今日の続きは、また明日

毎朝、カメラ片手の散歩で撮った写真を気の向くままに・・・

稲刈りが始まりました。

2012年08月31日 | 徒然なるままに


今朝の様子。

27日は



水が抜けていたので今週の土・日かと思っていたのですが、昨日のようでした。

ここも、もうすぐですね。


庭の使っていないハンギングバスケット、乾燥対策で敷いてある、ミズゴケが根付いて良い色になり、カエルの住処になっていました。
ちょっと、メルヘンぽい写真が撮れました。



水やりをすると、ほとんどのカエルはすぐ逃げるのですが、この子は粘っています。居心地がいいんでしょうね。

では、今日の続きは、また明日(^^)/~~~
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嵐の後

2012年08月30日 | 徒然なるままに


娘達の子が帰り、サージュに平穏な時間が訪れました。ヽ(^。^)ノ

その元凶・・・






暑い日が続きますが・・・
景色は確実に秋に向かっていますね。今朝の雲




では、今日の続きは、また明日(^^)/~~~





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支離滅裂

2012年08月29日 | 徒然なるままに
時事ドットコム
首相問責決議の全文

内閣総理大臣野田佳彦君問責決議
 本院は、内閣総理大臣野田佳彦君を問責する。
 右決議する。
 理由
 野田内閣が強行して押し通した消費税増税法は、2009年の総選挙での民主党政権公約に違反するものである。
 国民の多くは今も消費税増税法に反対しており、今国会で消費税増税法案を成立させるべきではないとの声は圧倒的多数となっていた。
 最近の国会運営では民主党、自由民主党、公明党の3党のみで協議をし、合意をすれば一気呵成に法案を成立させるということが多数見受けられ、議会制民主主義が守られていない。
 参議院で審議を行う中、社会保障部分や消費税の使い道等で3党合意は曖昧なものであることが明らかになった。
 国民への約束、国民の声に背く政治姿勢を取り続ける野田佳彦内閣総理大臣の責任は極めて重大である。
 よってここに、野田佳彦内閣総理大臣の問責決議案を提出する。


====

これに自民党が賛成し、賛成演説までしている。

いくら院が違うとはいえ、同じ党なのに・・・採決に退席した公明のが筋が通っていましたね。

それにしても・・・ちょっとあきれる政界の動きですね。

では、今日の続きは、また明日(^^)/~~~


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やはり本音では、脱原発は無いという事なんですね

2012年08月29日 | 徒然なるままに
時事ドットコム
原発ゼロ、簡単に言えぬ=野田首相「安保絡む」

 野田佳彦首相は28日夜、都内の焼き鳥店で衆院当選1回議員15人と会食した。原発依存度を将来ゼロにすべきだとの意見が出たのに対し、首相は「安全保障の問題が絡むので、簡単に原発ゼロとは言えない」と否定的な見解を示した。

======

原発と安全保障?

「核兵器をもたず、つくらず、もちこませず」の非核三原則に真っ向から反しますよね。

たまたま、昨日の話題につながった話ですが、

中曽根さん達保守三党の原子炉建設推進の動きは、将来の核兵器製造まで見越した動きだったんでしょうね。

原子力政策の見直しをしている中での、この発言。

はたして国民の半数以上が脱原発を望んでいるとの認識の下で、どんな結論が出るんでしょう。

それにしても、最近の動き、ナショナリズムを刺激する事が多いですね。
橋下大阪市長の徴兵制もそうですが・・・右傾化を増長するようで・・・

こんな碑が沢山立つような世の中にならなければいいのですが・・・


散歩コースにある碑です。

陸軍大将 白川義則の書です。

裏に各戦役に今の白岡町篠津地区(篠津村)から出兵した人の一覧ですが、古くは明治十年の西南戦争の2名の名もあり、遠く九州まで派遣されていることが分かります。

碑自体は日露戦争でなくなった3名の顕彰のためなんでしょう。
記された名前は、総勢で79名にのぼります。

では、今日の続きは、また明日(^^)/~~~







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昨日は原子の火がともった日

2012年08月28日 | 徒然なるままに

昨日、8月27日は日本初の原子炉JRR-1が臨界に達した日なんですね。
55年前の1957年の事でした。

実験炉で出力はわずか50キロワット、今は、日本原子力研究開発機構と名前が変わりましたが、日本原子力研究所でした。

そこに至るまでの動きは、

原子力百科事典の原子力年表などに詳しいです。


戦後、日本は原子力研究を禁じられていましたが、1953年12月、国連総会でアイゼンハワー米大統領が演説で「アトムズ・フォア・ピース」を唱え、原子力の平和利用のために、米国がウランを貸し出すことを宣言しました。

