかとれない中、
コツコツと研究を重ね、今、中仕切りとして、まとめ上げたものだそうです。

様々な作品を独自の角度から分析し、論じていますが、
どこにも、海音寺作品に対する愛情が溢れていて、本当に嬉しく思いました。

没後43年も経っている(1977.12.1没)のに、こんな読み方をしてくれる読者がいることは、
祖父海音寺潮五郎は、作家冥利に尽きるに違いありません。
あの世に知らせる手だてがあったらどんなに喜ぶかと、昔の笑顔が浮かびます。

そしてこの本が貴重であることは、
海音寺の代表作「二本の銀杏」「火の山」「風に鳴る樹」の、
さらに続く最後の部分になると思われる「一本の樫」が不完全でありながら、翻刻されていることです。
戦後まもなくまだ疎開先、郷里 鹿児島で書かれたものだそうです。

私も初めて読みましたが、
先の大戦の中で、人々が、日本の勝利を信じつつ(願いつつ)
真の戦況はいかなるかと、不安に思っていた様子が、人間模様を交えて語られていて、
途中までしか、見つかっていないので完結していませんが、
今の時代の人々にも読んで貰いたいと思いました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

海音寺潮五郎歌碑~昼神温泉~

2020-12-03 13:49:12 | 海音寺潮五郎
昇仙峡に一緒に行った友人が、
「私、今度、昼神温泉に行くの」
と、言ったので、
「それなら、海音寺潮五郎の歌碑があるはずだから、もし時間があったら、写真を撮って、送ってくれない?」
と頼んだら、
「あった、あった! ちょうど、泊まったところからも遠くなかったので、散歩がてら行ってきたわよ」
と、送ってくれました。

この碑は、飯田市に住む郷土史家 故原彰一氏に、海音寺潮五郎から送られてきた書状に添えられてきた和歌を、
彼の教え子の、経営している旅館の庭に、建てたものだそうです。
海音寺潮五郎は、この手紙が届いた翌日に那須で倒れ、亡くなったと言うことですから、
最晩年のできごとですね。(1977.12.1没)
海音寺潮五郎記念館誌を編集していたときに取材したことがありました。

「みすゞかる 信濃の国は山ちかし どちらをむいても 山山山ぞ」

 「昼神温泉ってどんなところ?」
と、友人に聞いたら
 「お祖父さんの歌の通り、山山山に囲まれた温泉で、空気が新鮮。肌がつるつるになるすご~く気持ちのいい温泉だったわ」
とのこと。

昼神温泉ってひなびた山間の温泉地って思っていたけど、
「日本一綺麗な星空」「春の花桃」「美人の湯」を売りにして、
高級旅館もいっぱいある温泉地だそうで、
東京からは遠いけど、ちょっと行ってみたい気持ちになりました。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

海音寺潮五郎 と 古関裕而が コラボ

2020-05-15 17:34:28 | 海音寺潮五郎
姪っ子が、ラインで、祖父海音寺潮五郎が、
NHK朝ドラ「エール」の主人公モデルの古関裕而氏と、
コラボしていたと知らせてくれました。

古関裕而氏は「栄冠は君に輝く」「六甲おろし」「闘魂こめて」など、
誰でも知っている応援歌や、
「長崎の鐘」「とんがり帽子」などヒット歌謡曲、
「モスラ」等の映画音楽、
そのほかを校歌やテレビのテーマ曲などを数知れず作った作曲家です。

朝ドラ放送前にNHKの番宣番組で知って、
改めて、すごい人なんだなぁ~と思ってました。

朝ドラも、楽しく見てます。


祖父歴史小説家 海音寺潮五郎は、
鹿児島県伊佐市大口の生まれ。
大口市の市歌を作詞したことは知っていましたが、
大口が伊佐市の一部になり、市歌がなくなったと知って、
残念に思ってました。

