最初はSAH

2000.11にくも膜下出血(SAH)発症。無事後遺症もなく生還。今興味あること:脳のこと,教育のこと,テニスのこと

大腸内視鏡検査

2017-10-19 18:12:00 | 医療と健康
10月に入って、天気が悪く寒い日が続きますね。
今日のこの寒さは何でしょう!!!

いよいよ大腸内視鏡検査の日になってしまいました。

何回もやっている人には、何でもない検査でしょうが、
私は初めてなので、前日から、緊張していました。

でも普段の健康診断と違って、前夜9:00までに食事を終えたら、
固形物は入れてはいけないけど、水やお茶はOKなので、その点、楽です。

夕食後に下剤センノシドを2錠飲むように書いてあります。
私は、下剤が早く効いて眠れないといけないと思って、
寝る前に飲みました。
でも、前日テニスその他で疲れていたせいか、
それとも、緩やかに効く薬なのか、夜中に便意を催して眠れないことはなく、
ぐっすりと眠れました。

朝、目覚めてからは大変です。
モビプレップという下剤を、水を入れて調合して2L作り、
15分おきに200ccずつ5回、1Lを飲んで、
その後、下剤の半量、500ccの水またはお茶を飲まなければなりません。
便がすっかりきれいになるまでこれを続けなければなりません。
飲み始めは、ちょっと甘い味がして、これなら飲むのは大変じゃないと思いました。
でも、その割に便が出ないで、きれいにならず、
1時間続けて、お茶を飲んでも、まだダメでした。

その後は、飲むのが苦痛でした。
我慢して我慢して、2Lを飲みきって、水をまた500cc飲んで、
18回トイレに通って、漸くすっかりきれいになりました。

午後、病院に行って看護師さんに話したら、
「よく頑張りましたね!」って言われちゃいました。

検査は麻酔を点滴で入れながらしたので、さほど痛くはなかったけど、
空気を入れて内視鏡を奥に入れていく時は、結構痛かったです。

検査後、ドクターの話しでは、
「問題ありませんでした」
とのこと(ホッ)

1時間横になって休んでいくようにと言われ、
休んでいたら、もう大丈夫そうだったので、
「大丈夫そうなので、もう帰っていいですか?」
と聞いたら、
「ちゃんと休んでいってください」
といわれ、1時間寝かされました。

お腹のガスがまだぬけず、今も苦しいです。

マッ、何ともなかったので良かったけど、あの便潜血は何だったのかな???
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高遠 駒ヶ根 名古屋の旅(4)

2017-10-10 13:37:43 | Weblog

エビ天入りきしめん
市電京都七条駅のすぐそば、3丁目側に、めん処「なごや庵」がありました。
名古屋と言えばきしめん。エビ天入りのきしめんを食べました。
隣に座っていたおじさんたちが、名古屋のきしめんと秋田の稲庭うどんの
どっちが美味しいか論争してました(笑)
ちなみに私は腰のあるきしめんの方が好きですが…

お腹がいっぱいになった後、村営バスに乗って、少し登って
1丁目の聖ヨハネ教会堂に行きました。
京都の河原町通りから移築されたプロテスタント教会で重要文化財です。
1階が子どもたちの遊び場になっていて、
2階の礼拝堂は木造で、暖かい感じのする建物でした。

聖ヨハネ教会堂

聖ヨハネ教会堂内

西郷從道邸


続いて礼拝堂から、また歩いて
西郷從道邸です。ここも重要文化財。
西郷從道は西郷隆盛の弟で、
明治政府の要職に就いていた人です。

フランス人の設計で素敵な洋館です。
東京の目黒から移築されたそうです。
ダイニングルーム、ティールーム、夫人の化粧部屋等、
お洒落で美しかった。
何処も出入り自由で、写真撮影も自由。
誰も監視人はいないのですが、とても綺麗でした。

高台から坂を下って、
バスに乗って、また市電に乗り、名古屋駅に戻りました。

最後は名古屋駅から東京駅までSLです。
手動式転車台もあって、大人でもとても楽しいものです。
明治村を出て、国宝 犬山城に行きました。

国宝の城は
姫路城、
松本城、
松江城、
彦根城、
そしてこの犬山城の5城。

いずれも、江戸時代から残る天守です。
犬山城の築城は織田信長の叔父織田信康だそうですが、
江戸時代になってからは、尾張徳川藩の重鎮成瀬氏が拝領して、
明治まで城主だったそうです。

大河、木曽川のほとりに建つ、こぢんまりした可愛いお城でした。
これで、私が行っていないのは国宝の城は、彦根城だけになりました。

これにて、高遠 駒ヶ根 名古屋の旅は終了しました。
まだまだ、見切れていないので又行きたいと思います。
それには足腰鍛えて、頑張らねば
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高遠 駒ヶ根 名古屋の旅(3)

2017-10-09 16:47:46 | Weblog




さて3日目。

朝は、ホテルの食事をとらず、
名古屋名物「モーニング」。
喫茶店でコーヒーを頼むと、トースト&エッグが付いてくるというあれです。
駐車場があるモーニングの店を探したら、
城見通に「金シャチ珈琲店」を見つけました。
駐車場も広く、店内も広くゆったりして、マンガ喫茶併設の名古屋っぽいお店でした。
私は洋食モーニングにトッピングで小倉をつけて小倉トーストに。
夫はさっぱりと朝がゆモーニングにしました。

帝国ホテル中央玄関

聖ザビエル天主堂

聖ザビエル天主堂ステンドグラス
名古屋城は写真だけにして、一路、犬山市の明治村へ。

明治村で、まず見るのが帝国ホテル中央玄関です。
帝国ホテルは、アメリカの建築家フランク・ライトによって設計され、
何と大正12年(1923)の関東大震災当日の開業だそうです(ビックリ!)
ボランティアガイドさんが丁寧に説明してくれて、中を見学。
続いて、同じガイドさんの案内で5丁目を歩き、その他の建物も見て歩きました。

呉服座

呉服座の中

呉服座のガイドさんと
4丁目は呉服座(くれはざ)です。(「くれはざ」と読むとは知らなかった!)
大阪にあった芝居小屋で、ここもガイドさんが奈落の仕掛けまで案内してくれました。


お腹が空いてきたので
4丁目の市電名古屋駅から2丁目の京都七条駅まで市電に乗りました。
                                       (長くなるので、つづく)
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高遠 駒ヶ根 名古屋の旅(2)

2017-10-08 13:59:56 | Weblog
 

2日目は、今回の旅行のメイン、千畳敷カールです。
朝起きて窓の外を見ると曇り空。でも、雨が降ってきそうな感じはなかったので、
「まぁまぁだね!登ってみよう」と言って、8:10にホテルを出ました。

乗用車は菅の台バスセンターより先は入れないので、一つ手前のホテル前バス停から、バスに乗りました。
30分ちょっと登っていくと、ロープウェーの乗り場は霧の中。

「これじゃ何も見えないかなぁ」と言いつつ、ゴンドラに乗り込み、登っていくと、
どんどん霧が晴れて、終点(2612m)地点では、明るい曇りで雄大な景色が目の前に見えました。
「わぁーすごい!!!!」

ここは中央アルプス。最初の写真の一番高い山は宝剣岳です。
沢山の人が頂上目指して登っていました。
1時間くらいで登れると言われ、どんどん青空になってきたので、
途中まで登っていきましたが、非常食も雨具も持っていなかったし、
やっぱり無謀かなと思って、途中までにしました。
振り返ると南アルプスは雲の中。塩見岳の稜線と遠くに富士山の頭が少しだけ見えました。

ぐるりとカールの中をゆっくり一周しました。
紅葉が最盛期で素晴らしかったです。
心が洗われた感じ。

お腹が空いたので、信州名物、野沢菜とシメジのお焼きを食べて
ロープウェーで下りてきたら、乗り場には延々と行列が続いています。

臨時バスが次々到着。そのうちサイレンを鳴らして山岳救助隊を乗せた車が来ました。
バスターミナル付近に来たら、救急車が登っていきました。
「我々も、もし事故でも起こしたら、何の装備もなく無謀登山で散々非難されることになっただろうね」
と夫と話しました。

山から下りて、車でまっすぐ名古屋へ。
お月見船が浮かぶ徳川園と徳川美術館を見て、
夜は名古屋で、ひつまぶしを食べました。

名古屋に住む姪っ子から「あつた蓬莱軒」か「いば昇」が美味しいと聞いていたので、
まず名古屋の街をぶらぶら歩いて、高島屋に入っている「あつた蓬莱軒」に行ってみました。、
すると、国慶節連休で来日した中国人観光客が50人以上並んでいてとても無理。

半分諦めながら、栄の「いば昇」本店に行くと、
椅子席を待つために少し待ちましたが、食することが出来ました。
老舗らしく、ホールスタッフも、調理場もお年寄りばかり。

1杯目はそのまま、2杯目は薬味を入れて、3杯目はお茶漬けで。
東京の蒸してから焼くふわっとした鰻と違って、香ばしくパリッと焼けていて、
お茶漬けにしても、あっさりとすごく美味しかったです。
大満足 
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高遠 駒ヶ根 名古屋の旅(1)

