今日の続きは、また明日

毎朝、カメラ片手の散歩で撮った写真を気の向くままに・・・

今日は良い天気~♬

2020年10月31日 | 徒然なるままに
昨日から一転、青空の下での散歩です。

少し肌寒い朝になりました。冬がすぐそばに来てるんですね。

俳句に「冬隣り」という季語がありますが、秋も終りに近づいて、冬の到来を感じる今朝のような事を云うのかもしれません。

「藤棚の日のおとろへや冬隣」 (升本行洋)

「クロレラを夫婦で飲んで冬隣」 (達山丁字)

さて散歩

目の前に舞い降りてきて、獲物探しです。


こちらに気が付いて・・・


次はここに着水


少しかすんでいますが、富士山




葦の読みは今は「ヨシ」ですが、元々は「アシ」でした。

日本書紀では日本の別名として「豊葦原(とよあしはら)千五百秋(ちいおあきの)瑞穂(みずほの)国」

(葦が生い茂って、千年も万年も穀物が豊かにみのる国) と書かれています。

万葉集には50首ほどに登場します。雁や、港などといっしょに詠まれた歌も多いです。

葦根之 懃念而 結義之 玉緒云者 人将解八方(作者不明)
葦(あし)の根の、ねもころ思ひて、結びてし、玉の緒(を)といはば、人(ひと)解(と)かめやも
「葦(あし)の根が絡み合っているように、私たちの仲も強く結ばれているですよ、と言えば他の人が割(さ)こうなんてしないでしょう。」

水門 葦末葉 誰手折 吾背子 振手見 我手折(柿本人麻呂)
港の、葦(あし)の末葉(うらば)を、誰(た)れか手折(たを)りし、我(わ)が背子(せこ)が、振(ふ)る手を見むと、我(わ)れぞ手折(ちを)りし
「港の、葦(あし)の葉の先を折ったのは誰ですか?」 「私の夫が(舟から)手を振るのを見ようと、私が折ったのですよ。」

もう一首
安之能葉尓 由布宜里多知弖 可母我鳴乃 左牟伎由布敝思 奈乎波思努波牟
葦(あし)の葉に、夕霧(ゆふぎり)立ちて、鴨(かも)が音(ね)の、寒き夕(ゆふへ)し、汝(な)をば偲はむ
葦(あし)の葉に、夕霧(ゆうぎり)が立って、鴨(かも)の鳴く声が寒さを感じさせる夕べには、あなたを偲(しの)びます。


後年、このアシが「悪し」に通じるとして、その反対のヨシ(良し)となったようですね。

ただ、関西ではお金を意味するお足に通じるため、アシが残っています。

哲学者パスカルは、「宇宙の無限と永遠に対し、自己の弱小と絶対の孤独に驚き、大自然に比べると人間は一茎の葦のようなもので、最も弱い存在である。しかし、人間は単なる葦でなく『考える葦である』」という名言を残しています。

それにちなんで、「考える」「哀愁」「音楽」がアシの花言葉になっています。

逆光で、見辛いですが、ノスリ






カラスが、いじめています。


高台橋、相変わらずアオサギがいます。


ススキ


コスモス








ムラサキシキブ


カラスウリ


ケイトウ




ハナミズキ


もう一度、富士山


数日前から我が家の周りで姿を見せていました。ジョウビタキ

冬鳥が姿を見せるようになりました。冬が近づいていますね。

では・・・(@^^)/~~~


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今日は曇り・・・

2020年10月30日 | 徒然なるままに
今日は曇り空の下での散歩です。

ダイサギ


カワセミ・・・残念ながらピントが・・・(´;ω;`)ウゥゥ


朝焼けですかね




調整池のカルガモ


落葉が早くて黄葉している木が少ないんですよね。


秋になって、草や木々の葉が色づいて華やかに見えるのを山粧う(やまよそう)といいます。

「山粧ふ日毎峰より袈裟がけに」 (井口天心)

