白内障の手術後、1週間経って17日に外来診察を受けました。 順調に回復しているので、洗髪、洗顔もOKとなり、 お風呂に入って、1週間分の髪と顔の汚れを落としてサッパリ。 目薬は、渡された分がなくなるまで点眼すれば終わりということで、 あとは、紹介して貰った久我山病院で診てもらうことになりました。 「テニスはやっても大丈夫ですか?」 と、訊いたら、 「どんなテニスですか?」 と、訊かれました。 |
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「スクールなんですけど」 と答えたら、 「それなら、保護メガネをかけてやれば大丈夫です」 と、言われました。 試合に出るので、その練習なんて言ったら、そんな激しいのはまだダメって言われたのかな? と言うことで、早速ネットで調べて、保護メガネを調達して、今日の練習からスクールに復帰しました。 コーチの顔もくっきりと見えて、気持ちよく出来ました。 左目はまだ大丈夫と言われていますが、視力はかなりいいものの、 明るさが手術した右目に比べると、かなり暗いことが分かりました。 また数年のうちに、左目もすることになるのでしょう。 白内障の手術は、世の中、くっきりハッキリなって大成功でした。 |
病室 |
夕食 |
夜する透明の眼帯 |
無事、白内障手術終わりました。 白内障の手術なんて、あっという間に終わるから、全然大丈夫と思っていました。 何せ、全身麻酔手術6回、くも膜下出血手術も大動脈解離手術も無事成功し、 後遺症もなく普通の生活が出来ているのですから。 な~んて、軽い気持ちで臨みましたが、局部麻酔で目の手術ですから、 手術の様子が分かるので、案外、緊張してしまいました。 痛みも結構あって、静かな手術かと思ったら、 荒っぽい手術で、ビックリしてしまいました。 親知らずの歯を抜く手術くらいでしたが(笑) 終わってしばらく、少し痛みがあり、 大丈夫かと思いましたが、少しすると痛みは消えました。 日帰りもOKですが、次の日も来なければならないので、 懐かしの、くも膜下出血&脊椎管狭窄症の手術をした杏林大病院に1泊。 |
1泊ですから、勿論、大部屋を希望しましたが、すごく広くてゆったりしていて綺麗で、 プライバシーもバッチリ保たれていて、充分に休めました。 食事も、大動脈解離で入院した榊原記念病院よりずっと美味しくて、完食。 片目眼帯で一晩過ごし、次の日朝、診察を受けて、無事退院。 家に帰ると、やはりホッとしますね。 夜は無意識に目を触ることがないように透明の眼帯をテープで貼り付けて寝ました。 見え方は、帰って直ぐは、手術した右目がすごく明るくなったのですが、 左目の方がよく見えて、右目はあまりハッキリ見えないので、な~んだ!こんなものかと思いました。 でも、目薬を何回も注すと、時間を追うごとにどんどんよくなって、明るくハッキリと見えるようになり、 両目で見ても、手術前に比べて、今までよりずっと、明るくハッキリした世界になりました。 大成功です。 1週間、洗顔洗髪が出来ないのが辛いと思いますが、こんなに早く終わって本当に良かったです。 |
年をとると、目も老化し、ピントを合わせる水晶体が、 濁ってきて、霧がかかったように見えたり、 光が乱反射して眩しくなったりします。 白髪と同じように誰にでも起こる現象だそうです。 私は、前から右目の視力が悪かったのですが、 昨年GW後、特に悪くなったと感じて眼科クリニックで診てもらいました。 その時は、確かに右目は、 「白内障が進んでますが、左目が正常なので不便はないと思うので、 手術はもう少し先でいいでしょう」 といわれました。 |
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眼鏡を作り替えて少し楽になったような気がしましたが、昨年暮れ頃から、インドアテニスの時、照明が眩しくて、 見えにくくなり、白内障が進んだ感じがしてきました。 そこで、1月末に、いつも診てもらっているクリニックに行って、また検査して貰うと、右目の白内障が進んでいて、 手術をした方がいいといわれてしまいました。右目は視力検査表の一番上が見えなかったのにはショックを受けました。 左目はかなりいいので、右目だけの手術を受けるようにとのこと。 