これを受け、日本学術会議では研究推進の基礎調査の動きが起きましたが、米ソの冷戦下、軍事的な利用を懸念する観点から「米ソ対立が解けるまで手を出すべきでない」との反発もあり、紛糾をしたようです。

学術会議の紛糾をよそに、政界がいち早く動き、翌年の54年3月に原子炉製造のための修正予算案2億3500万円(ウラン資源調査費を含め2億5000万円)が当時改進党の衆院議員だった中曽根康弘元首相ら保守3党から提出され成立しました。

日本学術会議は、原子力に対する政府の方針を非難し、核兵器研究の拒否と原子力研究に関する「自主、民主、公開」の3原則遵守の声明をだしました。これは後の原子力基本法に反映されています。

翌55年11月に初の原子力担当国務大臣に正力松太郎が就任。

56年1月1日に原子力基本法、原子力委員会設置法、総理府(現内閣府)設置法の一部改正法(原子力3法)が制定・施行された。基本法では、わが国の原子力の研究、開発、利用を平和目的に限定し、民主、自主、公開の3原則を明示した。初代委員長に正力松太郎(国務大臣)が就任した。

そして、57年の原子炉の臨界に至ります。

この1957年は軍事的にも科学的にも大きな出来事があったんですね。

8.22 ソ連、大陸間弾道弾(ICBM)の実験成功
10.4 ソ連、人工衛星スプートニク1号打上げに成功
10.27 米核弾頭用ミサイルの実験に成功
11.3 ソ連人工衛星スプートニク2号、犬を乗せて打上げに成功

このスプートニク・ショックがアメリカを月に向かわせた大きな原因でした。


読売新聞の原発問題でのスタンスは、原発を推進した正力氏がいたからなんでしょうね。

中曽根氏が原子炉建設に大きくかかわったのは、やはり将来の軍事的なプレゼンスを考えていたんでしょうかね。

自民党の原発に対しての煮え切らない態度もこれにつながっているのでしょう。

当時の研究者たちは今の状況をどう思っているんでしょうか。

では、今日の続きは、また明日(^^)/~~~

あっ、写真はクレマチスの実(?)です。


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今日の散歩・お気に入りの小道

2012年08月27日 | 徒然なるままに


用水路沿いの小道です。





カルガモの親子や大きな鯉が見られます。







水を抜いた田んぼでは、本当に朝日を浴びて黄金色に輝いていました。そろそろ稲刈りですね。



梨は、幸水が終わりました


次は豊水ですね


暑い日が続きますが・・・秋の気配も

ぽっかり浮かんだ雲・・・何に見えますか?


今日から、孫台風の上陸、この夏最後の試練です(^_^;)

では、今日の続きは、また明日(^^)/~~~





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おっ!? 卵が孵ったか?

2012年08月26日 | 徒然なるままに


小さいトカゲがうろちょろ、この間見つけた卵かと思って確認したら、まだでした。



動きが早くて、なかなか写せなかったんですが、なんとか撮った一枚



見上げたら、秋の雲が・・・


では、今日の続きは、また明日(^^)/~~~

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再び、とちぎわんぱく公園

2012年08月26日 | 徒然なるままに




金曜日に長女の子供にせがまれ、わんぱく公園に行きました。

暑かったですね~・・・

屋内施設には人がいましたが、屋外は貸切り状態です。
どこか、高原の避暑地の風景ですが・・・暑い(T_T)








たぬきの迷路も、貸切り



夏空とはいえ、少し秋を感じます。





では、また後で(^^)/~~~
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原発従業員で被災者の手記

2012年08月23日 | 徒然なるままに

長女の旦那の実家が福島県南相馬市小高区なんです。
そして、義父が福島原発で大手ゼネコンの安全担当として勤務、まさしく原発の安全神話を守るための勤務を30年にわたって続けてきた人です。

その人が、あの震災の日から今年2月までの日々の出来事や考えたことを和歌と文章で綴った著書が昨日届きました。

中途半端に引用してご本人の思いと違う印象を与えたくないので、長くなりますが、「謹呈」の言葉と「序にかえて」をそのまま載せます。

==============

謹呈

野生に生きる獣たちは、傷つけば即ちそれは死を意味するという。
しかし人間は、悲しいときは悲しい歌を歌い、
寂しいときは寂しい歌を歌い、
心に負った傷をお互いに舐め合って生きている。

想定外の地震が津波を生み、
津波は家族を奪い、田畑を奪い、
我故郷においては原子力発電所を破壊し、
緑の大地を放射能で汚染した。

ある者は未来を、将来を見出せずに苦しみつつ仮設住宅に、
ある者は子のために親も故郷も捨てて知らない土地へ、
またある者はあの日以前の日を取り戻すために立ち上がった者もいる。