「よそう」の字に「粧」をあてるのは、人が化粧をして美しくなるのと、同じように山も化粧をするという、擬人化した言い方ですね。

俳句の季語には、季節ごとにこの山を付けたものがあります。

春は「山笑う」:「余生とは歩くことらし山笑ふ」 (清水基吉)
夏は「山滴る」:「鳥の音に誘はれ入るや山滴る」(大野林火)
冬は「山眠る」:「背負ひたる子の温もりや山眠る」(松山 敏子)

この言葉の元は、中国の郭熙(かくき、生没年不詳、北宋((960~1127)、画家)の絵画 四時山(山の四季)に書かれた七言絶句です。

春山淡冶而如笑 (春山 淡冶(たんや)にして 笑(わら)うが如く)

夏山蒼翠而如滴 (夏山 蒼翠((そうすい)として 滴(した)たるが如し)

秋山明浄而如装 (秋山 明浄(めいじょう)にして 粧(よそお)うが如く)

冬山惨淡而如睡 (冬山 惨淡(さんたん)として 睡(ねむ)るが如し)

中国の漢詩が基となった季語ですが・・・昔の人は常識だったんでしょうね。


おっ、キジ


高台橋・・・アオサギとカルガモが見えます。


バン


東の空には厚い雲


反対側は青空がのぞいてきました。・・・男体山


中央に小さく見えるのは、榛名山かも


登校風景


お隣の柿の木・・・青空です。


その柿を・・・カラス


ヒヨドリ


スズメ


おまけは昨夜の十三夜

ちなみに、この月は三脚無しで手持ちで撮っています。
絞りは5.6、シャッタースピードは1/400、ISOは640でした。参考までに

では・・・(@^^)/~~~



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明日は十三夜

2020年10月28日 | 徒然なるままに
今朝は朝焼けでした。


東の空には雲が残っています。


ノスリかな?


調整池にカルガモ以外の姿が・・・


ヒドリガモみたいですね・・・渡りの途中で一休みみたいでした。


高台橋・・・アオサギですね。


寂しいので、庭の菊








ハナアブの一種、ホソヒラタアブみたいですね。



今日10月28日は旧暦9月12日、明日29日の月は十三夜です。

十五夜の後の名月ということで「後(のち)の月」と呼び、

平安から鎌倉時代の貴族は菊の花と一緒に見て楽しんでいました。

十五夜は中国からの渡来文化ですが、十三夜は日本独自の風習です。

平安時代後期の藤原宗忠の日記『中右記(ちゅうゆうき)』には、ある年の九月十三日夜、

たまたま明月を愛でていた宇多天皇(在位西暦887~897)の発意により、

この夜が「名月の夜」と定められたと書かれています。

この後、いつから宴が開かれるようになったかは、不明ですが、

9月13日の月を詠んだ一番古い歌は、宇多天皇の子である醍醐天皇が

延喜十九年(919)九月十三日の日付がある『躬恒集』に次の歌を詠んでいます。

「ももしきの大宮ながら八十島をみる心地する秋の夜の月」
(宮中にいながら八十島を見る心地がするような遣り水を照らしてだしている秋の月)
庭園を海辺の眺望に見立てた歌です。

その詞書は

   清涼殿の南のつまにみかは水ながれいでたり。
   その前栽にささら河あり。延喜十九年九月十三日に賀せしめ給ふ。
   題に月にのりてささら水をもてあそぶ。詩歌心にまかす

ですが、中には月見の宴を催したとは書いてはありませんが、

十三夜の月を愛でる慣習があったと分かります。

九月十三夜の月を詠んだ歌では、平安中期の能因法師のものが名高いです。

東国を旅した折、信濃の国の月の名所、姨捨(をばすて)山に旅寝して見た月を思い出しての歌です。

   九月十三夜の月をひとりながめて思ひ出で侍りける

「さらしなや姨捨山に旅寝して今宵の月を昔みしかな」(能因集)


十五夜を芋名月と呼ぶのに対して、十三夜は豆名月とか栗名月と呼びます。

十五夜を見たなら、十三夜もみましょう。

十五夜と十三夜の月を両方とも見るのが風流で「二夜の月」と呼びました。

地方によっては、どちらか一方を見ないのは「片見月」と呼んで無粋と思われたようですね。

とっ、云うことで、明日の十三夜を愛でましょう。!!!