大口高校校歌を作詞したことは、
聞いたことがあったような気がしますが、
作曲が古関裕而氏だったとは、全く知りませんでした。

「福島市 古関裕而記念館」の<作曲一覧>のページをを見ると
「あ~を」までびっくりするほど沢山作っています。

曲が次々溢れるように出てきたのでしょうね。

朝ドラを見るのが、楽しみになりました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「火を噴く山ー西郷隆盛ー 」海音寺潮五郎未刊の長編小説が刊行されました

2019-06-22 13:25:39 | 海音寺潮五郎
海音寺潮五郎の未刊長編小説が刊行されました。
かごしま近代文学館が編集発行したものです。

財団法人 海音寺潮五郎記念館は、2012年12月に解散しましたが、
その際に、海音寺の著作権、原稿等、著作に関するものは、すべて、
鹿児島市にある「かごしま近代文学館」に寄付しました。

一昨年、2017年11月2日(木)~12月3日(日)
「海音寺潮五郎の切捨御免!日本の歴史を点検する」
と題する特別展が開催され、見学に行きましたが、
海音寺の作品を日本の歴史順に並べて、その時代をどう描いたかを詳細に研究して、発表されていて、
学芸員の方々に感謝し、ここに寄付して本当によかったと、叔父や姉たちと語り合いました。

今回は、海音寺が、昭和30年から31年に南日本新聞に連載した「西郷隆盛」と、
同じく昭和30年から31年に河北新報に連載した「火を噴く山」を底本にして、
明らかな誤字誤植を訂正し、登場人物名、地名に関しては、
のちに発表した「西郷隆盛」全9巻(朝日新聞社)
「西郷隆盛 天命の巻」(学習研究社)を参照して制作したとのこと。
このことだけでも大変な作業であったと思われます。

読んでみたら、
戦時中の、軍の戦意高揚作品、強要の検閲、
戦後の占領軍の武士道礼賛作品禁止等の検閲から解き放たれ、
自由に作品が発表できるようになって、次々と作品を書きまくっていた時代のものですから、
若き西郷の藩の改革、新しい日本を作る気概が、生き生きと描かれ、
藩主斉彬、志士たち、その他の幕府、他藩の要人にまで、いかに愛され信頼される人物だったか、
ワクワクしながら読める作品です。

奄美大島に流され、召喚状が届いたところまでですから、もっと先まであればよいと思うのですが、
これだけでも、明治維新の始まり、そこに西郷がいかに関わっていったかを
楽しみながら、知ることができます。
ぜひご一読を。

購入はかごしま近代文学館のこのサイト「図録・グッズの購入方法」(かごしま近代文学館HOME>ショップ)
からできます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

維新ふるさと館

2017-12-11 21:32:23 | 海音寺潮五郎
訪鹿最終日(12/3)は、鹿児島市内、甲突川沿いの維新ロード方面に行きました。

維新ふるさと館の駐車場に車を止めて、まず、目の前の西郷隆盛誕生の地を見学。
ボランティアガイドさんがいて、色々説明してくれました。

西郷がここで生まれた時は、親戚一同大家族で住んでいたとか。
弟で明治維新政府の数々の要職を歴任した從道もこの地で誕生したそうで、
横にある小さな碑に西郷從道誕生の地と書いてありました。
(そう言えば、明治村にあった西郷從道邸、すてきだったなぁ~!)

つづいて、「維新ふるさと館」に入りました。
明治維新に関する様々な展示があり、
今、流行りの科学技術を駆使した体験型ミュージアムです。
鹿児島市の施設で、平成6年にオープンしたそうですが、私は初めてでした。

平成30年1月23日、明治維新150周年、
大河ドラマ「西郷どん」の放送開始に合わせて、現在工事中のところが完成して
リニューアルオープンするとか。

来年は「篤姫」の時のように、沢山の観光客が鹿児島に来ることでしょう。
鹿児島の人たちはすごく期待しているようです。

地下のシアターでドラマ上映をしていました。
時間が丁度だったので、また「薩摩スチューデント、西へ」という
薩摩藩留学生のドラマを見ました。
前日も記念館で聞いた話だったので、すっかり詳しくなってしまいました。

大河ドラマ「篤姫」で、使用された豪華な衣装が飾られていましたが、
来年は「西郷どん」一色になることでしょう。

売店には新装版になった
海音寺潮五郎の角川文庫「西郷隆盛(一)~(四)」も並んでいました。
読んで貰えるといいな!


