お隣の柿、見上げる空は秋模様なんですけどね・・・今日も30度越えの予報です。
ちょっと雲は多め
ツユクサにセセリチョウ
穭に露が沢山
ケヤキの大木にモズですが・・・見えますか?
コスモス
同じ構図ばかりですが・・・彼岸花
別名は曼殊沙華
万葉集には壱師(いちし)という名で一首だけ登場します。
「 道の辺(へ)の 壱師(いちし)の花の いちしろく
人皆(ひとみな)知りぬ 我(あ)が 恋妻は 」
( 道のほとりに咲く彼岸花
その花が目立つように我が恋妻のことを とうとう世間様に知られてしまった。
ずっと心のうちにしまっておいたのに )
「いちしろく」の原文は「灼然」で「著しくはっきり」という意味です。
当時の恋は「人に知られないよう密やかに」がルール、例えば、「夜、女性のもとに通い、明け方、人がまだ寝ている間に帰る」ことでした。
人の口に自分たちの名前が上がると、その名に霊力がついて魂が他人に移って、
お互いの恋は破綻すると信じられていました。
壱師(いちし)の花については、「曼珠沙華」以外にも、「ギシギシ」「エゴノキ」「イタドリ」「草苺」「メハジキ」説など諸説紛々でしたが、
現在は「曼珠沙華」とする牧野富太郎博士説が支持されています。
( 牧野富太郎 植物1日1題 ちくま学芸文庫より)
=============
『 ヒガンバナが咲く深秋の季節に野辺、山辺、路の辺、川の畔りの土堤、
山畑の縁などを見渡すと、いたるところに群集し、高く茎を立て並び
アノ赫灼(かくしゃく)たる真紅の花を咲かせて、そこかしこを装飾している光景は
誰の目にも気がつかぬはずがない。
そしてその群をなして咲き誇っているところ、まるで火事でも起こったようだ。
だからこの草には狐のタイマツ,火焔ソウ、野ダイマツなどの名がある。
すなわちこの草の花ならその歌中にある「灼然(いちしろく)」の語もよく利くのである。
また、「人皆知りぬ」も適切な言葉であると受け取れる。
ゆえに私はこの万葉歌の壱師すなわちイチシは多分疑いもなくこのヒガンバナ、
すなわちマンジュシャゲの古語であったろうときめている。
==================
牧野富太郎博士はこの著書の中で、「イチシ」とよぶ方言が見つからないと嘆いていましたが、
その後の研究で山口県に「イチジバナ」 山口県熊毛地方に「イチシバナ」
北九州小倉地方に「イチジバナ イッシセン」の方言があることが判明しています。
「かたまりて淋しくはなし曼珠沙華」 (椎橋清翠)
あぜ道によく植えられているのは、その球根から良質な澱粉が取れるため、飢饉の時の救荒植物とされたためです。
但し、有毒ですので、粉砕して一昼夜以上流水に浸して毒性を洗い流していたそうです。
この澱粉で作った糊は屏風、ふすまの下張、表具加工に用いられ、虫に食われることがないともいわれています。
ツユクサ
和歌では秋の花、俳句では秋の季語
露草の青は美しく、好んで染め付けに用いられましたが、色が褪せやすいので、恋歌では人の心のうつろいやすさの象徴とされています。
万葉集から一首
「月草(つきくさ)の、うつろひやすく思へかも、我が思ふ人の、言(こと)も告げ来ぬ」
露草(つゆくさ)のように変わりやすいからでしょうか、私が想っているあの人がなんにも言って来ないのは。
作者は大伴坂上家之大娘(おおとものさかのうへのいへのおほいらつめ)
大伴家持(おおとものやかもち)の従妹である坂上大嬢が大伴家持に贈った歌の一つです。
彼女の歌は万葉集には十首以上ありますが・・・そのいずれも恋歌
のちに、大伴家持の正妻になったといわれています。
ダイサギ
ハロウィンは来月31日ですが・・・お店のディスプレイ
ネコジャラシ
コスモス
ハナミズキ
ヒマワリ?
ブッドレア
晩稲でしょうか、収穫が終わりました。
あき~・・・っていう空ですね。
秋の空を指して、天高くと形容しますね、秋高くとも言います。
「わが庭の真中に立てば天高し」(山口青邨)
「秋高し雲より上を鳥かける」 (正岡子規)
テレビなどで天高くと言えば・・・「馬肥ゆる秋」と続いて食欲の秋の話題に移るのが定番ですが・・・
この言葉、中国の「漢書」の「匈奴(きょうど)伝」にある、
「秋至れば馬肥え、弓勁(つよ)く、即(すなわ)ち塞(さい)に入る」
が、その出典だといわれています。
かつて中国では秋の収穫の時期になると、万里の長城以北に住む騎馬民族である匈奴が
秋の収穫物を狙って長城を越えて中国領域に侵入し略奪をはたらくため、
中国としては、秋は国境の警備を増強し、匈奴侵入に備えなければいけない季節でした。
匈奴伝の言葉は、
『秋には匈奴の馬が夏草をたっぷり食べて肥えて力を蓄え、
匈奴自身も体力が充実し、国境付近の村や町の略奪を始める時だ。』
と言っています。
だから、国境警備を強化する季節だという警句なんですね。
肥える馬は、自分たちの馬ではなくて、敵の馬なんですね。
アキアカネ
萩
柿
朝顔
我が家の鶏頭・・・カエルの寝床になっていました。
ベルベットの敷物にくるまれている感じですね。
居心地がいいのでしょうか、かなり近くで撮ったんですが・・・逃げません。
では、今日の続きは、また明日(^^)/~~~
ちょっと雲は多め
ツユクサにセセリチョウ
穭に露が沢山
ケヤキの大木にモズですが・・・見えますか?