では・・・(@^^)/~~~
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晴れのち・・・

2020年10月27日 | 徒然なるままに
家を出たときは・・・青空


アオサギ


調整池のカルガモ








朝日を受けて


モズ


菊の季節になりました。


高台橋・・・カルガモ


シジュウカラ


一昨日はダイサギもいたんですが・・・アオサギ




とっ、晴れだったんですが・・・東の空には


登校風景


曇りは一時的で、秋晴れの一日でした。

昼間は暖かですが、朝晩は冷えてきましたね。

こんな、晩秋の夜の寒さを「夜寒(よさむ)」って言います。

古くから歌に詠まれていて、新古今和歌集に西行法師の良く知られた歌があります。

「きりぎりす夜寒に秋のなるままに弱るか声の遠ざかりゆく」
(コオロギよ。日ごとに秋の夜が寒くなり、弱ってきているのですか?
  あなたの美しき声が徐々に遠ざかって行くように聞こえます)
キリギリスは今のコオロギです。

夜の寒さという温感だけでなくて、虫の声が弱まってくる聴覚で、冬の訪れを感じているんですね。

コオロギと夜の寒さを歌ったものは百人一首にもあります。

「きりぎりす鳴くや霜夜のさむしろに衣片敷きひとりかも寝む」(後京極摂政太政大臣(九条良経))
(コオロギの泣いている、霜の降りる寒々とした夜のむしろに、自分の衣だけを敷いて私は一人で寝るのだろうか。)

衣片敷(かたし)き ― 当時、男女が同衾する場合は、互いの衣の袖を重ねて寝たことから、「衣かたしき」は、一人寝を表します。

俳句にも、キリギリスと夜寒を詠んだ蕪村の句があります。

「きりぎりす自在をのぼる夜寒哉」(蕪村)

自在は炉の上で鍋釜を吊るし上下に移動させて火加減を調節する自在鉤の略です。


夜寒ではありませんが、『万葉集』の編纂に関わったとされる大伴家持の歌が、新古今和歌集にも・・・

「今よりは秋風寒くなりぬべしいかでかひとり長き夜を寝む」
(これからは秋風がますます寒くなるでしょう。
  どうやって、たった一人で長くて寒い夜を眠ればよいのでしょうか)

だから、今夜はあなたにそばにいてほしいと・・・口説いているのでしょうね。

夜の寒さの反対に朝の寒さを「朝寒」といいますが‥語感からは夜寒のような侘しさ感じませんね。

「さしわたる朝寒の陽のにごりなし」(日野草城)

では・・・(@^^)/~~~


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秋晴れ!!

2020年10月25日 | 徒然なるままに
ようやく晴れました!!

見出しは久しぶりの富士山です。

青空の下での散歩は気持ちがいいですね。


「天高し・・・」を実感する景色です。「秋高し」とも言いますね。

「わが庭の真中に立てば天高し」(山口青邨)

「少年と犬と野を駈け秋高し」(藤松遊子)