その先生が手術先を紹介してくれるだろうと思ったら、なんと! 「このクリニックを今月で閉めることにしたの。手術後のケアが出来ないので、紹介は出来ません」 と言われてしまいました。確かにかなりお年の先生ですし、仕方ない話です。 近所の眼科のリストを渡して、紹介状も書いてくれました。 さてどうしようかと考えて、友だちにもあれこれ訊いて、 循環器内科と整形外科でかかっている久我山病院の眼科で受けようかと思いました。 ところが、久我山病院のHPで見ても、外来担当医の表は出ているものの、 医師紹介、手術については、何も書かれていません。 簡単だという白内障の手術とはいえ、全然分からない先生にして貰うのは不安でした。 すると、ある友だちが、 「私は、久我山病院の外来の先生に紹介状を書いて貰って、杏林大病院の井上教授にして貰ったの」 と言って、私にもそうすればいいと勧めてくれました。 井上教授は、姪っ子の親友で眼科医のKさんが叔父の手術の時に紹介してくれた眼科医。 それが一番安心と思って、そうすることにしました。 まず、久我山病院の外来で診察を受けて、紹介状を書いてもらい、 教授が、白内障ごときの手術をしてくれるのかと疑いつつ、予約の電話をすると、 「井上教授の外来は混んでいるので、予約は3月半ば過ぎしかとれません。 もし早く診てもらいたければ、待つことを覚悟で、先生の外来日にくれば、診てもらえます」 と言われ、 「よし!頑張って、やってみよう!」 と、月曜日、雪の予報の中、朝9時に家を出て、病院に行きました。 検査をしたり診察をしたり、また検査、診察。 まる一日、病院にいた感じ!大雪の中、帰宅したのは、午後5時。 でもお陰で、明日金曜日、2月9日(金)に、たまたま運良く空きがあり、 井上教授に手術してもらえることになりました。 井上先生は、すごく感じのいい先生で、信頼できる感じでした。 ばんざ~い というわけで、明日一泊で、白内障手術を受けてきます。 |
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JIJI.COMニュースによると 厚生労働省は20日、「健康寿命」が、 2019年は男性72.68歳、女性75.38歳だったと発表された。 健康寿命とは、健康上の問題がなく、日常生活を支障なく送れる期間を示す。 健康寿命は2010年から3年ごとに算出され、今回は4回目で 約68万8000人を対象とした国民生活基礎調査を基に推計したとのこと。 これを見ると、健康寿命って延びてきてはいるものの、 意外と短いのだと思います。 年をとってくると、誰でも、あちこち故障が出てきて、 生活に支障が出るというほどではなくても、 動きにくくなったり、見えにくくなったり、聞きづらくなったり、 痛くなったりします。 どの程度になったら、健康寿命が尽きたというのでしょうか? 日常的に介護を必要とし、自分で生活していけなくなった状態ということのようです。 世界で見ると、平均寿命の長い国ほど、健康寿命も長いけれど、 平均寿命と健康寿命の差は大きい。 つまり、長寿国は、日常生活に支障が出てから、生きている期間が長いということです。 (長寿ネット>健康長寿とは>長寿と社会>世界の健康寿命) それって、平均寿命が延びたことを手放しで、喜んでいいともいえないということ。 出来るだけ頑張って、健康寿命を延ばすように、 自分が出来ることはやっていこうと思っています。 でも、どんなことでも努力が報われないこともあります。 栄養のバランスのとれた食事を適度に食べて、 睡眠を十分にとって、適度の運動をして水分を十分にとる。 その他に気をつけていることは? 呼吸かな? 疲れたり、イライラしたとき、運動をするとき、 酸素を十分に身体に取り入れることは大事だと思ってます。 それとマッサージ! 筋肉を出来るだけ柔らかくすることも心がけています。 そして後は。。。。。。 「運」 |
