最初はSAH

2000.11にくも膜下出血(SAH)発症。無事後遺症もなく生還。今興味あること:脳のこと,教育のこと,テニスのこと

西城秀樹さん逝く

2018-05-18 22:04:49 | 脳梗塞
歌手の西城秀樹さんが、亡くなったというニュースが流れています。

新御三家といわれ、郷ひろみさん、野口五郎さんと共に
昭和の歌謡史の一時代を華やかに築いて、
大スターとして、多くの人の心の中に生きてきた人です。

娘が幼稚園の時に「Y.M.C.A」の曲が大流行して、
《夕涼み会》に近くの國學院久我山高校のブラスバンド部が来て、
この曲を演奏し、みんなで歌った覚えがあります。

彼は2003年、48歳の時に、脳梗塞を発症し構音障害の後遺症が遺りましたが、
懸命のリハビリで新曲を出すまでの回復を見せていました。

しかし、2011年、再び脳梗塞を発症して、半身麻痺その他、
前回より重い後遺症が遺ったそうです。
そんな中で、過酷なリハビリに励み、芸能活動、講演活動など、多くの人々に勇気を与えてきました。
健康にも十分気を配り、良い生活習慣に家族ぐるみで取り組んでいたとのこと。

先月25日(2018.4.25)に自宅で倒れ、病院に搬送されたが、意識は戻らないまま、5月16日に亡くなったそうです。
直接の死因は急性心不全とのことですが、医師の見解では脳梗塞と関連はあるだろうとのことです。

脳梗塞と急性心不全は「関係あるとみるのが自然」(スポニチ)


脳血管疾患(脳梗塞、脳出血、くも膜下出血)の救命率はどんどん上がってきて、2016年には、

       ↑ 主要死因別にみた死亡率の年次推移(人口10万対、人)(戦後限定)
グラフで見る通り、死因の第4位になって、一見、それ程心配がいらない病気になったと考える人もいるかもしれません。

しかしながら、脳血管疾患は、後遺症が遺ることが多く、
西城秀樹さんのように長い闘病生活が強いられます。

「命は助かったけれど…………」

本人も家族も生活が大きく変わって辛い思いをします。

脳血管疾患には
高血圧、高コレステロール、動脈硬化、飲酒、喫煙、ストレス、脱水等が、
深く関わると言われています。

遺伝的体質など、自分の努力ではどうしようもないこともありますが、
生活習慣を見直したり、薬を使ったりしてこれらの要因を改善して、
疾患を起こさずに済むことができます。

医師と相談しながら、
「転ばぬ先の杖」!!
自分でできることだけはしっかりして備えましょう!

それでも、病魔に襲われたら、その時はその時(笑)
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脳卒中予防薬

2011-02-24 13:12:50 | 脳梗塞
朝日新聞の朝刊にこんな記事が出ていました。
不整脈による心室細動が原因の脳卒中の新薬が、50年ぶりにでるという話。
これまでよく使われてきた「ワーファリン」はビタミンKを含む、
納豆、緑黄色野菜、クロレラなど身体によいとされている物がとれないという欠点があったが、
その点が改善されているということです。

今朝、テレビで東京マラソンが近いので、ジョギングの話をしていたが、
走る前に自分にあった走り方のアドバイスを受けた方がいいといっていたら
息子が「なんか不整脈がある気がする」
なんて、怖いことを言うので、
「一度、きちんと調べてもらえばいいね」
と言っておきました。
血圧も若い割には高めなので、脳卒中家系の血をひいているようで心配になります。
ちなみに娘は血圧は低すぎるくらいで姉弟の体質はかなり違うみたいです。

姉は夫似、弟は私似でしょうか?

でも、こうしてどんどん医学は進歩していっているわけですから、
そう怖れる必要もなく、積極的に検査を受けて適当なケアをしていけば大丈夫とは思ってますが…


★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

一昨日、近代文学館で見つけた幻の海音寺潮五郎作品

① 強妻五人女(きょうさいごにんおんな)昭和36.1 サンデー毎日特別号 毎日新聞
② 豪傑の話(ごうけつのはなし)   昭和15.6 日の出 新潮社
③ 喧嘩藤十郎(けんかとうじゅうろう)昭和32.4 講談倶楽部 講談社
④ 藤十郎帰参(とうじゅうろうきさん)昭和32.9 講談倶楽部 講談社
⑤ 勤王史蹟行脚(きんのうしせきあんぎゃ)昭和18.5.2, 5.9, 5.16, 5.23 週刊朝日 朝日新聞
⑥ 南方朗漫誌(なんぽうろうまんし)昭和18.6 週刊朝日 朝日新聞