ランチは維新ふるさと館の前の甲突川に架かる橋を
渡って、むかい側の「マルコポーロ」という
イタリアンレストランのテラス席で食べました。

川風が吹いていましたが、
気温が20℃近くあったので、気持ちいいくらいでした。

グラタンランチ、Very good !

ここで、叔父たちと別れて、
姉と二人で維新ロードを散策。

鳶が、ピーヒョロローと鳴いて、
予報以上の好天でしたが、
暑くて、コートも上着もとても着ていられないほど。

さすがに鹿児島でした。

(鹿児島旅行 終わり)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

美山~薩摩焼の里

2017-12-07 15:04:27 | 海音寺潮五郎
鹿児島旅行2日目の午後は、薩摩焼の里「美山」に行きました。

薩摩焼の起源は、秀吉の大陸進出 野望の戦い
文禄・慶長の役の後者、慶長の役(1598)。
薩摩の猛将、島津義弘が捕虜として連れ帰った朝鮮の陶工たちが、
ここ薩摩の地で、窯を開いて、代々受け継いできたものです。
美山は苗代川系ですが、他にも龍門司系、堅野系などがあるそうです。

薩摩焼で全国的に有名なのは、沈壽官氏の作品です。
朝鮮から来た沈家の初代は沈当吉という人だそうですが、

12代 沈氏(1835~1906)が、沈壽官を名乗り、
藩の庇護がなくなってしまった窯を、上手く民間経営移行して
ウィーン万博(1873)始め、数々の万博、勧業博覧会などに出品し、
高い評価を得て、世界的な名声を博し、薩摩焼が海外でも広く愛用されるようになったそうです。

その後代々、沈壽官を名乗り、今は15代です。
「沈家伝世品収蔵庫」には、代々の作品が展示されていて、
透かし彫り、鮮やかな絵付け、美しい形、どれもやはり名品揃いで、愉しめます。

登り窯を見て、裏の工房に行くと沢山の職人の方々が、制作に取り組む様子をガラス越しに見ることができました。
若い職人さんが大勢で驚きました。


土と火の魔術なりけり荒木のや

幹二郎がしごとさやかなるかも

    海音寺潮五郎


次に同じ美山にある、
祖父海音寺潮五郎の好きだった「荒木窯」に行きました。
荒木幹二郎さんの窯です。
息子の荒木秀樹さんが継いでいらっしゃいます。
素敵な壷の上に祖父の色紙が飾られていました。

温かみのある作品で、私も大好きです。
私と夫の湯飲みを求めました。   (つづく)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

企画展 「海音寺潮五郎の切捨御免!日本の歴史を点検する」

2017-12-06 21:39:55 | 海音寺潮五郎


2日目は今回の訪鹿のメイン、かごしま近代文学館で開催されていた(12/3まで)
企画展「海音寺潮五郎の切捨御免!日本の歴史を点検する」見学。
午前10時に叔父夫婦と待ち合わせて行くと、館長、副館長、学芸員の方々が出迎えてくださいました。
直接、展示を担当された学芸員の森山さんの案内で、展示を見学しました。

海音寺作品は雑誌に発表されたもの、さらに本に刊行されたもの、色々ありますが、
古代から現代まで、本当に多作です。
今回の展示では、沢山の作品に実際にあたり、様々な角度から分析して、
作品に描かれている時代順に、作品の中の一部の文章、原稿、本の画像などが展示され、
本当に見応えのある展示でした。
展示はそのまま図録として刊行され、販売されていました。
A5版で字が小さいのが難点ですが、予算の都合で仕方なかったのでしょう。