先日、夕食のサラダを食べていたら、「ガリン!」と石を噛んだ感じがしました。 「あらっ!どこで石なんか入ったのかしら?」 と言って、噛んだものをお皿に出してみると、 「やだ~!これ私の歯が欠けたんだわ」 ショックでした。 昔はまめに歯医者に行っていたのに、最近は、久しく行っていません。 痛みはなく、左上の奥歯でよく見えませんが、舌で触ると大きく欠けているのが分かります。 仕方なく、予約を取って、今日診察と治療を受けてきました。 だいぶ前に開院していた歯医者さんで、院長のお父さんは内科のクリニックをやっていて、 うちの子どもたちも、小さいときにたびたびお世話になりましたが、 この息子さんの歯医者さんにかかるのは初めてです。 「朋愛歯科医院」という歯医者さんです。 痛いところこそなくても、治療すべきところだらけで、 歯周病にもなっていると言われるかと、おそるおそる行きましたが、 意外と悪くなっていないようで、歯茎の状態もいいといわれ、一安心<ホッ> 「欠けた歯と、もう一本治療して、後はクリーニングでいいでしょう」 「奥歯なので、高い保険適用外の治療は必要ないと思う」とも言われました。 説明も簡潔でわかりやすくて、とても感じの良い院長でした。 待ち時間もなく、予約時間に診てもらえて、 早速、治療も開始して、そう長い通院にはならないようです。 歯も年をとると筋肉と同じように、固く弾力がなくなり(歯に弾力があるとはビックリ!) 欠けやすくなると言うことでした。 いやはや、人間、年をとると、あらゆるパーツが古くてもろくなってしまうのよね |
私は45年以上花粉症で悩んでます。 最近は、いい薬が出来てきて、以前ほどひどくありません。 先日もアレルギーのひどい姉と話して、 「私は、最近は、薬を飲めば大丈夫よ」 なんて言ったけど、ここのところひどいです。 それでも、以前は四六時中、寝ていても鼻が詰まって、鼻水が垂れてくるので、 悲惨そのものでしたが、だいぶ改善はされました。 のみ薬は「タリオン」のジェネリック(最近出来た)、ベポタスチンを朝夕飲んでます。 点鼻薬と目薬は売薬でも、医師に処方されたものでもあまり効きません。 |
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くしゃみ、鼻水、目の痒さに加え、口の中の上顎の痒さが不快でたまりません。 上顎の痒いところにに、点鼻薬をシュッとしても効きません。 誰かいい方法があったら、教えてください。 コロナのワクチンの接種後、日本では他の地域より高率でアナフィラキシー症状が出ているとか。 ワクチン接種は受けるつもりだけど、ちょっと心配。 |
今日は、2月13日、母の命日です。 亡くなったのは、2009年ですから、 もう、12年経ちました。([あの世」) 今日のように明るい日差しの日でした。 「まもなく、あの世に参ろうか」 なんて言葉を最期に残して、亡くなる人って、 他にはいないと思います。 あの時のことを思い出すとまた、心に想いが迫って、 今でも涙が出ます。 |
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母は、83才10ヶ月の寿命で、死因は膵臓がんでした。 自分自身がだんだん年をとってきて分かったことは、 加齢現象と病気の症状の区別って、とても難しいということです。 母は、膵臓がんの最末期まで、普通の生活をしていました。 あとから考えると、半年くらい前から、かなり症状は出ていたのだろうと思います。 それまで、飲んだことのないサプリメントを飲み始めていたようだし、 近くのクリニックにもかかったりしていました。 医師でも、見逃すのだから、当たり前と言えば当たり前です。 亡くなる4ヶ月前に姉と3人で京都旅行に行きました(「京都に行ってきました」) |
かなり歩いて、紅葉を楽しんだのですが、 母もよく頑張って歩きました。 足は弱っていましたが、83才ですから、仕方ないと思っていました。 ずいぶん無理していたのでしょう。 つらい思いもさせてしまったけど、 娘2人と旅行できたこと、きっと喜んでくれたと思います。 |
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最期の言葉まで、「まもなくあの世に参ろうか」なんて言う、 ふざけて冗談を言ってばかりいる人でしたから、 ひょっこりどこかから、現れるのではないかと思うときもあります・・・・・ |
今日は、家の前にある、浴風会病院で、インフルエンザの予防接種を受けてきました。 毎年通知が来てはいましたが、 治療薬、タミフル、リレンザ、イナビルなどが出来てから、 罹っても(一度罹った)、薬ですぐ治るので、受けていませんでした。 |