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脳梗塞 新薬「tPA」

2006-08-08 11:13:12 | 脳梗塞
昨日の朝日新聞朝刊に昨年10月から保険適用になった
血栓を溶かすのに効果のある新薬「tPA」について書かれていた。
従来から日本では脳梗塞の血栓を溶かす薬としてウロキナーゼが使われていたが、
大量で投与での、出血性の合併症を招きやすいという欠点があり、
いまいち効果が期待できなかったという。

「tPA」は欧米などでは約10年前から
脳梗塞に使われている「ベテラン新薬」だそうだ。
日本でも心筋梗塞の治療には91年から保険適用されていたが、
脳梗塞に適用されたのは薬を巡る訴訟の影響もあってこんなに遅くなったそうだ。

国内の治験では、脳梗塞の発症後3時間以内にtPA治療を行うと、
3か月後に、ほとんど後遺症なく社会復帰できた割合は37%で、
米国での治験もほぼ同じで、社会復帰の割合は処置しない場合より5割高かったという。

しかし、全員に効果があるわけではないうえ、副作用もある。
発症から長時間たった後にこの薬を使うと、脳出血の恐れが高まり、
効果も乏しくなる。

そこで、治療の対象は
▽発症後3時間以内
▽CT(コンピューター断層撮影)検査で、脳出血の危険性が低いことを確認
などの場合に限られているということだ。

発症後、3時間以内というのは脳梗塞の場合、案外難しいと思う。
脳梗塞の症状ははっきりしないが何かおかしいということで始まることも多いので
本人が脳梗塞と気づかないことも多い。
また、他人が気づいた場合もいつ発症したかわからないこともある。
(義父の場合もベッドから落ちているのを見つけたが、いつ落ちたのかはわからなかった)
救急車がすぐ来ても受け入れ先が決まるまで時間のかかることも多い。

何しろ、脳卒中は時間との勝負だ。
例え命が助かっても、後遺症が怖い!
次のような症状があったら即病院へ!

①体の左右どちらかがしびれる。力が入らず動きが悪くなる。
②ろれつが回らない、言葉が出ない。
③片方の目が見えにくくなる、視野が狭くなる。
④ふらつく、立てなくなる。
⑤意識が無くなる。

参考
脳梗塞の新治療薬が保険適応に
脳梗塞に新薬 tPA
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センター2日目と義父の旅立ち

2006-01-23 10:56:38 | 脳梗塞

昨日は、あまりに色々忙しくブログどころではなかった。

1昨日、センター1日目を終えて帰宅した息子は
「あー!もうダメだ!英語で失敗しちゃった」
ともう半泣き。必死になってなだめて、
「もう今日のことは忘れてお風呂に入って寝なさい。明日また頑張れば大丈夫」
とこちらも、何とかなだめるのに必死だった。
そして、
「どうか今晩保ちますように!」
と義父の命があることを願った。

昨日朝、無事に息子を送り出してホッとしたところに病院より電話があった。
病院の入口に着くと息子から
「無事、会場到着」
のメールがあった。病室に着くと医師より
「呼吸数、心拍も落ちていてチアノーゼも出ているので、もう…」
という話、義母と夫が
「お父さん、来たからね!大丈夫だよ!」
と大声で言うと声が出た。
「あー、まだ大丈夫だ」
と言ったがその後すぐに心電図の波形が平らになって瞳孔も開いて臨終となった。

それからは、バタバタバタっともう、色々な連絡、決め事、
本当に目の回る忙しさだった。
すぐに霊安室から自宅に戻ったが、
日曜日であったので、お見舞いに来たら義父の死に目だった孫達、
子ども達に囲まれ、安らかな死に顔であった。

息子は、何も知らずにセンター試験を受け、
終わると、メールの知らせを見て慌てて帰ってきた。
義父が守ってくれたのか、
「今日の出来は最高だったよ、お祖父ちゃん!2次試験頑張るからね」
と線香をあげながら言っていた。

それにしても、義父は、もともと周りに気を遣う人だったが、
最後まで見事に一切人の世話にならずに旅立った。
しかも、「いまわのしおり」なるものをしたためてあり、
葬儀は子、孫、曾孫(持つことはできなかったので、娘と姪が謝っていた)、
自分とお連れ合いの兄弟などの近親者のみで行うように書いてあった。
辞世の歌までついていた。
★★★★★★★★★★★★
義父の辞世の歌

