昨日の荒天から、陽は隠れているもの穏やかな朝です。
暖かく・・・春の到来を感じさせる陽気でした。
朝日はまだ、雲の中
カルガモ
繁殖期が近づいているのでしょう、つがいで見るシーンが増えました。
ピントが合ってませんが・・・ゴイサギの幼鳥、ホシゴイ
これもピント外れ・・・m(__)m、一昨日会ったカワセミ
このあと、ヒヨドリが近くの枝に来て、飛ばれてしまいました。
ダイサギ
新幹線
少し薄いですが、天使のはしごが見えます。英語名もそのまま『angel's ladder』
旧約聖書にヤコブが夢の中で、雲の切れ間から差す光のような梯子が天から地上に伸び、そこを天使が上り下りしている光景を見たと書かれていることから、
ヤコブのはしごとも言います。
この光、空気中の小さな水滴に反射して見えるのですが、その水分量が微妙で多くても少なくても見えません。
太陽のさす角度が低い、朝と夕方にみられる現象で主に空気が澄む秋から冬に多く見られるそうです。
「天と地を結ぶ光」のような印象を持つこの景色には、古くから芸術家たちに感動やインスピレーションを与えたようで・・・
「レンブラント光線」とも呼ばれるほど、この情景を好んで描いたレンブラントが代表的ですね。
この光芒は宗教的な荘厳さを醸し出すのでしょう、欧米の教会では光芒を作り出すように窓から太陽光が差し込む演出が多くなされていますね・・
ヴァチカンのサンピエトロ大聖堂も窓からの光芒で、大聖堂の中が荘厳な威厳に満ちた雰囲気に包まれるよう、ミケランジェロが演出した言われています。
日本では・・・宮沢賢治が「告別」という詩の中で「光でできたパイプオルガン」と書いています。
教師をしていた賢治が、音楽の才能があるにもかかわらず音楽の道に進めない教え子の卒業に詠んだ詩でした。
おまへのバスの三連音が
どんなぐあひに鳴ってゐたかを
おそらくおまへはわかってゐまい
その純朴さ希みに充ちたたのしさは
ほとんどおれを草葉のやうに顫はせた
で始まる詩・・・最後に
もしも楽器がなかったら
いゝかおまへはおれの弟子なのだ
ちからのかぎり
そらいっぱいの
光でできたパイプオルガンを弾くがいゝ
で終わります。
長いので、全文は文末に載せます。
カワセミに会えず・・・帰路に・・・
先ほどのダイサギ
飛び立ちを連写
先ほどのカワセミ・・・いました。
近づいたら・・・
飛ばれるかと思ったのですが・・・また獲物狙いです。
ホトケノザ
カルガモ
ぺんぺん草
梅
これも梅
フクジュソウ
ヒヨドリ・・・寒いのでしょうか、体が丸くなってます。
雀
今日の成果・・・若菜摘みです。
百人一首の
「君がため 春の野に出でて 若菜摘む
我が衣手に 雪は降りつつ」
が良く知られていますが、
万葉集の冒頭の歌も
「籠(こ)もよ、み籠持ち、掘串(ふくし)もよ、み掘串持ち、この岳(をか)に菜(な)摘(つ)ます兒(こ)、家聞かな、告(の)らさね、そらみつ大和の国は、おしなべてわれこそ居(を)れ、しきなべてわれこそ座(ま)せ、われにこそは告らめ、家をも名をも」
(良いかごを持って、良い串を持って、この丘で菜(な)を摘むお嬢さん。君の家はどこかな、教えてくれないかな。私は大和の国を治めているものです。だから私には教えてくれるでしょうね、君の家も君の名前も。)
と若菜摘みを詠んでいます。
冬、野外で遊ぶことが出来なかった人達にとっての若菜摘みは待望の行楽で、その日の到来をわくわくしながら待ちかねていたことでしょう。
万葉集以外にも数多くの歌が詠まれています。
「春日野の 飛ぶ火の野守 出(いで)て見よ
今 幾日(いくか)ありて 若菜摘みてむ 」 古今和歌集 読み人しらず
( 春日野の飛火野の番人よ、あと何日経ったら若菜が摘めるようになるか
ちょっと外に出て野原の様子をみてきてくれないか? )
この若菜摘みは次第に儀礼化され、平安時代の醍醐天皇延喜年間(901~914)には、正月最初の子の日(のち七日)に天皇に
若菜を奉る公式行事となりました。
枕草子にも
「七日、雪間の若菜摘み、青やかにて、例はさしもさるもの目近からぬ所にもて、騒ぎたるこそをかしけれ」
(正月七日、雪の間で若菜を摘んできて、青々とした若菜を、普段はそんなものを近くで見ることもない御殿の中で見て騒いでいるのが、とても素敵だ)
と書かれています。
今日摘んだ菜の花は・・・春のほろ苦さを味わいます。
では、今日の続きは、また明日(^^)/~~~
付録・・・「告別」
おまへのバスの三連音が
どんなぐあひに鳴ってゐたかを
おそらくおまへはわかってゐまい
その純朴さ希みに充ちたたのしさは
ほとんどおれを草葉のやうに顫はせた
もしもおまへがそれらの音の特性や
立派な無数の順列を
はっきり知って自由にいつでも使へるならば
おまへは辛くてそしてかゞやく天の仕事もするだらう
泰西著名の楽人たちが
幼齢弦や鍵器をとって
すでに一家をなしたがやうに
おまへはそのころ
この国にある皮革の鼓器と
竹でつくった管
とをとった
けれどもいまごろちゃうどおまへの年ごろで
おまへの素質と力をもってゐるものは
町と村との一万人のなかになら
おそらく五人はあるだらう
それらのひとのどの人もまたどのひとも
五年のあひだにそれを大抵無くすのだ
生活のためにけづられたり
自分でそれをなくすのだ
すべての才や力や材といふものは
ひとにとゞまるものでない
ひとさへひとにとゞまらぬ
云はなかったが、
おれは四月はもう学校に居ないのだ
恐らく暗くけはしいみちをあるくだらう
そのあとでおまへのいまのちからがにぶり
きれいな音の正しい調子とその明るさを失って
ふたたび回復できないならば
おれはおまへをもう見ない
なぜならおれは
すこしぐらゐの仕事ができて
そいつに腰をかけてるやうな
そんな多数をいちばんいやにおもふのだ
もしもおまへが
よくきいてくれ
ひとりのやさしい娘をおもふやうになるそのとき
おまへに無数の影と光の像があらはれる
おまへはそれを音にするのだ
みんなが町で暮したり
一日あそんでゐるときに
おまへはひとりであの石原の草を刈る
そのさびしさでおまへは音をつくるのだ
多くの侮辱や窮乏の
それらを噛んで歌ふのだ
もしも楽器がなかったら
いゝかおまへはおれの弟子なのだ
ちからのかぎり
そらいっぱいの
光でできたパイプオルガンを弾くがいゝ
賢治はこの詩を詠んだ春に教師を辞しています。