最初はSAH

2000.11にくも膜下出血(SAH)発症。無事後遺症もなく生還。今興味あること:脳のこと,教育のこと,テニスのこと

義母の回復ぶり!

2011-06-30 15:11:01 | 医療と健康
肋骨骨折で月曜日(27日)に入院した義母の回復ぶりには驚かされます。
昨日は義姉に任せて私は行かれなかったのですが、夕方夫が行ったときは、
夕食が出されていたのに、自分では動けないで、
食べらずにベッドに横たわっていたとか。
「なんて不親切な病院なんだ!転院させよう!」
なんて怒っていました。<孝行息子でしょ

今日、私が「遅くなっちゃった」と思いつつ、
12:10に病院に着いたら、ベッドに座って食べていました。
「えっ!自分で座れたの?」
って汗を拭き拭き言ったら、
「そうよ」
と涼しい顔。全然痛くなさそうでびっくり。
「食欲がなくて…これ美味しいかなと思って食べたら、すごくまずいの」
と母の嫌いな魚と野菜を指さして言う。
「パンを買ってきたけど食べる?」
と訊くと、
「少しいただくわ」
と言って食べ、自動販売機で買ってきたジュースを
「冷たくて美味しいわ」
と言って飲んだ。
トイレに行くときベッドから降りたり、上ったりするのももうほとんど痛くないみたい。
トイレまで歩くのは、スイスイ。
相変わらず、必ず病室を間違て隣の男性の部屋に入ろうとするけど…<笑>
まったく、素晴らしい回復力。看護師さんもびっくりしてました。

退院したらしばらく大変だと思ったけど、これなら大丈夫。
よかった<ホッ>
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義母入院

2011-06-27 17:38:53 | 医療と健康
今朝8時少し前に義母の朝食を持って階下に行ったら、まだ雨戸も閉まって部屋が暗いので、
寝ているかと思って、NHKの朝ドラが終わってから、もう一度様子を見に行きました。
まだ暗かったのですが、もう起こしてもいいかと入っていったら義母が奥の寝室に倒れていて、
「Mayakoさん、助けて!」
と言いました。びっくりして近寄ったら、
脇胸を押さえて
「ここが痛くて!」
と悲痛な声。
「どうしたの?」
「雨戸を開けようと窓のところに行こうとしたら∞≠∝≫∃∀…」
起こそうとしたら、悲鳴を上げたので、2階にいて、学校に行く支度をしていた息子を呼んで119番。
これは、肋骨骨折だと思いました。

救急車の人は、様子を訊くと
「整形外科のある病院を探します」
と言って、西永福にある樺島病院に行くことになりました。
救急車に乗せるときも、乗っていて少し揺れても
「アイタタタタタ……」
でも意識もはっきりしているし、他に怪我もないようなので、そうあわてませんでしたが、
「しばらく動けなくなると歩けなくなってしまうのでは…」
それが心配でした。
検査の結果、肋骨を4本骨折。ぽっきりおれていました。
ドクターが言うには、
「肋骨はつきやすいので、自然治癒を待つしかありません。でもこれだけひどいと1ヶ月半以上はかかります。
少し経過を見て、問題なければ、1週間から10日で退院。退院時はまだ痛いかもしれませんが病院ですることはないので」
だそうです。
でも、午後にはリハビリで寝たままでしたが、足を動かしてくれたし、
トイレもなんとか歩いていけました。
ベッドへの上り下りがとても痛そうだけど…

よい経過で治ってくれますように
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叔母の葬儀

2011-06-26 17:32:36 | Weblog


叔母の葬儀が今日行われました。
つい最近まで社長だった会社との合同葬となったので、
たくさんの会葬者がありました。
叔母はFテレビ一期生で、番組制作会社にずっといましたから、
会葬者はほとんどがテレビ関係の人でした。

昨日通夜でしたが、息子が
「僕はそんなに早く行かなくてもいいよね」
と言ったので、
「お手伝いすることがあるかもしれないから早めにいらっしゃい」
と言って私は早くに会場に行ったつもりでしたが、
全くお手伝いなど必要ない状態でした。
喪主の叔父も、
「これだったら、番組で葬儀場面は何度も作っているだろうから、葬儀屋に頼まなくてもよかったかも」
と冗談を言うほど、葬儀の手はずはどんどんと進められていました。