天高く・・・と続くと「馬肥ゆる」秋というように食欲の秋でもありますが、

この言葉、中国の「漢書」の「匈奴(きょうど)伝」にある、

「秋至れば馬肥え、弓勁(つよ)く、即(すなわ)ち塞(さい)に入る」

が、その出典だといわれています。

かつて中国では秋の収穫の時期になると、万里の長城以北に住む騎馬民族である匈奴が

秋の収穫物を狙って長城を越えて中国領域に侵入し略奪をはたらくため、

中国としては、秋は国境の警備を増強し、匈奴侵入に備えなければいけない季節でした。

匈奴伝の言葉は、

『秋には匈奴の馬が夏草をたっぷり食べて肥えて力を蓄え、

 匈奴自身も体力が充実し、国境付近の村や町の略奪を始める時だ。』

と言っています。

だから、国境警備を強化する季節だという警句なんですね。

肥える馬は、自分たちの馬ではなくて、敵の馬なんですね。

食欲の秋を謳歌する現在の意味とはまったく違う意味でした。

まあ・・・食欲の秋で、中性脂肪や体重増加という敵に対する警句でもあるかもしれません。

カラスウリ


アオサギとダイサギ


モズ


調整池のカルガモ


またモズ


ススキ・・・花が開くと日に輝いて華やかになりますが・・・もう少しですね。


赤とんぼ


柚子





水面に映る鉄塔

秋になり、空気も水も澄んできます。

水面に青空や雲が映ったりして、水の透明度が引き立ちます。

「水澄む」は秋の季語

「水澄んで木の葉一枚流れ来る」 (深見けん二)

秋の澄んだ水を「秋の水」「秋水」といいます。

「しづけさが落す木の葉や秋の水」 (村山故郷)

春にも同様に「春の水」、「春水」があります。

「下萌を催す音や春の水」 (政岡子規)

同じ水でも、ずいぶん雰囲気が変わりますね。

では・・・(@^^)/~~~





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夕陽を撮りに・・・

2020年10月24日 | 徒然なるままに
午前中に用事があって朝の散歩はお休み。

午後も、雲の多い天気でしたが、夕方に青空・・・夕焼けを期待して短い散歩に・・・



















残念ながら、夕焼けとはならずでした。

写真だけで失礼します。m(__)m
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晴れが続きませんね・・・

2020年10月22日 | 徒然なるままに
ちょっと、怪しい雲行きだったんですが・・・


ダイサギ




雨が・・・


あきらめて、帰路に・・・登校風景


帰宅後、陽が差し出したので、改めて散歩です。
カラスウリ


おっ・・・イタチですが・・・後姿をとらえただけでした。


これもひっつきむし・・・センダングサ

くっつくと、取るのに難儀します。

穭田の稲に穂が出ています。

地方によっては、鹿の食害のもとになるので、早めに漉き込むような指導があるようですが・・・

ネコジャラシ・・・金色に見えるのでキンエノコロかもしれませんね。

金以外にも紫のムラサキエノコロもあるようですね。

セイタカアワダチソウにミツバチが・・・

風媒花ではなくて虫媒花って分かりますね。

また、雲行きが怪しくなって・・・帰路に


イシミカワ


今日は写真だけで・・・では・・・(@^^)/~~~



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すっきりと晴れましたね・・・

2020年10月21日 | 徒然なるままに
秋の雲ですね。
高積雲でしょう。2千メートル~7千メートルの高いところに現れます。

ひつじ雲などの俗称もありますね。

カルガモ


カラスウリ

「かなしけれ一つ並びに烏瓜」( 中村汀女)
「灯籠に二つは多し烏瓜」(山口青邨)