コスモス
同じ構図ばかりですが・・・彼岸花
別名は曼殊沙華
万葉集には壱師(いちし)という名で一首だけ登場します。
「 道の辺(へ)の 壱師(いちし)の花の いちしろく
人皆(ひとみな)知りぬ 我(あ)が 恋妻は 」
( 道のほとりに咲く彼岸花
その花が目立つように我が恋妻のことを とうとう世間様に知られてしまった。
ずっと心のうちにしまっておいたのに )
「いちしろく」の原文は「灼然」で「著しくはっきり」という意味です。
当時の恋は「人に知られないよう密やかに」がルール、例えば、「夜、女性のもとに通い、明け方、人がまだ寝ている間に帰る」ことでした。
人の口に自分たちの名前が上がると、その名に霊力がついて魂が他人に移って、
お互いの恋は破綻すると信じられていました。
壱師(いちし)の花については、「曼珠沙華」以外にも、「ギシギシ」「エゴノキ」「イタドリ」「草苺」「メハジキ」説など諸説紛々でしたが、
現在は「曼珠沙華」とする牧野富太郎博士説が支持されています。
( 牧野富太郎 植物1日1題 ちくま学芸文庫より)
=============
『 ヒガンバナが咲く深秋の季節に野辺、山辺、路の辺、川の畔りの土堤、
山畑の縁などを見渡すと、いたるところに群集し、高く茎を立て並び
アノ赫灼(かくしゃく)たる真紅の花を咲かせて、そこかしこを装飾している光景は
誰の目にも気がつかぬはずがない。
そしてその群をなして咲き誇っているところ、まるで火事でも起こったようだ。
だからこの草には狐のタイマツ,火焔ソウ、野ダイマツなどの名がある。
すなわちこの草の花ならその歌中にある「灼然(いちしろく)」の語もよく利くのである。
また、「人皆知りぬ」も適切な言葉であると受け取れる。
ゆえに私はこの万葉歌の壱師すなわちイチシは多分疑いもなくこのヒガンバナ、
すなわちマンジュシャゲの古語であったろうときめている。
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牧野富太郎博士はこの著書の中で、「イチシ」とよぶ方言が見つからないと嘆いていましたが、
その後の研究で山口県に「イチジバナ」 山口県熊毛地方に「イチシバナ」
北九州小倉地方に「イチジバナ イッシセン」の方言があることが判明しています。
「かたまりて淋しくはなし曼珠沙華」 (椎橋清翠)
あぜ道によく植えられているのは、その球根から良質な澱粉が取れるため、飢饉の時の救荒植物とされたためです。
但し、有毒ですので、粉砕して一昼夜以上流水に浸して毒性を洗い流していたそうです。
この澱粉で作った糊は屏風、ふすまの下張、表具加工に用いられ、虫に食われることがないともいわれています。
ツユクサ
和歌では秋の花、俳句では秋の季語
露草の青は美しく、好んで染め付けに用いられましたが、色が褪せやすいので、恋歌では人の心のうつろいやすさの象徴とされています。
万葉集から一首
「月草(つきくさ)の、うつろひやすく思へかも、我が思ふ人の、言(こと)も告げ来ぬ」
露草(つゆくさ)のように変わりやすいからでしょうか、私が想っているあの人がなんにも言って来ないのは。
作者は大伴坂上家之大娘(おおとものさかのうへのいへのおほいらつめ)
大伴家持(おおとものやかもち)の従妹である坂上大嬢が大伴家持に贈った歌の一つです。
彼女の歌は万葉集には十首以上ありますが・・・そのいずれも恋歌
のちに、大伴家持の正妻になったといわれています。
ダイサギ
ハロウィンは来月31日ですが・・・お店のディスプレイ
ネコジャラシ
コスモス
ハナミズキ
ヒマワリ?
ブッドレア
晩稲でしょうか、収穫が終わりました。
あき~・・・っていう空ですね。
秋の空を指して、天高くと形容しますね、秋高くとも言います。
「わが庭の真中に立てば天高し」(山口青邨)
「秋高し雲より上を鳥かける」 (正岡子規)
テレビなどで天高くと言えば・・・「馬肥ゆる秋」と続いて食欲の秋の話題に移るのが定番ですが・・・
この言葉、中国の「漢書」の「匈奴(きょうど)伝」にある、
「秋至れば馬肥え、弓勁(つよ)く、即(すなわ)ち塞(さい)に入る」
が、その出典だといわれています。
かつて中国では秋の収穫の時期になると、万里の長城以北に住む騎馬民族である匈奴が
秋の収穫物を狙って長城を越えて中国領域に侵入し略奪をはたらくため、
中国としては、秋は国境の警備を増強し、匈奴侵入に備えなければいけない季節でした。
匈奴伝の言葉は、
『秋には匈奴の馬が夏草をたっぷり食べて肥えて力を蓄え、
匈奴自身も体力が充実し、国境付近の村や町の略奪を始める時だ。』
と言っています。
だから、国境警備を強化する季節だという警句なんですね。
肥える馬は、自分たちの馬ではなくて、敵の馬なんですね。
アキアカネ
萩
柿
朝顔
我が家の鶏頭・・・カエルの寝床になっていました。
ベルベットの敷物にくるまれている感じですね。
居心地がいいのでしょうか、かなり近くで撮ったんですが・・・逃げません。
では、今日の続きは、また明日(^^)/~~~