定価1000円で、かごしま近代文学館のサイトで見ると通信販売も可です。

特別展を見た後、常設展も見学しました。
来年の大河ドラマ「西郷どん」に合わせて、西郷隆盛の著作が多く展示されていました。





文学館を後にして、すぐそばにある島津忠義像を見て、
月遅れの七五三参りをしている子どもたちがいる
照國神社にお参りしました。

昼食は簡単にかごしま近代文学館の
レストランで食べました。


(つづく)

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

海音寺潮五郎記念館は今

2017-08-16 11:59:21 | 海音寺潮五郎


8月中旬、東京はお盆時期とは思えない天気と気温が続いています。

昨日は、姉と娘と一緒に経堂の美登利寿司でランチした後、
「海音寺潮五郎記念館」がどうなっているか気になって見に行きました。

おもての門には、「鹿児島大学 海音寺潮五郎記念 東京学生宿泊施設」
という表札が出ていました。
中を覗くと灯りがついています。

姉は「悪いからいいよ」と言ったけど、
ちょっとだけ見せてもらいたくて、インターホンを探したけど見つかりません。
裏に廻ってみても、ありません。
諦めて、行こうとしたら、娘が
「窓が開いてるよ!」
と言ったので、思い切って声をかけてみました。

「海音寺潮五郎の孫と曾孫ですけど、ちょっと中を見せて頂けますか?」と言ったら
就活で公務員試験を受けに来ていた学生さんが、すぐに入れてくれました。

中は本当にきれいに便利に改築されていました。
「1泊たった1500円で、こんなに便利できれいなところに泊まれて、ホントにありがたいです」
って感謝されて嬉しかったです。

突然だったので、あまりバチバチ写真を撮るのも気が引けてそそくさと帰ってきました。

もう少し、色々話をしてくればよかったなと後から思いました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

叔母の七回忌

2017-03-26 17:22:21 | 海音寺潮五郎
昨日は、2011年6月に亡くなった叔母(母の妹)の七回忌と
祖父母、S家の法要がありました。
総勢26名。母は5人兄弟姉妹の長女で一番上、
7回忌の叔母が二女で2番目。その下に3人男兄弟です。
母と叔母は亡くなりましたが、下3人兄弟は健在。

5人兄弟姉妹の割に、孫曾孫、連れあいまで集まってこの人数ですから、
こじんまりです。でも、親戚同士はとてもとても仲良しで濃密。
それは祖父母(海音寺潮五郎夫婦)が、5人の年の離ればなれの子どもに
愛情だけは、他家にないほど注いで育てたことによると思います。
墓参りと法要の後、いつものように赤坂四川飯店で会食。(「叔母の四十九日と納骨」)
四川飯店は、陳健民さんが始めた頃から、祖父のお気に入りで、私も何回か連れてきてもらいました。
亡くなって、海音寺潮五郎記念館が出来てからも、何かというとここで会食でした。

おこげにあんをかけてジューっと音がしてかき混ぜるパフォーマンス。
動画がアップできず残念です。

辛すぎるのに弱い私ですが、昨日は予約してくれた義叔母が
「あまり辛くしすぎないで」と言ってくれたそうで、
どれも、美味しく食べられました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

朝日新聞コラム「文豪の朗読」2

2017-01-30 17:20:10 | 海音寺潮五郎
昨日(2017.1.29)の朝日新聞朝刊、読書欄コラム記事
「文豪の朗読」に
海音寺潮五郎の「西郷と大久保」が掲載されました。
前回は「武将列伝 勝海舟」(2016.7.3)でした。

史伝小説である「西郷と大久保」は、薩摩で幼なじみだった二人が
共に力を合わせて維新を成功させながら、維新後、意見が分かれて対立していく過程を描いていて、
明治維新を知る上の必読書だと私は思っている。

コラムの冒頭に作家佐伯一麦が書いているが、
仙台の伊達政宗の御霊屋「瑞鳳殿」に至る坂の途中に
西南戦争、薩摩兵士の墓があるということだ。
国事犯として収監されたその兵士たちが、
各地の開墾や築港工事に携わり、
宮城県の開発に大きな役割を果たしたこと、初めて知った。