供花下さった方は、よくある祭壇の左右に置かれる名札付きの生花ではなく、
お花代として使わさせて頂いて、名札が並ぶ形だったので、
この名札の順がかなり問題になっているようでした。
そういうことに一番うるさい叔母でしたから、起きあがって
「そこは逆でしょ!」
なんて、言いたいのではないかとみんなで苦笑しました。

叔母は結婚せず、仕事一筋でしたが、会社経営にまで携わり、出棺の時は
「おとみさ~ん!」と大きな声で見送られたりして、満足して旅立ったことでしょう。
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生と死

2011-06-21 15:45:38 | 医療と健康


先週の木曜日に甥っ子のところに赤ちゃんが生まれました。結婚してから子どもがほしくても、なかなか恵まれず、
待ちに待った待望の赤ちゃん、女の子でした。
日曜日、19日に生まれたてほやほや赤ちゃんを

ちょっと拝見させてもらってきました。
今時、無痛分娩はふつうで、麻酔を使うので、
少し大きいと分娩に時間がかかって、
最後は帝王切開になることが多いとか…
帝王切開も本当に後が楽だそうで、
ママはもう元気にすたすた歩いていました。
二人で必死につついて、目を覚まさそうとするのですが、
迷惑そうに片目を開いて見せてくれただけでした。
本当に幸せそうな新米パパとママ!心が温かくなる光景でした。

そして、その後…
母の妹である叔母の容態が悪いと聞いたので叔母の家にまわりました。
母と同じ膵臓癌を宣告されて丸一年。
訪問医が付き添っていましたが、とても苦しそうでした。
意識もはっきりとはせず、私のこともわかったか…?
それでも、寝ていると苦しいから椅子に座りたいようなので、
みんなで車椅子に移したり、又やはり横になりたいと言うのでベッドに移したり…。
色々はっきりしない言葉でしゃべっていました。覚醒はしていました。
そして7時過ぎ、眠れるように薬を入れました。
呼吸は苦しそうでしたが、だいぶリラックスして眠りました。
ドクターはとても危険な状態だから、明日朝一番で又来ますとおっしゃって帰られました。
私はそこで晩ご飯をご馳走になり、8時に帰りました。
「これは大変そうだなぁ!」と思いつつ…

昨日早朝、私の帰った2時間後くらいに息を引き取ったことを知らされました。
きれいに死化粧を施された叔母は10歳以上若返っていました。
前の日の苦しさはまったく感じられないほど、本当に本当に安らかな顔でした。、
「よく頑張ったのね!もうゆっくりお眠り下さい」と声をかけました。

この一年、本当にすさまじい闘病生活でした。
決して諦めず、最後まで自分らしく有意義な生活を送ろうという迫力、
結婚もせず、仕事一途で自分たちで作った会社を最後まで(82才)で見守って…
記念館を心配して…
並の人間ではありません。

時代は流れていくんですね
……………

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美味しいランチ

2011-06-15 15:52:21 | グルメ


  

        
昨日は、美味しいランチをいただきました。
レストラン「モナリザ」丸の内店
丸ビル36階にあり、皇居が目の前に見えロケーションも、雰囲気も、味も超一級のレストラン。
ちょっとお値段ははりますが、美味しいもの雰囲気良くゆったりと食べたいと思ったら、お薦めです。
絶対にお値段の価値はあります!
何年か前に「モナリザ」恵比寿店に行った時(まだ丸の内店はなかった)、とても美味しかったので、
今回ランチの場所選びを任されて、ここを選んで大正解!
イタリアンテイストも入って、自分の農場で採れた野菜、器にも工夫がいっぱい!
一番上の左側、お皿の間に紫陽花が挟まっていて季節感も味わえて嬉しくなりました。
こんなに見た目が美しいと、「見た目は素敵でも味はどうなの?」なんて思うかもしれませんが、
色々なところでランチの会がありますが、私はフレンチではここが一番好きです。
とってもとっても美味しいんです。

以前ブログに書いたフィレンツェモザイクにはまって
10年以上フィレンツェにいた従妹のYossyちゃん(鹿児島出身)が
さすらいシェフの圭一郎さん(鹿児島大口出身…なんと海音寺潮五郎と同郷!)と結婚して
帰国して鹿児島にレストランを開くことになったので、お祝いランチをしたのです。
はるばるイタリアまで行って結局、鹿児島の人と結ばれるとは…フフフッ