風雪も起伏も多き我が道に
     
      運と善意の光満ちたり

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センター1日目 大雪

2006-01-21 13:26:01 | 脳梗塞

    
今日はセンター試験1日目。
東京は大雪です。
今冬、雪が本格的に降ったのは今日が初めて。
今まで降らなかったのに、何故試験の日を狙ったように降るのかしら?
息子は用意していたトレッキングシューズを履いて、ホカロンをおなかに貼って
会場である八王子の中央大学に出かけた。
「会場に無事着いたら、メールしてね」
と言ってあったのに、なかなか来なかったので、インターネットで調べたら、
多摩都市モノレールがかなり遅れている情報があった。心配していたら、
「無事会場到着」のメールが入った。<ホッ>
あとは、死力を尽くしてがんばってもらうのみ!
リスニングテストが終わるのが18:40の予定。
帰宅はきっと混み合って8時半過ぎだろう。

義父の状態は最悪で、昨日医師より、
「もう、いつ呼吸が停止するかわからない状態です」と言われている。
先ほど、夫が病院の義父に会いに行ってきたが、昨日と変わらない様子だったそうだ。
どうか、もう少しがんばってくれますように!

義父の病気、大雪、全く色々なことがある。

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最悪!

2006-01-18 21:44:29 | 脳梗塞
昨日、夕方また、義父に病室に行った。
5時少し前に義母は
「また明日来ますからね」
と義父に言って帰った。一人で病室にいると、担当医が入ってきて
「ちょっとお話が…」
と言って、病棟のラウンジに行った。
そこで私は一人で大変な話を聞いた。
「つい今し方、胸水の最後の検査項目の結果が出たのですが、
 やはり、ガン細胞があって、ガン性胸膜炎を起こしていると思います」
さらにもうこの段階になると肺ガンに対する治療はなく、
溜まってきた胸水を抜くことで、多少楽にはなるが、
またすぐに溜まってくるのでもうあとは苦しくなってきた時に緩和処置を行うだけだそうだ。
間質性肺炎と脳梗塞の治療は一応続け、薬が効けば少し楽な時が持てるかも…とのこと。

そうか、やはりそうだったのか…
胸水を抜いた時、血液が混ざって濁っていた話をした時、
ちょっと、そんな疑い的なことを言っていたが…

さらに、今はまだ、こちらの言うこともハッキリわかっているが、
間もなく、苦しくなって緩和処置に入ると寝てしまうことが多くなりわからなくなるので
会わせておいた方がよいと思われる人には、連絡して見舞った方がよいとも言われた。
「息子の受験が終わる2月26日頃まで保つでしょうか?」
と質問すると
「う~~ん、どうでしょう。難しいかも…」
と言われた。

義父の弱り方があまりにも急激だったので
もしやそんなことも…
いやそんなことはないだろう等と思ってきたが、やはりそうだったのか…

家に帰って、義母にその話をした。
義母はひじょうにショックを受けた様子で
「え~っ、そんなに早く…」
と言って暗い顔になってしまった。
その後、病室によって帰ってきた夫が義母としばらく話していた。
何とか乗り切って欲しい。

★★★★★★★★★★★★

今朝、義母は
「夕べは眠れなくて」言ったが、大丈夫そうだ。<ホッ>

今日は午後、娘が仕事の休みの日なので見舞いにやってきた。
もっと早く来る予定が、娘自身が風邪を引いて寝込んでいたため、今日になった。
病室に入ると、今日は調子が悪そうで、
義母が「Yちゃんが来ましたよ」と言って
娘が「お祖父ちゃん!大丈夫?」と言うと
わかったようではあったが、またすぐ目を閉じてしまった。
しかし、帰り頃になったら、少し気分もよくなったようで、
帰り際には、娘が「バイバイ!また来るからね」というと手を振り返していた。

あ~あ、なんていうことだ!


