最初はSAH

2000.11にくも膜下出血(SAH)発症。無事後遺症もなく生還。今興味あること:脳のこと,教育のこと,テニスのこと

甦りの会

2015-05-15 16:56:00 | グルメ

一昨日は、銀座の極上串焼き「匠」でランチしました。
串焼きと聞くと私など、居酒屋の、材料を串に刺して焼いただけの
いったいこれは料理というのかと思うものが頭に浮かびますが、
ここはさすがに銀座の極上串焼きのお店だけあって、
材料を吟味して、だしや調理にこだわって作ったものを串に刺した懐石料理です。

最初に出てきたのが、「ごま豆腐、角煮、生で食するエノキ美人のサラダ」
次が他の人は「ささみと和牛とジャガイモ」でしたが、
私は予約をしてくださった方がお店に鶏は苦手と言っておいてくれたので、
ささみの代わりに南の島豚でした。
どれも柔らかく、お肉の味をゆっくりと味わえました。
その次は「和牛つくね、ゴボウのベーコン巻き、帆立、エリンギ、カボチャ」
味のしみた柔らかいゴボウのベーコン巻き、美味でした。
御飯、赤だし、漬け物も、とても家庭とは違った美味しさ。山芋のお漬け物美味しかった。
デザートはいちごのブランマンジェ(ちょっと洋風?)とメロン。

お食事の後はダロワイヨでケーキとお茶をしておしゃべりしてきました。

この会は、海音寺潮五郎記念館があった頃、「アートフラワーの会」と称して
月一でアートフラワーを作っていましたが、
記念館がなくなって、2ヶ月に一度のランチの会になったものです。
私が加わってから、25年くらい経ちます。

メンバーは80代2名。70代1名。60代4名。私は若い方から2番目!
この会のすごいところは、皆さん年も大病も克服して元気溌剌というところです。
私はこの会を「甦りの会」と名付けてます。

肋骨まで達していた乳がんを克服したF 夫人。スキルス性胃がんを克服したKさん。
骨折して膝に人工関節を入れたMさん。去年皮膚がんを摘出したHさん。
それにくも膜下出血を克服した私。

最年長の今年86歳になるN夫人は相変わらず、毎日朝昼晩スケジュールいっぱい。
韓流ドラマの大好きなTさんも相変わらず博学。

去年からがんで友人が3人も亡くなりましたが、
この集まりに出ると、がんも治るものだと思えます。

そうです! 年をとっても、たとえがんになろうと脳卒中になろうと、
骨折しようと、元気に楽しく今を生きよう!!

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神代植物公園

2015-05-08 19:11:28 | Weblog
神代植物公園に行ってきました。
爽やかな五月晴れ。
連休明けで公園は空いていて、
年寄りと幼稚園の遠足の親子連れがいて
丁度いいくらいの賑わいでした。

シャクヤクは咲き始めで、つぼみがいっぱいでしたが、
来週来ればよかったかなという感じ。

バラも咲き始めでしたが、かなりいっぱい咲いていて、
色も姿も香りも十分に楽しめました。

木陰のベンチで新緑を愛でながら、薔薇ソフトクリームを食べて、
ゆっくりガールズトーク(お婆さんトーク)

深大寺をお参りして、
深大寺蕎麦を食して帰ってきました。

気持ちのよい、お得な一日でした。
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露天風呂付別荘

2015-05-05 19:17:50 | Weblog
連休は何の計画もなく、家の近くを散歩でもと思っていたら、
叔父が八千穂の別荘に来ないかと誘ってくれました。
8年前、息子が大学に受かった年に行ったきりです。
「八千穂に行ってきました!」
「露天風呂を作ったから、入りにおいで」
と言ってくれていたのに、ちっとも行かずにいたので、
夫と二人でお誘いに乗って行ってきました。

3日、朝6:00に家を出たら、もう高速は何処も渋滞マーク。
家からは中央高速で行っても、関越、上信越自動車道で行っても、
丁度同じくらいの距離です。

カーナビの指示通り、
外環から関越に入るコースで行くことにして走って行きましたが、
入り口近くになるともう渋滞。地図で見たら花園インターで入れば
大丈夫そうだったので、また延々一般道を行って、

花園で入ったら、ちょっと走ってまた渋滞。
結局、上信越道に入って、富岡まで断続渋滞。
その後漸く走り出し、八千穂の別荘に着いたのは、昼過ぎ。
途中で買った「峠の釜めし」をみんなで食べました。

別荘の周りは、静かで鳥のさえずりが聞こえるだけ。
「やっぱり来てよかった!」と思いました。
午後は少し散歩して、
叔父のご自慢の露天風呂に入りました。


ハシリドコロ(毒草)

ヒトリシズカ
ちょっとしたジャグジーだろうと思っていたら、
上の写真のようにゆったりとしたお風呂。
林の間から、そよ風が吹き、鳥の歌声を聴きながら、
遠くの山々を木々の間から眺めつつ、ゆっくりつかって、
極楽気分!!!