モズ


赤とんぼ

「夕焼け小焼けの 赤とんぼ・・・」で始まる三木露風作詞、山田耕作作曲の童謡「赤とんぼ」はよく知られていますね。

郷愁を誘う曲として、ドラマなどでもよく使われています。

露風のことは5月のブログにも書いたんですが・・・再掲します。

この歌は三木露風作詞・山田耕筰作曲、2007年には「日本の歌百選」に撰ばれています。

作詞者の三木露風は北原白秋と並ぶ近代日本の代表的詩人・作詞者でした。

この二人が活躍した大正末から昭和初期は「白露時代」とも呼ばれています。

発表は大正十年でした。その時の題名は漢字で「赤蜻蛉」となっていて、歌詞も少し異なっていました。

赤蜻蛉

一 夕焼、小焼の、山の空、負はれて見たのは、まぼろしか。

二 山の畑の、桑の実を、小籠に摘んだは、いつの日か。

三 十五で、ねえやは嫁に行き、お里のたよりも絶えはてた。

四 夕やけ、こやけの、赤とんぼ、とまつてゐるよ、竿の先。

昭和2年に山田耕筰が作曲した詩は、大正15年に発行された露風の歌集「小鳥の友」に所収された「赤とんぼ」でした。

赤とんぼ

一 夕焼、小焼の、あかとんぼ、負はれて見たのは、いつの日か。

二 山の畑の、桑の実を、小籠に、つんだは、まぼろしか。

三 十五で、姐やは嫁にゆき、お里の、たよりも、たえはてた。

四 夕やけ、小やけの、赤とんぼ。とまつてゐるよ、竿の先。

微妙に修正が加えられていますね。

4番の「赤とんぼ。とまつてゐるよ、竿の先」は露風が作った俳句だといわれています。

歌詞については作詞家の三木露風が、自身の幼児体験を思い浮かべながら作ったと証言しています。

その頃露風は北海道のトラピスト修道院で文学講師を務めていました。ちょうど郷里(兵庫県揖西郡龍野町)の小学校の校歌の作詞を頼まれていたようで、そこから連想が働いたのでしょう。

1番から3番までは過去形、4番は現在形ですので、露風は竿の先に止まっている赤とんぼを見て、幼いころ自分を面倒見てくれた姐や(子守りの少女)を思い出したのでしょう。

懐かしい姐や、私をおんぶしてくれた姐や。十五で嫁に行った後、消息はわからなくなったが、今も幸せに暮らしているだろうか・・・赤とんぼが飛ぶ夕暮れの中で露風は幼いころを思い作詞したのでしょう。

「小鳥の友」の序文に「童謡は童心からして作るべきものである。童心からして真の童謡を生む・・・・・」

という、露風の童謡に関しての考えが書かれています。

この歌は昭和30年の映画、『ここに泉あり』や36年の映画『夕やけ小やけの赤とんぼ』の挿入歌として使われていましたが。

世に広く知られたのは、昭和40年にNHK「みんなのうた」に取り上げられたことでした。


露風はトラピスト修道院にいる間にカトリックの洗礼を受けクリスチャンになっています。

キリスト教の信仰に基づく詩集のほか、『日本カトリック教史』や随筆『修道院生活』などを著し、バチカンからキリスト教聖騎士の称号を授与されています。

露風の詩は敬虔なクリスチャンとしての信仰心が基となっているのかもしれませんね。


「肩に来て人懐かしや赤蜻蛉」(夏目漱石)


稲刈りの準備でしょうか・・・


今日は写真は少なめでした。

では・・・(@^^)/~~~




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今日は暖か・・・

2020年10月20日 | 徒然なるままに
雲は多いものの晴れ、そして暖かでしたね。

カルガモ


すっかり姿を見せなくなったキジ・・・久しぶりです。


セグロセキレイ


カワセミ


秋の雰囲気で・・





コスモス


オナモミ

多分北米原産の外来種のオオオナモミだと思います。

日本在来種のオナモミは、環境省のレッドリストで絶滅危惧種に指定されています。

西日本では、1960年代にはその姿を消したといわれています。

オオオナモミが渡来したのが昭和初期といわれていますので、

私たちが子供の頃いっぱい集めて友達の服めがけて何度も投げつけて遊んだのは、オオオナモミかもしれませんね。

衣服につくので、「ひっつき虫」とも呼ばれますよね。

オナモミの「オ」は雄、「ナモミ」は蛇に噛まれたときに葉をもんでつけることからの「生揉み(なまもみ)」が転じたもの。

確かに、昔はマムシにかまれたとき、この葉を用いたようで徒然草に、 

「めねもみといふくさあり。くちばみにさされたる人、かの草を揉みて付けぬれば、即癒ゆとなん」と記されています。

異説に、衣服などにつくことから「なずむ」が変化したともいわれています。

漢字では、葈耳、巻耳と書きますが・・・中国ではこの実の形を女性のイアリングに見立てたことに由来します。

ところで、雄のオナモミがあるので、雌のメナモミもあるかと、思って調べたらありました。



黄色い花の下に、かんざしのような苞があり、そこから粘液が出て服につきます。

「をなもみをくつつけ合うておくれゆく」(近藤忠)

我が家のシュウメイギク


散歩の収穫


では・・・(@^^)/~~~









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久しぶりに朝日を受けながら・・・

2020年10月18日 | 徒然なるままに
久しぶりにお日様の光を浴びながらの散歩でした。



お隣の柿


雲は多いものの、青空です!!