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会話不能

2006-01-16 21:08:57 | 脳梗塞
義父はついに会話不能になってしまった。
口か喉の筋肉が麻痺しているのか、
こちらの言うことはわかるのに言葉をしゃべろうとすると
全く発音不明瞭で何を言っているのかわからない。
その上、肺が悪いせいで呼吸が常に荒く、
「フガフガ、ハアハア」といっているために
一生懸命話そうとする姿が痛々しい。

午後病院に行くと、病室に義母がいた。
義父が酸素マスクを無意識にはずしてしまうため、
手を拘束する許可書にサインさせられたと話した。
義父を見るとひじょうに苦しそうな顔をしている。
義母「何か言ってるんだけど、わからないのよね」
私 「お義父さん!どこか苦しいの?」
首を振る。
私 「どこか痛いの?」
うなずく。
私 「足?」
首を振る
義父「ふれ
私 「ふれ?ああ、腕?」
うなずく。
私 「縛っている手が痛いのね、わかった、わかった」
縛ってあった紐をほどくと、ホッとした顔をした。
私 「私たちがいる間は、酸素マスクをはずしちゃったら私たちがはめられるから、
   はずしておいても大丈夫ですよ」
義母「そう?」
真面目な義母は拘束許可書にサインしてしまったため、
触っては行けないと思ったようだ。
義父は、無理な格好で拘束されていたため、肘の関節を痛めてしまったようで
肘を触るとひどく痛がっていた。
拘束もやむを得ないとは思うが、話せない義父は意志が伝えられず可哀想だ。

看護師さんが点滴を変えに来ると、盛んに気にするので
私 「お義父さんのお薬の点滴ですよ」というと
義父「▼◇☆▲●□」(明らかに「そんなに悪いのか?」と言っていた)
私 「大丈夫、大丈夫。お薬を入れれば治りますよ」
義父… ちょっと安心した顔

肘を痛めた右手はすっかり動かさなくなってしまったので、
左手だけ緩く拘束して、看護師さんに話して帰ってきた。
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季節はずれの大雨

2006-01-14 21:30:51 | 脳梗塞
寒中だというのに今日は、東京は激しい雨が降りました。
午後3時頃、買い物に出ると途中で急に雨足が強くなり土砂降り。
傘を差しても全身濡れて、予報ではもっと暖かくなるはずが、
冷たくて、身体がすっかり冷え切ってしまいました。
神田川も一気に水かさが増し、昨年の大雨の日を思い出してしまいました。

買い物から帰って、夕方病院に行ってみると
義父は一昨日、昨日に比べ、ずっと調子がいいようで、
ハッキリと目が覚めていました。
一生懸命話そうとするのですが、上手く話せず、
なかなかわからない。
でも、「心配かけたね」と言っているのと
孫のことを心配して「帰っていいよ」と言っているのはわかった。
酸素マスクが鬱陶しいらしく、すぐはずしてしまう。
麻痺を懸念されている左手も自由に動かしている。
マスクをはずしたり点滴をはずさない様に、手袋をはめられていた。

ステロイドを使うと、免疫力が低下すると言われていたが、
昨日から、病室に入る時は、マスクをして手を消毒してはいるようになっている。
面会も2人までとドアに貼ってある。

でも昨日よりずっと容態がいいのでホッとした。
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義父の容態

2006-01-12 20:57:37 | 脳梗塞
昨日、今日と義父の容態はよくない。
病室に入って声をかけると一応わかるようではあるが
目を開けることさえ、疲れてできない。
呼吸はひどく荒く、苦しそうに見えた。
しかし、「苦しいの?」と聞いても首を振る。

医師の説明では、肺の状態は思ったより悪く、
水が溜まってしまっているということだ。
脳梗塞の治療以外に明日から、ステロイドを使った肺の治療も始めるそうだ。
効果は?と聞いたが、かなりよくなって治ることもある。
「こともある」とは???
副作用について聞いたが、免疫力が落ちたり、太ったりすることはあるが、
苦しかったり、痛かったりすることはないということなのでよかった。
義父はもう91才という高齢であるから、痛かったり苦しかったりするような治療をして、
多少寿命が延びるなんて治療はもうしない方がいいと思うのだ。
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無事転院

2006-01-10 17:51:49 | 脳梗塞
12時に病院に来るように言われていたので
少し早めに病院に着くと、義父は今日は、
とても気分良さそうにハッキリと覚醒していた。
担当医師も麻痺のある左手もかなりよく動いていますと言った。
左手で酸素マスクを動かしたり、義母が大胆に左手を指して
「お父さんこっちの手でジャンケンポン!」
というと、不完全ながらチョキを出した。
あの、脳のMRI画像を見せられた時には、
「これじゃ、片麻痺はひどくなってしまうのだろう」
と思ったが、かなり軽くて済みそう。〈これはいい!〉