でも、今年は、コロナもあって、罹ると面倒なことになりそうだし、65歳以上は無料なので、受けてきました。 浴風会病院は、老人医療専門病院で、6年前に老健新設とともに建て替えられ、すっかり明るく綺麗になりました。 私は、今は小児科や産科もあって、若い人が沢山いて、雰囲気が明るいし、 何より、くも膜下出血になったときの執刀医だったF先生に診ていただけるので、 久我山病院に通っていますが、 行く行くは家の前で便利ですし、老健、デイサービス、グループホーム、特養、 何でも揃っているここにお世話になると思います。 |
浴風園の庭を散歩してきたら、池に蓮の花のようなものが咲いていました。 よく見るとホテイアオイです。 ホテイアオイは、金魚鉢によく入れますが、 こんな花が咲くとは知りませんでした。 池には、メダカが沢山泳いでいました。 |
高畑淳子さんの指 |
私の指 |
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ヘバーデン結節という疾患をご存じですご存じですか? 「年取ったおふくろの節くれだった指、ありがとう!」 なんて、働き者で、マメに仕事をしてきたお母さんに感謝する表現によくありますよね。 日本整形外科学会のHPには下記のように書いてあります 「ヘバーデン結節」 ( HOME > 一般の方へ > 症状・病気を調べる > ヘバーデン結節 ) 指の第1関節(DIP関節)が変形し曲がってしまう原因不明の疾患です。 第1関節の背側の中央の伸筋腱付着部を挟んで2つのコブ(結節)ができるのが特徴です。 この疾患の報告者へバーデンの名にちなんでヘバーデン結節と呼ばれています。 いろいろな程度の変形があります。 すべての人が強い変形になるとは限りません。 原因は不明です。一般に40歳代以降の女性に多く発生します。 手を良く使う人にはなりやすい傾向があります。 遺伝性は証明されてはいませんが、母や祖母がヘバーデン結節ニなっている人は、 体質が似ていることを考慮して、指先に負担をかけないように注意する必要があります。 私も50歳くらいの時、朝起きたら、指がこわばって、痛くて包丁を握ることも出来なくなって、 これでは、料理も掃除も何も出来ないと思って、慌てて整形外科に行ったら、 まずリュウマチの検査をして、心配ないと分かると、ドクターが、 「これは加齢による現象なんですね。一応、ヘバーデン結節という病名はありますが、 治療は、痛いときに痛み止めを飲むくらいです。 進行はゆっくりですから、生活に困ることはなく心配要りません」 との説明でした。 「心配は要りませんていわれても、痛くて困るんですけど」 と、思いましたが、痛み止めを貰ってその時はかえってきました。 私の場合、祖母も、母も、姉も、ヘバーデン結節です。 ですから、別に働き者でもない私がヘバーデン結節なのは、たぶん遺伝ですね。 その後、季節の変わり目や、朝起きたときに、こわばって痛くて、どんどん進行して、色々な指に拡がって困りましたが、 今現在は、いい方法をみつけて、進行も止まって、痛みもあまりありません。 |
そのいい方法とは、合谷という、親指と人差し指の付け根の三角地帯のツボ押しです。 このツボは、肩や首のこり、眼精疲労、頭痛、頭重感、倦怠感、慢性疲労、不眠、 歯の痛み、鼻づまり、花粉症、便秘、下痢などの症状に効く、万能のツボといわれます。 最初に友人から教えて貰ったときには、ツボなんてあまり信じませんでした。 ところが、ところが、やってみたら、よく効くんです。 合谷のツボを押しながら、手のひらをグーパー、グーパーと開いたり閉じたりすると、痛みはなくなります。 嘘だと思って試してみて下さい。 (効かない人もいるでしょうけど、一銭もかからないで、すぐできますから、ぜひ!) |
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先日、NHK総合、土曜日、午後8時15分に毎週放送している |
坐骨神経痛は良くなったり悪くなったりで、 悪いときは夫に、 「私はもう車椅子になるかも」 等と言って、困惑されたり、 「来週は、テニスできそうだわ!すっかり治ったみたい」 と言ったりで、一喜一憂です。 25日(火)に整形外科に行ってきました。 コロナのせいか、思ったよりずっと空いていて、10分くらい待ちで、 診察してもらえました。 レントゲンを撮った後、脚を色々動かしたり、触って、 痛みや動きを調べて、再度診察室に呼ばれて、話を聞きました。 |