定番の鉄塔と柿の木


青空に柿


残念、ピンボケ・・・チョウゲンボウかな?


モズ


シジュウカラ

このシジュウカラ、漢字では「四十雀」と書きます。

「雀」を「カラ」とあてていますが、「雀」は分解すると、小+隹(とり)で小鳥全般を指す言葉に使われています。

雲雀(ヒバリ)、雀鷹(ツミ)など、鳥の名前によく登場します。

「カラ」はシジュウカラ、ヤマガラ、ヒガラ、コガラ、ハシブトガラ、ゴジュウカラなど、よくさえずる小鳥の総称として使われています。

ゴジュウカラ以外は全てスズメ目シジュウカラ科の小鳥です。

シジュウカラの語源は(当然ですが・・・)所説あります。

一説は鳴き声からというもので、シジュウカラの地鳴き(さえずりでない声)である「チ・チ、ジュクジュクジュク」の音を「シジュウ」に聞きなしたという説。
  
もう一説は群れをなしているところからの命名で、多数を表す「四十」をあてたという説ですが・・・どうも鳴き声説が有力のようですね。

ダイサギ

良くは見えませんが、ミミズを捕ったようです。

東には雲が・・・曇りそうですね。


コスモス




では・・・(@^^)/~~~






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久しぶりにカワセミ

2020年10月16日 | 徒然なるままに
今日も曇り


西の空に青空が見えます。ちょっとは晴れるかもしれません。


モズ


バン


う~ん・・・野草は同定が難しいんですよね・・・ミゾソバみたいなんですけどね・・・


アオサギ


アワダチソウとの抗争に勝ったのでしょうか・・・勢力範囲を広げています。


シジュウカラ


登校風景

開発が進んで児童数が増えました。この地域だけで毎朝100人以上の集団登校になります。

久しぶりにカワセミを撮りました。

数日前から姿は見ていたのですが、撮影ができませんでした。
晴れていれば、羽色もきれいなのでしょうが・・・くすんでいますね。



来月が誕生日なので、運転免許更新の通知が来ました。

ゴールドなのに、更新後の有効期間は5年ではないんですね。

75歳になるまでの3年となっていました。

運転に支障をきたす可能性が高まるという事なんでしょうが・・・高齢者講習を受けた時、自覚させられることがありました。

夜間視力検査で、結果がぎりぎり時間切れ前の58秒、それでも同時に受けた人たちで時間内に見えたのは私だけでした。

若い人は10秒もしないで見えるといわれて、視力の衰えを数字で示されて、ちょっとショックでした。


それにしても・・・ゴールドじゃなくなると、車の任意保険料はあがるのでしょうかね?

車を運転するなという圧を感じます。

では・・・(@^^)/~~~
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今日も曇り空・・・

2020年10月15日 | 徒然なるままに
今日も曇り・・・どうやら週明けまで続きそうですね。


カラスウリ

その実を「カラスぐらいしか食べるものがいない」という意味から名付けられたといわれていますが、
熟した果実には苦みがあり食用に向かないことから、「枯らす瓜」が転じて「カラスウリ」になったという説もあります。

果実は、赤く熟してしまうと苦みを伴うため食用には向きません。

ただし、熟す前の果実やカラスウリの葉は、食用としても利用することができるようですが・・・

葉を茹でて和え物にするか天ぷら、若い実は塩漬けや粕漬け、茹でてからお吸い物やみそ汁の具として使えるようですが・・・(保証の限りではありませんm(__)m)