小生もあの日以来、親戚宅や体育館の避難生活を転々とし、
今は自宅から十数キロの所の借り上げ住宅で生活をしている。
高齢を言い訳に正規の職にも就かず、あの日以来のメモを整理してみた。

師に付いて勉強した経験もなく、新聞の学芸欄に掲載されている三十一文字に格別な興味を持つでもない者のその内容は、稚拙で他愛のないものであろう。
更に、今、死を目前にしている者に対してカメラを回し続けるカメラマンの度胸もなく、
屍に鞭を打ち生前を確かめようとする探究心があるわけでもない内容ではあるが、
各位のご協力により人生初めての「著書」が纏まった。

序にかえて

 復興元年と銘打って始まった平成24年も立春を迎えた。
「福島の復興無くして震災の復旧復興なし」と格好のいい謳い文句から11カ月が過ぎた。
 警戒区域の見直しも話題になっている昨今である。
 しかし、わが故郷南相馬市小高区は、あの日から暦が止まったままである。
 11カ月の間に自分の故郷に帰れたのは、一時帰宅の許可のあった2回のみである。
 警戒区域ということで、何も手が下されていない。
地震で倒壊した家屋が道をふさいでいる。
 あの日のままである。
 変わったのは、庭の雑草が伸びて、そして枯れたことぐらい・・・・・・か。

 先日、阪神淡路大震災から17年とのことでニュースがあった。
 阪神淡路は、外観上は、完全に復旧されたように見える。
 しかしわが故郷は、未だに手が付けられない状態である。
 放射能の影響がそうしているのかもしれないが、最早一年を迎えようとしているのにだ。

 阪神淡路に負けない復旧復興が叶うのだろうか。いたずらに暦日ばかり過ぎ去っているように思えるのは自分だけであろうか。

 最近の新聞、特に地元紙といわれる福島の新聞でさえ、その顔ともいうべき一面記事に「原子力発電所」関連の記事が載らない日も出てきている。なれば、中央紙も測りし得る。
 そして、徐々に福島が、原子力発電所が忘れ去られてゆくのである。
 天下のNHKも然りである。地方向け番組にあっても震災関連のニュースを捜すのに苦労する状態である。挙句の果てに、放映している内容は、民放局と同類の、アフタヌーンショー、バラエティショーのドタバタ番組、もしくは、お涙頂戴のドキュメンタリー番組が大半を占める。
 これに、ショッピングコーナーを加えたら民放と何等変わらぬ番組ばかりと思うのは自分だけであろうか。

 などと愚痴りながら、しかし、結論の出ないまま借り上げ住宅であの日から300日、ボンヤリと何をすることもなく過ごしている。朝起きて、夜寝るまで何もしないのである。
 あの日以前には考えられないことである。

 最近、「絆」とか、「支えあう」とか、「元気を与える」とか、「元気をもらえた」とか話しているが、自分にはそんな気持ちにはなれないのである。そんな状態があの日からずっと続いているのである。

「とりとめもない虚無の世界」とでもいえば恰好がつくかもしれないが、そんな大それたことではない。
寒く殺伐とした体育館での避難生活。反対に老舗の温泉宿での二次避難。そして、借り上げ住宅に移った今でもずっと同じ思いである。

 まさに無である。まさに空である。無にして空なのである。

 何度あの頃三十一文字指折り数えて残したメモを繰り返し読んでみても・・・・

記:
(平成24年2月 南相馬市原町区の借り上げ住宅にて)
 
===============

と、重たい感じの文章でしたが、「あとがき」の最後の一節に

あの日から一年。
振り返るのではなく、前を見て進もう。
少なくも、この一年、停滞したのだから。
あの日以前の日がいつ来るかは分からないけれど
あの日以前を取り戻すまで。


とあって、少し安心をしました。

地震当日の歌、6首

事務本館屋上塔屋はひっくりかえり
  人々転がり叫びて出ずる

ハンドルで支えきれない揺れやまず
  助手席シートにしがみつくなり

普通なら静まる頃と思えども
  更に大きく更に激しく

あと二人現場の建屋に居る筈だ
  安否のPHS(ピッチ)は通信不能

普通ならそれは大きな地震なり
  これで余震か蒼白の顔

バス停に船打ち上げられているという
  むきだし眼(まなこ)にうわずる声で



最後の歌の説明で

・・・そんな中、作業員の話の中から、「構内バス停に船が打ち上げられている」との報告があった。
「地震の後には津波が来る」ことを知った最初の瞬間であった。海抜12メートルに津波が来る筈がない安全神話の崩壊を見た瞬間である。


安全担当として、作業員が原発で安全に作業するためのルール、法基準、マナー等の指導教育を行っていた著者は、

『作業員が「安全」である。それは、とりもなおさず原子力発電所も「安全」であり、いわゆる、「安全神話」の基本となっていた。』と記しているが、このバス停の船で、その神話が崩れ去るのを実感したのでしょう。