その後、病院が救急車を呼んで救急隊員に優しく
「新しい病院に移りますよ!」といわれ、
またもや、ピーポー、ピーポーと運ばれていった。
今日の救急隊員は女性が一人混ざっていた。
大柄な女性で、始めは長髪の男性かと思ったが声を聞いたら、女性だった。
最近は、どんな職種にも女性がいるのだと思った。

浴風会病院に着くと、もうICUでなく、普通の病室が用意されていた。
医師は呼吸器にはかなり詳しい内科医で
義父の肺炎は、間質性肺炎だと言った。
しかし、肺炎の治療をするとなるとステロイドを多量に使うので、
今の梗塞のある状態では無理だと言われた。
肺のX線画像はひどく悪いが、まだ、左肺はすっかり侵されているワケではない。
またこの肺炎は外側から侵されるので、CTを撮ってみれば、
肺の中の方は案外まだ大丈夫かも知れない。
脳梗塞のリハビリは早いほうがいいが、肺炎がこのままだとはじめられない。
なかなか難しい状態だそうだ。

マア、でもとにかく、我が家の離れのような浴風会病院に転院できてよかった。

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簡単にはいかない!

2006-01-08 22:04:38 | 脳梗塞
今日も午後、義母と義姉と夫と私で父を見舞った。
昨日の父の様子でつい、もうどんどん良くなっていくような気がしたが、
やはり、脳梗塞はそう簡単でないことを痛感してしまった。

義父のベッドに行くと、最初、またほぼ一昨日の状態に戻ってしまったようだった。
言っていることがわからない。
「あ~、やはりダメか!」
と思ったが、話しているうちにだんだん元気が出て、ほぼ昨日の状態までにはなった。
しかし、昨日より良い状態にはならなかった。
左手も動かすことはできるものの、ものを握ることができないし、
少し、話の内容もおかしいところがある。
マア、91才だし、多少の老化現象的なことは前からあったかな?

でも、会話は成立していたし、夫のことも私のことも、義姉のこともわかっていた。
焦らず、回復を見守らなければ…
まだ、3日目ですもの。
Myホームページの掲示板には、「焦らず頑張って!」なんて書いてしまっていたけど、
いざ自分の家族のこととなると、つい、一喜一憂してしまうものだとつくづく思う。
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驚異的回復

2006-01-07 17:45:27 | 脳梗塞
昨日は、夫と2人で午前中、義父が受診する予定だった浴風会病院に行った。
緊急入院した至誠会第2病院の医師が
「肺の状態が悪いので、脳梗塞の発作を起こす前の肺の状態を知りたい。
至誠会病院には呼吸器科の医師がおらず、
脳梗塞に関しては外科的治療は必要なく、
浴風会病院は老人専門病院で脳梗塞についても十分な治療はできるし、
リハビリも専門的にできる。しかも自宅に近いので、
状態が許せば浴風会病院に転院して治療した方がよいのでは」
と言ったので至誠会病院の医師の手紙を持って行ったのだ。

浴風会病院の医師の話では、6日に来院して精密検査の結果と
義父の様子で、肺の治療をはじめなければいけないかなと思っていたとのこと。
そして、肺炎は普通の抗生物質の効く肺炎でなく、
肺胞が固くなってしまう、間質性肺炎だと思うと言われた。
転院に関しては、義父の状態が良ければ、
火曜日(10日)にOKということになった。
浴風会病院に転院できれば、いつでも誰もが行けるのでよかった。〈ホッ〉

午後は至誠会病院に行って義父を見舞った。
こちらの言うことはわかっているようだが、何を言っているかわからない。
私のこともわかっているかつかめなかった。
字を書きたいという様子を見せるので、ボールペンを持たせたが
動く方の右手も震えてかけなかった。
何か言いたい様子なので、あいうえお表とマジックペンとレポート用紙を買ったが
病院に戻ると疲れて寝てしまっていた。

午前中にとったMRIの画像を元に医師の説明があった。
頭の画像では右中大脳動脈の先の方の閉塞が血管が途中で消えていて
素人でもはっきり確認できた。
脳も「ここが脳の病変」と言われるとハッキリわかった。
肺も右肺は真っ白、左肺も白い部分が広がって正常なのは半分位だ。
肺が上手く機能していないので酸素不足で梗塞部分が広がる可能性もあり、
状態は決して良くない。火曜日までICUで治療を続け、
状態が良ければ救急車で転院可能だが、ダメになることもあるといった説明だった。