実はこのランチも二人が3月16日に帰国して、一週間くらいは東京にいるというので、
企画していたのですが、震災と原発事故がイタリアでは東京も「壊滅的で危険」と報道され、
直前に関西国際空港に変更して帰国、そのまま鹿児島に行ってしまったので、できなかったものです。

Yossyちゃんはフィレンツェモザイクはしばらくお休みして、
鹿児島市内天文館にイタリアンレストランを開くそうです。
もう場所は決まったそうですが、まだお店が空いていないので、準備のために東京に来たとか…
8月終わりには開店予定だそうです。
又その頃にはお知らせします。

イタリアで腕を磨いてきた圭一郎さん、どんなに美味しいものを出してくれるか楽しみです。
でも、鹿児島にはそうは行けないのが残念

 

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クラス会~母の友達~

2011-06-07 23:47:43 | Weblog



今日は記念館で、母の女学校時代の友達のクラス会がありました。
母は自由学園に通っていましたが、卒業前に鹿児島に疎開して卒業生になれなかったそうです。
それなのに仲間に入れて頂いて、母の生前から記念館でクラス会をしていました。
母が亡くなってからも、皆さんが「ここが落ち着く」とおっしゃって下さって、記念館に集まっていらっしゃいます。
去年は6月16日に行われています。(「クラス会」
皆さん85才になられますから、なかなか集まるのが難しくなってきてはいますが、
今年は、9名のご参加がありました。
実は、この会、3月15日に予定されていましたが、あの大震災で延期され今日になりました。

でも、そばでお話や、様子をこっそり見させて頂きましたが、本当にびっくりです。
写真前列の左から2人目は映画監督の羽田澄子さんです。
彼女の最新作『遥かなるふるさと 旅順・大連』は岩波ホールで2011年6月11日(土)~7月上旬まで上映予定です。
85才で映画を作っている!!!
彼女の生まれ育った町だそうです。どんな作品か観てみたいです。

そして、原発事故で原子力発電のこれからが議論になっている今、
まだ原発ができたばかりで、事故も一度もなかったときに、
先行きを危惧する気持ちで作った作品が緊急上映されることになったそうです。
羽田さんはどんな内容だったかも忘れかけていたのを岩波ホールのスタッフ(?)が見つけてきて、
16ミリで作ったものをDVDにしてくれたので、みてみたら今上映に適するものだと思ったので承認されたそうです。
『遥かなるふるさと 旅順・大連』の2回目と3回目の間の時間に上映され、
『遥かなるふるさと 旅順・大連』とは期間も異なり、別料金だそうなのでお気をつけて下さい。

◆緊急特別上映『二人の記録映画作家が見た原子力発電』2011年6月13日(月)~6月30日(木)@岩波ホール
※上映は平日のみ
東京都千代田区神田神保町2-1 岩波神保町ビル10F
入場料:1500円
時間:16時50分~
プログラム:『いま原子力発電は…』『原発切抜帖』

羽田さんだけでなく、他の方々も話題が豊富で会話は古い話から最新社会事情まで、
本当に85才の方々の集まりかと目と耳を疑うほどでした。

鰻重をたいらげ、素敵なハモリで賛美歌を歌って散会。
あんな風に年をとれたら最高です

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テニス復帰しました!

2011-06-03 20:50:52 | 脊柱管狭窄症


ついにテニススクール、本日復帰しました!
去年は武蔵野ドームテニススクールと武蔵野テニスシティー(両校は姉妹校)の両方に通っていたのですが、
もう、両方は無理ですから、どちらにしようか迷ったあげく、シティーにしました。
レギュラークラスにした、金曜の午後1クラスはレギュラーメンバーも少ないし、ゆったりしたペースで、
前から知っているコーチなので、大丈夫だろうと思って決めました。

とは言っても、約一年ぶりで、脊柱管狭窄症の手術後ですから、途中で痛くなるのではと、おそるおそる…
最初は、ボレーのスプリットステップもすっかり忘れて、どうやるんだっけって感じでした。
でも、だんだん調子に乗ってきて、試合練習ではポーチボレーも積極的に出られて楽しかった
今日はスクール生3人にコーチ1人。1時間20分のレッスン、多少息が上がったものの、楽しくできました。

やっぱりテニスはいいなぁ!
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