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「レントゲンで見ると、脊椎骨がかなり曲がっていますが、 問題になるほどの所見はありません。痛み止めを2種類と ロキソニンの貼り薬を出すので、 一週間様子を見て、再度、診察に来て下さい。 全く変わらなければ、MRIを撮りましょう」 とのことでした。 「デザートは 昔ケーキで 今薬」等という川柳がありますが、 上の写真の通り、降圧剤、抗高脂血症剤、胃腸薬、痛み止め、誘眠剤。 朝3錠、夜5錠、寝る前1錠と、薬漬けの高齢者となってしまいました。 でも、これらの薬のおかげで、私は、何とか元気なのでしょう。 坐骨神経痛は、薬を飲んで、セルフ整体で、かなりいい調子です。 首痛にずっと悩んできましたが、頸椎が曲がっていると思って一所懸命、頭をまっすぐに姿勢を正そうとしてきましたが、 脊椎がS字に大きく曲がっていたので、体側を胸と腰で反対に押して、自分で整体を試みたら、 脚の痛みもなくなり、首の痛みまでもかなりよくなりました。 ちょっと希望が見えてきました。 もしかして、治って又テニスが出来るかも! どうかそうなりますように |
座骨神経痛を経験したことがありますか? 腰や脚の色々な部分が痺れたり、痛かったりして、とても辛いものです。 私は、10年前に脊柱管狭窄症の手術をしました。 症状は座骨神経痛。 最初は腰が痛くなって、内臓の病気かと思った。 検査しても何もなく、整形外科に行ったら、 「加齢による変形性関節症です。痛いときは痛み止めを飲んで下さい」と言われた。 最初はそれほどでもなく、痛み止めを飲めば消えていた痛みが、 脚のあちこちに移動して、ちょっと歩くと痛く、じっとしていても痛くて我慢できなくなった。 MRIをとって貰ったら、手術適応な程の脊柱管狭窄症。 思い切って手術をして貰った。 すると、痛みはすっかり消え、半年後には、テニスも再開できた。 (「脊柱管狭窄症」のブログ記事一覧) 医師には、 「再発することもよくあります」 と言われていた。 4,5年前に、又、座骨神経痛が出てきて、 「もうテニスは出来なくなるかな?」 と思ったけれど、テニスボールマッサージをするようになったら、 すっかり治って、元気にテニスも続けています。 それが1週間くらい前から、又、脚が浮腫んで、痺れて痛みを感じ出しました。 腰の痛みはほとんどありません。 大したことは無く、テニスをするとかえってよくなったりしてました。 でも、昨日テニスレッスンを受けたら、練習中も直後もよかったのですが、 夜になったら、座っていると脚が痛くて、立っていなければならないほどになってしまいました。 「テニスをするとかえっていい」「座っていると痛く、立っている方がいい」「腰は痛くない」 これは、ちょっと前とは違います。 色々な格好をしてみたら、姿勢をよくして、お腹をへこますとあまり痛くありません。 お腹の腹直筋が硬くなっているみたいです。 そこで、テニスボールマッサージを腹ばいになってお腹にしてみました。 |
左のイラストより、もっと腹ばいになって、 上腹部から腿の内側まで、マッサージです。 すると、浮腫みもとれてきて、うんと痛みがよくなりました。 今まで、テニスボールマッサージは、 臀部、腰、背中、首、脚をしていたのですが、 お腹をしていませんでした。 これを続ければ治るでしょうか? 治りますように 年齢につれ、あちこち痛みが慢性化します。 まだもう少し、テニスしていたいなあ~ |
コロナ感染者が、又増えてきたと思ったら、 今度は、九州で梅雨末期の豪雨です。 大変な被害になっています。 まだ、雨は暫く続くらしく、 油断は出来ないそうですね。 家の近くの神田川も増水して、 高井戸駅近くの玉川上水の水が流れ込むところには、 ゴイサギが獲物を狙って待っていました。 疫病と天災は、歴史上でも沢山あって、 それが重なることも多いようです。 奈良時代には天然痘が流行って多くの人が死んだし、 江戸末期には、開国が大問題の時に、 大地震が続いて、コレラも流行ったそうです。 |