自作の朗読であるが、我が祖父海音寺潮五郎の朗読は、
コラムに書かれている通り、ぶっきらぼうすぎて、
もう少し、魅力的な読み方にしたら、作品も生きるのではと思ってしまいます。
でも、佐伯氏は、
「朗読は平静さを失わず、それだけに革命家西郷と政治家大久保の性格が伝わってくる」
なんて上手に褒めてくれている(笑)
聴きたい方はこちら→『海音寺潮五郎が読む「西郷と大久保」 芝居気は皆無』

このコラムは、作家の朗読のソノシート付雑誌、「月刊朝日ソノラマ」というものを元にして書いているとか。
ほかの作家の朗読も聴きたい方はこちら→「文豪の朗読」

←記事はクリックすれば大きくなります。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

朝日新聞コラム「文豪の朗読」

2016-07-05 15:39:25 | 海音寺潮五郎

2016.7.3(日)朝日新聞朝刊13面読書欄の

「文豪の朗読」というコラム記事に
“明治維新で「きれいに負けた」男”
海音寺潮五郎「武将列伝 勝海舟」が掲載されました。
(←クリックすると大きくなります)

歴史学者本郷和人氏が、
自分は日本の歴史においては、「世襲」重視であったことが、
国内の時勢を穏やかに推移させたと見立てているが、
唯一「世襲」に全く重きを置かなかった明治新政府は、
先の第二次世界大戦戦争にどのようにつながるかを
海音寺の言葉を借りて語っている。

海音寺潮五郎が「武将列伝 勝海舟」を読む中で、
勝海舟の事績は何といっても西郷と共に成就した“江戸城の無血開城”
江戸の住民を戦火から救った「きれいに負けた」ことと言っている。

興味深い記事です。

朝日デジタル『海音寺潮五郎が読む「武将列伝」 「きれいに負けた」男』
で、自作を読む海音寺潮五郎の声も聴けます。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

海音寺潮五郎記念館の軌跡

2016-06-11 16:57:09 | 海音寺潮五郎
昨日は銀座で開催されていた明廣会書道展を見学してきました。

明廣会を主催されている小川みよ子氏は海音寺潮五郎記念館で、
書道講座を担当してくださっていて、
記念館主催の講演会が東京で開かれるようになって2年目の
2004年から記念館最後の30回講演会(2012年)まで
講師名と演題を書いてくださっていました。

今回の書展の案内に「併設 海音寺潮五郎記念館の軌跡」
と書いてあったので、何が展示されているのかと思ったら、
その講演会の案内の文字と講演会の写真でした。

藤原正彦氏、東郷隆氏、永井路子氏、半藤一利氏、北原亞以子氏、
原口泉氏、夢枕獏氏、磯田道史氏、林望氏、葉室麟氏。

今でも皆さんが聴きたくなる講師。

お話しなさった様子や話しが浮かんできて本当に懐かしくて
「海音寺潮五郎記念館」もいい仕事したなと自己満足に浸りました。
そしてビックリしたのは、記念館が解散した時、
財団の基本財産を寄付しましたが、
その目録を小川氏が書いてくださっていて、
展示してあったことです。

画像をクリックすればもう少し大きくなります。、
(あまりはっきりと撮れていなくてすみませんが…)

★鹿児島県立図書館に金一億円。

★世田谷の土地建物を鹿児島大学へ。

★那須の旧別荘を國學院大學へ。

★かごしま近代文学館に金一億円と著作権。

★そして金一億四千九百六十八万九千九百十六円を
 鹿児島県伊佐市に寄付しています。

寄贈する時に一緒に鹿児島に行きましたが、
こんなに細かく一切合切寄付して
財団法人海音寺潮五郎記念館は解散したのだと改めて感じました。

最近になって、世田谷の建物が鹿児島大学の宿泊施設となって
有用に使われていると連絡があったそうで、
寄付したものやお金が有用に使われていることは嬉しいことです。


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする