最初はSAH

2000.11にくも膜下出血(SAH)発症。無事後遺症もなく生還。今興味あること:脳のこと,教育のこと,テニスのこと

海音寺潮五郎論 集成(古閑章著作集 第五巻)

2020-12-08 10:56:00 | 海音寺潮五郎
鹿児島純心女子大教授の古閑章先生から著作が送られてきました。

古閑章 著作集 第五巻
文芸評論1
「海音寺潮五郎論」集成 南方新社刊

古賀先生は、1956年生まれですから、私より7歳年下の方です。

以前から、海音寺潮五郎のファンであり、研究者であることは知っていました。
しかし、ここまで、丁寧に海音寺潮五郎の作品、人物を研究されているとは、知りませんでした。

巻末の解説に共立女子大文芸学部教授 はんざわかんいち氏、
そして、著者自身も書いていますが、
海音寺潮五郎は大衆文学作家であり、近代文学者が論ずる対象にはならないことが普通だそうです。

古閑氏も、もともと熊本の出身で、梶井基次郎の研究者だそうです。
それが、鹿児島で教鞭を執るようになり、
2000年「海音寺潮五郎生誕100年」記念行事で、
海音寺潮五郎作品、まずは、「二本の銀杏」に出会ってから、
すっかり虜になったと書かれています。
大学で教鞭を執るようになって、最近の大学事情の通り、研究時間もなかなかとれない中、
コツコツと研究を重ね、今、中仕切りとして、まとめ上げたものだそうです。

様々な作品を独自の角度から分析し、論じていますが、
どこにも、海音寺作品に対する愛情が溢れていて、本当に嬉しく思いました。

没後43年も経っている(1977.12.1没)のに、こんな読み方をしてくれる読者がいることは、
祖父海音寺潮五郎は、作家冥利に尽きるに違いありません。
あの世に知らせる手だてがあったらどんなに喜ぶかと、昔の笑顔が浮かびます。

そしてこの本が貴重であることは、
海音寺の代表作「二本の銀杏」「火の山」「風に鳴る樹」の、
さらに続く最後の部分になると思われる「一本の樫」が不完全でありながら、翻刻されていることです。
戦後まもなくまだ疎開先、郷里 鹿児島で書かれたものだそうです。

私も初めて読みましたが、
先の大戦の中で、人々が、日本の勝利を信じつつ(願いつつ)
真の戦況はいかなるかと、不安に思っていた様子が、人間模様を交えて語られていて、
途中までしか、見つかっていないので完結していませんが、
今の時代の人々にも読んで貰いたいと思いました。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 海音寺潮五郎歌碑~昼神温泉~ | トップ | 冬もテニス »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

海音寺潮五郎」カテゴリの最新記事