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結核も長いこと、不治の病として、感染が恐れられてきました。 コロナ再流行(?)と毎年のように襲ってくる豪雨災害をみると、 何かもう、日本はすっかりダメになって、暗い社会になるような気持ちになり、 きっともう、苦しい老後しかないと憂鬱になります。 でも、考えてみれば、天然痘だって、コレラだって、結核だって征服したし、 大地震や津波、火山の大噴火だって、大変な時期はあっても、 穏やかな日常を取り戻してきたのです。 あまり悲観しても、仕方ありません。 命がある限り、楽しいことを考えて暮らしましょう! |
「清原翔、脳出血で緊急手術 命に別状なしも予断許さない状態」 |
びっくりしました。 モデルで俳優の清原翔さんが脳出血で、入院、緊急手術を受けたとのこと。 朝ドラ「夏空」でヒロインなつ(広瀬すず)の兄役で、ブレイクして、 ドラマやCMで、大活躍している人ですよね。 私も、このニュースを見て、すぐに 「あの人が!?」 って、顔が浮かびました。 まだ、27歳だそうです。 脳出血は、全体には手術適応の場合は少なく、 原則として血圧のコントロールや抗脳浮腫薬の点滴などの内科的治療が主体となります。 症状も点滴のみで安定する場合がほとんどです。 しかしながら、出血部位に問題がある場合や出血量が多い場合などは、 手術が必要となります。 出血で破壊された脳の再生は難しく、 出血部位や出血量によって、後遺症の軽重も違ってきます。 若く爽やかな笑顔が、少しでも早く戻ってきますように祈るばかりです |
大坂選手、2回戦も順当に勝利しました。 相手は、ランキング42位で、中国の鄭賽賽選手。 多彩な攻めで、戸惑うこともありましたが、 きっちり勝ちきりました。 次は15歳、ガウフかも 話は違いますが、 昨日の日比野菜緒選手と彭帥(中国)選手の試合を 観ていたら、フルセットになって、 彭帥選手の足が攣って動けない状態になりました。 ところが、足の痙攣では、メディカルタイムアウト (怪我や体調不良で、医師やトレーナーの応急処置の時間をとれる) を取れない規則だそうで、 |
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痙攣であることを確かめると、ちょっと、水を飲ませてくれただけで、 タムバイオレーション(試合中に時間をとって試合を遅らせた時の罰則)をとられ、 日比野選手に得点が与えられました。 その後、彭帥選手の痙攣はますますひどくなりましたが、頑張って試合を続けました。 結果、全く動けず、日比野選手の勝利となりました。 昔、松岡修造が痙攣を起こして倒れて、彼のことですから大げさにアクションしたら、 足の痙攣に、メディカルタイムアウトが認められるようになり、「シューゾールール」と呼ばれたそうです。 ところが、「シューゾールール」で、足が攣ったと言って メディカルタイムアウトを取る選手が続出したので2010年に廃止されたそうです。 私は、以前は、よく足が攣って動けなくなりましたが、 最近はこれ(↓)のおかげで、大丈夫になりました。 漢方薬の芍薬甘草湯です。 今では、多くのスポーツマンや、登山愛好家が使用してます。 即効性があるので、飲めばプレーを続けながらでも短時間で治ります。 痛みがあるときは、医師やトレーナーが鎮痛剤などを処方するのですから、 選手の足が痙攣したら、これを使うようにして欲しいです。 動けないのに無理すれば、肉離れになったりして、治るのに長い期間がかかります。 昔に比べて、沢山の試合をする選手は、未然に怪我を防ぐことは重要です。 観ている方も、勝った選手も、いやな気分が残ります。 是非、検討して欲しいと思います。 |
昨日は、久しぶりに 三鷹の杏林大学付属病院に行ってきました。 自分自身のことでなく、お見舞いです。 くも膜下出血になって この病院に救急車で運ばれ、 入院、手術を受けたのは、19年前のこと。 |
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その後、いろいろトラブルもあって3回入院し、2回手術を受け、 2010年には、腰部脊椎管狭窄症で、この病院で入院手術を受けました。(最初はSAH>脊椎管狭窄症) |