家に帰っても、夫と2人で
「お父さんは、もう元通りにはなれないね」
とちょっと暗くなって話し合った。

ところがところが、ビックリ !!!
今日の午後病院に行ってICUに入ってベッドに行くと起きている様子。
「お父さん、来ましたよ!」
と義母が言うと
「ちょっと、チリ紙とって」
とハッキリいう。ティッシュをとって
「何したいの?」
と聞くと
「洟をかみたい」
と言うではないか!
「洟なんかでてませんよ!」
と義母が言う。看護師さんがそばに来て
「奥さんが見えましたよ。奥さんのお名前は言えますか?」
「〇〇〇〇〇」
ちょっと聞き取りずらかったがちゃんと言えた。
看護師さんが
「いつもはなんて呼んでいらっしゃるんですか?」と聞くと
「名前なんて呼んだことないよ!」と答える。
すかさず義母が
「そうよ。『おいっ』とかいうんですもの」
看護師さんが行ってしまうと
「至誠会病院は、家族がみんな世話になっていい病院だし、
看護師さんも隣の人には優しんだけど、
自分には乱暴に洟をほじったり、口の中をかき回したりするから、
もっと優しくやってっていうのに、隣の人と同じにやっているって言うんだ」
と文句を言う。
「痰が詰まったりすると大変だから、仕方がないのよ」
「浴風会病院でもらった薬(痰を切る薬を暮れにもらって飲んでいた)
を使って欲しいのに」
「ダメなのよ!この病院のやり方があるんだし、薬は飲めないの!」
その後はもう、いつもの夫婦の会話。
この冬の寒さと雪のこと、姉歯物件のこと、果ては日本の国連常任理事国入りの話まで。
「じゃあ、明日また来ますから」
「うん!」
もうビックリシャックリ。一体あの昨日の脳梗塞部分はどうなったのだろう?
手も足も昨日とは違って多少不自由はあるようだが動いている。

でも、ほんとうによかった。こんなに早く元の義父に戻れるなんて!
バンザーイ !\(*^o^*)/バンザーイ!

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脳梗塞&肺炎

2006-01-06 17:46:44 | 脳梗塞
昨夜、夕食の後かたづけをしていると階下の親世帯からのインターフォンが鳴った。
受話器を取り上げると
義母 「H(夫)いる?」
というので
私  「今お風呂に入っているんですけど…」
義母 「お父さんがベッドから落ちて持ち上げられないので手伝ってもらえないかしら?」
案外落ち着いた声、
私  「えっ!今行きます!」
義母 「ダメよ!mayakoさんじゃ、重くて持ち上げられないわよ」
何だかわからないけど、不吉な予感がして風呂に入っている夫に
私  「お父さんがベッドから落ちて持ち上げられないって言うんだけど…」
夫  「えっ!」

夫は慌てて途中で出てきて、私と階下に行った。
義父はベッドから落ちてそのままの格好で倒れている。
夫  「お父さん!どうしたの?わかる?」
義父 「★▽▲●◎」
何を言っているのかわからない。
義母 「何か、呆けちゃったみたいなのよね」
とっさに、脳梗塞だと直感した。
私  「救急車呼ぼう!」
義母 「救急車いるかしら?」
義父 「▽◇◆★近所●▲迷惑《▽いらん」
夫  「ダメ!すぐ電話して!」
私  「動かさないで、毛布を掛けてあげて!」

119にTEL。数分後に救急車到着。
私はすぐにmyホスピタル杏林に運んでくれるよう頼んだけれど
救急車で入っても1時間以上は待たされるということでダメ。
N中央病院は当直医に脳外科がいなくてダメ。
H記念病院はベッド満床でダメ。
そこで最後にOKが出たのは、
私が卵巣膿腫の手術をして、息子を産んだ、
くも膜下では病院に着いてから断られた
そして、娘がヘルニアの手術をした、
S第2病院、TJ医大の同窓会病院だ。何故か不思議と縁がある。

病院に着くと、様子を見てすぐ検査。
結果、脳梗塞、(CTにはまだ現れていないが症状から~そういうものらしい~)と
重症肺炎(右肺がほとんど機能していない、左肺もかなりの機能不全)。
すぐにICUに入院。

義父は12月はじめに家の前の老人病院で検診を受け、
肺に影があるので、再検査を受け今日(6日)、結果を訊きに行く予定だった。
暮れのうちに気になって受診したが、まだ結果が出ていないので
6日に来院すればよいと言われていた。
急速に悪化したのか?

午前1時半頃帰宅した。    (つづく)
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