花言葉は、よき便り ・誠実 ・男ぎらい などです。

「よき便り」という花言葉は、カラスウリの種子が昔の結び文に似ていることから来ています。
これがその種


「男ぎらい」は、カラスウリの花が日が沈むころに純白の花を広げ日が昇る頃にしぼんでしまう姿からイメージされたようです。

烏瓜の花は夏の季語、烏瓜は秋の季語です。

「烏瓜翁のごとく咲きにけり」( 阿波野青畝)


「ぶらさがつてゐる烏瓜は二つ」( 種田山頭火)

「何か鎖ゆるみし如く垂れ烏瓜」( 山口青邨)

コスモス


登校風景1


登校風景2


氏名不詳


モズ


木々の紅葉もきれいですが・・・丈の短い草も色付きます。草紅葉(くさもみじ)と呼びます。


「今日も又草紅葉せるみちを行く」( 高野素十)




今日も中学生の登校風景です。


来週の前半まで傘と雲のマークが続いていますね・・・秋晴れが恋しいですね。

では・・・(@^^)/~~~
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中々青空の下で・・・となりませんね。

2020年10月14日 | 徒然なるままに
曇り空が続いて・・・撮影のテンションは下がり気味です・・・

何かとおもえば・・・アカミミガメでした。


ダイサギ




厚い雲です。






モズ


カラスウリ


小学生たちのあとは中学生達の登校です。


おまけ
鶏頭

インド原産の花です。 中国を経由し、奈良時代に染料として日本へ移入された帰化・外来植物。

万葉集では「韓藍、辛藍、鶏冠草」の字が当てられ、すべて「からあゐ」と読みます。

韓は朝鮮の古い名前、あるいは、中国の古称。中国から渡来した物につけたりしますが、

転じて、広く外国から日本に入ってきた物や事だという表現に使われます。

たとえば、韓葵、韓紅、韓藍、韓衣などがありますが、

この「から」という音の響きも明るく軽やかで、外国文化へのあこがれや珍しさ、心の晴れやかさが感じられます。


皇室が神事に用いる小忌衣(おみごろも)は山藍(やまあい)の生の葉を布に摺り付けることで染色を行っています。

鶏頭の葉も摺り染めにすると山藍と似た色になることからの命名です。

万葉集では、その鮮烈な赤からでしょうか、鶏頭を女性になぞらえた、いずれも恋歌として4首あります。


「我がやどに韓藍蒔き生ほし枯れぬれど懲りずてまたも蒔かむとぞ思ふ」(山部赤人)

(私の家に鶏頭の種を蒔いて育てたけれど枯れてしまったよ。けれども懲りずにまた蒔こうと思います。)

この歌は実際に鶏頭の種を蒔いたわけではなく「韓藍(鶏頭)」をお題にして詠まれた宴席歌のようで、この「韓藍」には女性のことを譬えて詠っているようです。

「私の家で美しい女性を住まわせていたのですがその人は去ってしまいました。けれども懲りずにまた素敵な女性を探そうと思います」といった感じでしょうか。

赤人にそのような想い人が実際にいたわけではないのでしょうけれど、宴席での戯れ歌としての恋歌です。


「秋さらば移しもせむと我が蒔きし韓藍の花を誰れか摘みけむ」(作者不詳)

(秋が来たら移し染めにでもしようと、私が蒔いた韓藍の花を、誰が摘んでしまったのだろう)

秋ごろには、自分のものにしようと心に決めていた娘を、見知ぬ男に奪われてしまった。

「 恋(こ)ふる日の、日(け)長くしあれば、我が園の、韓藍(からあゐ)の花の、色に出でにけり」(作者不詳)

(恋する日々が長く続いたものだから、私の庭の韓藍(からあゐ)の花のように、顔色にでてしまいました。)

「 隠(こも)りには、恋ひて死ぬとも、み園生(そのふ)の、韓藍(からあゐ)の花の、色に出でめやも」

(じっと心に堪えながら、恋して死ぬようなことがあっても、あなたの庭の鶏頭の花のように、顔色に出したりしません)


この鶏頭、その色のごとく情熱的で、おびただしい種をまき散らします。

では・・・(@^^)/~~~

あっ、もう一枚、おまけ













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UFO??

