今日の続きは、また明日

毎朝、カメラ片手の散歩で撮った写真を気の向くままに・・・

今日は白岡めぐり

2016年05月28日 | 徒然なるままに
今日は、観光協会主催の白岡めぐりでした。
なんと、参加者は70名超え・・・コースは白岡・篠津

普段散歩で通っているところもありましたが、改めて説明を聞くと違って見えますね。

出発前の説明・・・平均年齢は高いです・・・(^_-)-☆


最初は・・・いつも散歩で見ている弁天様でした。


数年前に、社が新しくなったと思っていたら…今日の説明では、震災で傷んだのを契機に、解体修理、積年の汚れも落としたとのことでした。
掲額に安永三甲午年とあり、西暦でいうと1774年、なんと240年以上昔の建立なんですね。
時の将軍は第10代、徳川家治、側用人はよく知られた田沼意次でした。

その掲額


彫り物


弁財天は女性ですが・・・

ご本尊を直接、目にすると目が見えなくなるとの言い伝えがあって、誰も見たことがなかったのですが、

解体修理の時に、神主さん立ち合いで御開帳したら・・・背中に複数の手がある千手観音に近い像だったそうです。

う~ん・・・240年も昔のものだったとは・・・恐れ入りました。

これは、篠津須賀神社の山車・・・本来は、7月の天王様のお祭りのときですが・・・このためにわざわざ蔵出しです。
お囃子でお出迎えしてくれました。


提灯の「よ」はこの字名の横宿からです。

安政年間(1854~1859)の製作、彫刻は立川音吉・・・仏師立川家の初代、三代目が立川金禄(たちかわきんろく)

白岡市のホームページ説明から・・・

明治42年(1909)~昭和61年(1986)(本名福治)
篠津生まれ。立川家は初代音吉、2代初五郎、3代金禄と3代続いた仏師の家。初代の音吉は、篠津久伊豆神社社殿彫刻や山車の彫刻に従事し、この地に住む ようになった。金禄は父初五郎から仏師としての修行を積み、興善寺の水子地蔵、寝釈迦像、篠津小学校のブロンズ像を始めとする数多くの作品を残し、県内で はさいたま市、旧岩槻市などの社寺や成田山新勝寺、四国の金比羅宮の随神など諸社寺に仏像や神像を残した。
日展にも「シャモ」等を題材として22回も入選している。また、県展審査員も務めた。享年77歳。

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その彫刻




これも、篠津久伊豆神社の社殿の彫刻、音吉によるものです。


これは・・・違いますが、狛犬




こんな感じで・・・行進です。


白岡めぐりの最後は、文亀2年(1502)に開山したといわれる興善寺です。


その山門、節分の豆まきでは、平安時代から鎌倉にかけて、この地を治めていた鬼窪氏にあやかって(遠慮して?)・・・

「鬼はごずいに・・・」との掛け声で豆まきが行われます。


その境内で・・・
タイサンボク


アジサイも色濃くなってきました。


達磨さん


ここから、スタート地点の観光協会に戻って、解散・・・約3時間でした。


暑い日が続いていて、ちょっと心配だったのですが・・・

日も照らず、気温もそれほど高くなくて、少し汗ばむ程度で気持ちの良い散策となりました。

おまけは・・・見出しの写真です。
一昨日の散歩で撮りました。

田植え前の代田に映る鉄塔を乱して飛ぶカモですが・・・水面に映る鉄塔に止まっているように見えたんですが、飛ばれてしまいました。


そこで一句

「鉄塔を壊し飛ぶ鳥代田水」

お粗末でした。<m(__)m>

では、今日の続きは、また明日(^.^)/~~~






























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