道からも、となりの家からも、丁度見えないようになっていて
心配なくのんびりと入れて、
こんな贅沢な露天風呂付の別荘はないと感心しました。
前に来た時も、まだ別荘は完成してないと言ってたけど、
たしかに進化しています。

自分でもったら管理が大変だけど、
こうして、好きな人が進化させてる別荘を、使わせてもらうのが一番!

コゴミ
昨日は山菜摘みに行きました。
8年前行った駒出池キャンプ場まで行ったら
オートキャンプの家族連れですごく混んでいました。

でも、35年別荘を愉しんでいる叔父は、
よく知っていて、キャンプ場から一歩林道に入ったら人はいません。
熊が出そうでちょっと怖かったけど、
沢沿いに山に入っていくと「コゴミ」が群生していました。

叔父が「ワサビ」だと言った野草と「コゴミ」を摘んで帰ってきて、
茹でてマヨネーズで食べてみたら、「コゴミ」は美味しかったけど、
「ワサビ」は「ワサビ」の味がしません(茹でたら辛みが出ると言ったので)。
「へんだな?」と叔父は言ったけど、ワサビじゃなかったみたい(笑)
毒草じゃなくてよかった!
帰りは少し遅く出れば、渋滞はないだろうと思って、
真っ暗な林から聞こえるフクロウの声を聴きながら、夕飯を食べて、
7時半頃、八千穂を出たのですが、中央道は高坂から小仏トンネルまでぎっしり渋滞で、
行きよりはましでしたが、夜中の12:00になって漸く家に着きました。

自然の空気をいっぱい吸って、心も体もリフレッシュできました。
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友との別れ

2015-05-02 13:30:36 | Weblog

先週今週と訃報が続きました。
先週は中学時代の友人のお母さんの通夜で、
94歳で亡くなり、孫も曾孫も参列し、
「順送り」って言葉があるけど、それにふさわしいものでした。

でも昨夜は、私の大学時代のサークルの一年下の後輩の女性。
まだ早い!どんなにか心遺りだったでしょう!と思われました。
お実母さん、お義母さんもご存命とか…

彼女とは2012.11に開かれた「あけびの会」(「学生時代にもどって」)で、
何十年ぶりかで会ったけど、丁度乳がん手術後5年で、再発がわかって、
「ショックを受けている」と話していた。
でもあの時は、ピアノ弾いて聴かせてくれたっけ…
その後、明治神宮の花菖蒲を観たり(「明治神宮花菖蒲」」)、六本木でランチしたり(「六本木花郷」)、
そう、六本木は去年の11月でした。辛い副作用がありながらも抗がん治療、頑張ってしていたなぁ…

ご主人も私の二年上のサークルの先輩で、昨夜は卒業以来初めてお会いしました。
年はとっていたけど、少し話したら昔通りの先輩!
お二人の仲の良い卒業してすぐから、今日までの写真を見せてくださいましたが、
「もう~、こんなに仲がいいから神様が嫉妬したのかも…」と思ってしまうほどでした。

昨年から同年代の友だちが3人癌で亡くなりました。
色々考えちゃうけど、今をよりよく生きる努力をするっきゃないな!と思います。
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外来診察 執刀医との再会

2015-05-01 12:28:10 | くも膜下出血
脳動脈瘤の破裂によって起こるくも膜下出血は、
突然死の代表病で、ドラマなどによく出てくる。
突然発病するので、多くは救急車で運ばれ、緊急手術となる。
病院を選ぶ余裕も、執刀医を選ぶ余裕もないことが普通だ。
そのまま入院になるが、大きな病院では病棟では執刀医が担当でないこともある。
さらに退院後、暫くは通院となるが、外来ではまた違う医師が主治医になることも多い。

私は、2000年11月、くも膜下出血を発病して救急車で運ばれ、手術を受けたが、
一度も患者としてかかったことのない病院だった。
手術後、幸い病棟では、執刀医が担当医になり、
外来でも執刀医に診ていただけることになり、実によかった。
その後感染などのトラブルがあって、再入院、再手術など計4回も入院し、
すっかり脳外科のなじみの患者になってしまった。
でもその都度、丁寧な病院スタッフのおかげで、現在も元気に大病をしたとは思われない生活を送っている。

あの大変な状態から、15年が経とうとしている。
私は、数年後破裂したものと反対側に小さな脳動脈瘤が見つかり、血圧も高いので、
経過観察と血圧管理のためずっと通院している。

手術したのは大学病院だったが、執刀医の先生も数年後、アメリカに留学されて、
後を引き継いでくださった、2度目の手術の執刀医の先生も、他の病院に移られ、
現在は、自宅近くの地域の中核病院に通っている(脳外科はその大学病院医局系列の医師が多い)。
そこに通うようになってからもう、3回主治医が代わった。
個人の病院でないのだから仕方のない話し。

私は色々と病気をしたおかげで、医師とのコミュニケーションはけっこう出来るようになったが、
やはり慣れない先生には、短い診察時間の間に訊こうと思っていたことを言い出せず終わってしまうこともあった。

その病院に4月から最初の執刀医で長く診ていただいたF先生が赴任されていらした。
昨日、外来診察を受けてきました。7~8年ぶりの再会でした。
こんなラッキーなことがあっていいのかしら!

暫くは病院通いも苦になりません
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