2020年10月13日 | 徒然なるままに
今日は健康診断を兼ねてインフルエンザのワクチン接種のため、朝の散歩はお休みでした。

夕方、時間ができたのと夕焼になりそうだったので短い散歩に・・・

夕陽を受けて・・・


夕焼にはなりそうもありませんね。






反対側の東側は・・・


一番星??


トリミング

星ではなさそうですね。

動きが早いんですよ・・・


トリミング

なんか・・・光がアダムスキー型のUFOみたいですね。

よく見ると個々のひかりの間の雲が見えます。

どうやら、北に向かっている渡り鳥に陽が当たっているみたいですね。

ちょっと・・・UFOに出会ったのかと思ったんですが・・・

今日はここまで・・・では・・・(@^^)/~~~





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台風一過の晴れ・・・とはなりませんでした。

2020年10月12日 | 徒然なるままに
なかなか青空を見ることができませんね。

久しぶりの散歩です。

お隣の柿の木




カラスが・・・


動かずにいます。・・・睡眠中???


また柿


柿というと、
「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」(正岡子規)が良く知られた句ですが・・・

実はこの鐘の音は法隆寺ではなく東大寺だったという説があります。

子規が奈良に行った時の日記に、東大寺の近くに宿泊した時のことが記されています。

その時の様子に、“美味しい柿を食べているとボーンと鐘の音が聞こえ、どこの鐘かと(宿の人に)たずねたら東大寺の大鐘楼だという……”と書かれています。

また、同じ時に詠んだ句には、

「秋暮るゝ奈良の旅籠や柿の味」
「長き夜や初夜の鐘つく東大寺」

があり子規が、柿と鐘の音を心に刻んだ場所は東大寺では??という説です。

法隆寺にも訪ねていますが、その時は

「行く秋をしぐれかけたり法隆寺」

と詠んでいます。

先に上と中の「柿食えば鐘が鳴るなり」まで浮かび、「東大寺」とつなぐのは今一つと考えたんでしょうね。

思案の結果でしょうが、「法隆寺」としたことで名句となりました。

声に出して詠むと東大寺より法隆寺のがおさまりが良く感じます。(聞きなれたせいかもしれませんが・・・)


雨が上がってすぐでした。厚い雲が残っています。


キタキチョウ




登校風景1

婦警さんが見守っています。

!!!なんでしょうね。シメジみたいですけどね・・・


セイタカアワダチソウ

一時は空き地を占領する勢いだったんですが、近ごろは株の大きさも小さくなったように思えます。

根から周囲の植物の成長を抑制する化学物質を出すアレロパシー効果でススキ等その土地に繁殖していた植物を駆逐して繁殖しました。

また、樹木以外に根をはらないため肥料が多量に蓄積している地中50センチほどまで根を伸ばすため、養分を大量に取り込み背も高くなっていました。

しかし、その養分も減り、また根から出す化学物質は自身の種子の発芽も阻害する為・・・徐々に在来のススキなどが勢いを取り戻しています。

原産地の北アメリカでは逆にススキが侵略的外来種として猛威を振るっており、セイタカアワダチソウの生息地が脅かされているそうです。


秋の花粉症の原因となる、ブタクサに見た目が似ていることもあって、アレルギーやぜんそくをひき起すのではないかと誤解されることも多いのですが、

セイタカアワダチソウは、ハチなどの虫によって受粉する虫媒花で、風で花粉が飛んで受粉する風媒花ではありません。

花粉も比較的重く飛びにくいため、花粉症とは無関係だといわれています。

悪名が立ってしまったため、あまり知られていませんが、実はかなり有用な植物なんです。

花はハーブとして利用され、体内の毒を排出してくれる作用があるため、肌にもよくて、アトピー性皮膚炎を改善するといわれています。

花が咲く前のつぼみを乾燥させて、お風呂に入れると入浴剤としても使えるようですが・・・試していませんので保障の限りではありません。m(__)m

登校風景2


最後も柿


では・・・(@^^)/~~~

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