定年を過ぎても、勤務を続けていたのですが、震災後の原発復旧に際して会社からの度重なる強い要請を断り、今年4月に64歳8カ月で退職をしました。

震災当日の出来事から、避難所での生活などでの出来事や感じたことが、綺麗ごとでなく綴られていています。

おいおい、紹介をしていきたいと思います。

今日は、長くなりましたが、最後まで読んでいただいてありがとうございます。

では、今日の続きは、また明日(^^)/~~~







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暑い日が続きますが・・・

2012年08月22日 | 徒然なるままに
暑い日が続いていますが、秋が近づいているんですね・・・
ヒマワリも種が沢山



梨も


そして、鳥も子育てが終わりそう・・・
いつもの古代蓮の調整池にコサギが沢山、


カルガモも


蓮は終わりました。




カラスの親子、餌をねだって子が親を追いかけていました。

前にいるのが親。何かをくわえています。

そうそう、レンズをスタビライザー付にしてみました。
ためしに、飛んでいるサギを採っていましたが、効果抜群ですね。




では、今日の続きは、また明日(^^)/~~~
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羽化したばかりのセミ

2012年08月21日 | 徒然なるままに
今朝の散歩で見つけたセミです。
地面に出たら、木がなくて・・・仕方なくブロック塀でという事なんでしょう。





羽化したばかりのようで、まだ色が薄いですね。何とか夏に間に合った感じですね。


こちらは、昨日見つけた、トカゲ(カナヘビ)の卵
玄関アプローチの竜のひげの中にありました。根をモグラに荒らされて、姿を現しましたので孵るかどうか微妙ですね。
調べたら、あまり遅い卵は、孵っても体力をつける前に冬が来て、越せないのが多いようですね。


こちらは、この卵より少し早く孵った子供のようです。大人になるまで約1年、無事に育つでしょうか。


そして、こちらはツバメの親子、左が子だと思います。


こちらは、収穫間近


夏の終わりが近づいていますね。
来週、この夏、最後の孫台風の上陸です。

では、今日の続きは、また明日(^^)/~~~
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こんな鳥除けが・・・(*_*)

2012年08月20日 | 徒然なるままに
今日の散歩でのシーンです。



田んぼに鳥が見えます。
近づいても逃げる気配がありません。
よく見たら・・・


ギャー・・・

デイゴではないみたいなので・・・死骸ですかね、それとも剥製かな?

カラス除けにカラスの死骸を吊り下げたり、ビニール製のカラスを吊り下げたりすると、Wikにはありましたが・・・

ちょっと、驚きでした。

確かに、カラスも、スズメもいませんでしたけど・・・

では、今日の続きは、また明日(^^)/~~~





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ザリガニ

2012年08月19日 | 徒然なるままに
散歩途中の用水路のザリガニです。


越したころ、近くの用水路にもいたのですが、とんと見かけなくなりました。
朝の散歩で、いろんな処に行っていますが、見かけるのは此処だけ。

子供の頃、子どもの足ではちょっと遠くて、且つ、工場跡地(空襲で焼けたままだったのかも・・)で入るのにちょっと勇気がいるところに、大きな水たまりがあって、ザリガニが取れました。
棒と、タコ糸、スルメで、釣るのですが、怖がりの私は釣れたら釣れたで、触るのがこわくて・・・赤い大きなはさみを挙げて威嚇されると、なかなか手が出せませんでした。
大きくて、赤いのをマカッチンと呼んで、それをみんなで狙っていました。

捕っているいるときの記憶はあるんですが・・・捕った後はどうしたのか・・・??

そんな頃の古い写真、近所の子達と一緒に・・・昭和30年ごろ、家の前です。

車が全く、写っていませんね。
東京の下町、材木商の集まる木場の近くでした。材木を運ぶ荷車を引く馬がまだ少し残っていた時期かもしれません。


では、今日の続きは、また明日(^^)/~~~
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雷雨のち虹

2012年08月18日 | 徒然なるままに
こちら側はまだ雨雲


こちらは、晴れ


全体


では、今日の続きは、また明日(^^)/~~~

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だれだ!?こんなの脱いでいくのは??

2012年08月18日 | 徒然なるままに

分かりますか?
シモツケの葉に、何かがついています。


脱皮した皮ですね。
一瞬ヘビかと思ったのですが、それにしては小さいので、調べたらカナヘビ(トカゲ)でした。

それと、これ


お腹の大きくなったのを見ていますので、多分、卵です。
2個から7個程度生むらしいので、何かの拍子で一つだけ、見えるところに出てきてしまったんでしょうか?


場所も、環境もあまり良くないので、どうなりますか。

では、今日の続きは、また明日(^^)/~~~
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