2017-10-07 15:47:02 | Weblog
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高遠城祉

絵島囲み屋敷

絵島の間

中:保科正直(保科正之養父)、右:諏訪御料人の墓(建福寺)

高遠そば
10月3日~5日、高遠、駒ヶ根、名古屋を旅行してきました。
先週末、秋晴れが続き、天気は悪くなりそうな予報だったので、
期待せずに出発しました。

3日朝、東京はまだ、雨がぱらぱらしていました。
でも、中央高速に乗るとどんどん天気がよくなり、
諏訪インターで下りて、高遠に着く頃にはすっかりいい天気になりました。

高遠は桜で有名ですが、歴史的に面白いところなので、
一度行ってみたいと思っていました。

この地は、古くから諏訪氏の勢力下でした。
しかし、戦国時代になり、武田信玄が強力になり、その旗下に属することになります。
信玄は諏訪氏の娘、諏訪御料人を側室にして、勝頼を生ませます。

勝頼は最初、諏訪勝頼と名乗って、高遠城に入っていたこともあります。
諏訪御料人は勝頼を産んで、わずか25歳で亡くなってしまうので、
勝頼は、高遠に母を葬ったと言われています(?)

その後、武田信玄が没して、高遠(仁科守信:勝頼弟が守っていた)に織田信忠軍が攻め入って高遠城は落とされ、
武田氏を継いでいた勝頼が自害して武田氏は滅亡。

ところがその後、またすぐに本能寺の変で織田信長、信忠が殺されて、この地は家康が支配します。

家康支配下になり家康に近かった保科氏が入ります。
保科氏は、二代将軍秀忠のただ一人の隠し子を養子にします(保科正之)。
秀忠、江の死後、三代将軍家光の計らいで保科氏は山形、会津へと大栄転。

その後、高遠城には関ヶ原前哨戦、伏見城の戦いにおいて、家康の命で、
血天井になるほど、猛烈に戦い、果てた鳥居元忠の孫、鳥居忠春が入りますが、
悪政のため、二代で所領没収改易。

さらにその後は、秀吉天下統一後、家康の江戸入りの際、先陣を務め、
関東八州庶務奉行から老中にまで出世しながら、
鷹狩りの何かで家康の怒りを買い、
閑職に追いやられた内藤新宿の内藤清成の子孫の内藤清枚が藩主に成り、
明治の時代まで藩主でいたということです。

内藤家が藩主の時代に絵島生島事件が大奥で起こり、老女頭絵島はこの地に流され、
30年もの年月を、狭い牢のある絵島屋敷で送り、没したそうです。

高遠で、大根のおろし汁に味噌を溶かしたたれで食べる「高遠そば」を食した後、
駒ヶ根にある、伊那食品の「かんてんぱぱガーデン」に行きました。

栗や紅葉生麩やサツマイモチップの入った秋風クリームあんみつを食べました。
紅葉も少し色づいています。

そして、1日目の宿、駒ヶ根リンクスリゾートホテル到着。

高原のきれいな空気を胸一杯吸い込みました。
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My Birthday !

2017-10-01 11:18:09 | Weblog
昨日はMy Birthday でした。

秋晴れの気持ちのよい土曜日。
テニスの約束があったので、京王多摩川のコートへ。
道路工事だらけで渋滞のため、ちょっと遅刻。

4人だけだったので、ボレー、ストローク、サーブ練習をして、
6ゲーム先取、デュースもしっかりの試合をしようということになりました。
最初負けていたけど、挽回して勝ちました。(誕生日サービスで、勝たせてくれたのか?)
試合だけで、1時間15分くらいかかりました。

よく走って、気持ちのよい汗をかいた後、ランチ。
腰を痛めてテニスが出来なかったK さんがケーキを買ってきてくれて、
みんなで、「誕生日おめでとう!」してくれて、感激!!!
いくつになっても嬉しいものです。

夜は、息子も娘も来てくれて、家で、誕生会。
ガスレンジを新しくしたので、付属のココットを使って
娘と息子の大好きな(私は食べない)鶏のもも肉を
醤油と酒とニンニクすり下ろしにつけ込んで焼いたら、これが大成功!
たった15分で、いい焦げ目が付いて、外はカリッと中はジューシー(娘と息子が言った)。
写真を撮るのを忘れて、お目にかけられないのが残念です。

息子の買ってきてくれたケーキカットの時には
女性エンジニアの会に出ていたお嫁ちゃんも駆けつけてくれて
みんなで、「Happy Birthday!」してくれました。

よき友と優しい家族に囲まれて、幸せ感満喫の一日でした
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