なかなか青空の下での散歩になりませんね・・・
今日も曇り・・・その上、被写体不足で寂しい感じです。
葛
秋の七草のひとつですね。
葛の命名は、植物学者牧野富太郎博士の植物図鑑では、
遠く飛鳥時代のころ、大和国の吉野地方に国栖(くず)とよぶ土着の人らが吉野川上流に住み、壬申の乱のとき都を逃れてきた大海人皇子(おおあまのおうじ)を匿っていました。
乱が鎮まり天武天皇となられると、この国栖の人々を都へ招かれました。
国栖の人々は、宮中の節会の際には国栖村の古歌をうたい、葛粉を作り献上することが例となりました。
そこでその村の国栖を葛の文字に置き換えたことが葛の名の起こりである、と記しています。
この国栖の人は、日本書紀では神武天皇東征のおり、当地で光る井戸から出てきた尾のある人と記されています。
尾のある人などいるはずもありませんので、獣皮を尻に当てて山で働く姿ではないかと考えられています。
平地である都人にはよほど奇異に見えたのでしょうね。
この葛、
平安時代の枕草子には、
「 葛の 風に吹き返へされて 裏の いと白く見ゆる をかし 」とあり、
葉が風にひるがえると裏の白さが目立つことから「裏見草(うらみぐさ)」とも呼ばれるようになりました。
この「裏見」を「恨み」に掛けた和歌が多く詠まれています。
「秋風はすごく吹けども葛の葉のうらみ顔(がほ)には見えじとぞ思ふ」
和泉式部 新古今和歌集
( 秋風は恐ろしいばかり吹いていても、葛の葉は裏を見られまいと思っておりましょう。
私も夫の仕打ちがつらくても、恨んでいるよう見られまいと心掛けているのです。)
橘道貞の妻となり、一女をもうけながらも破綻し別居。
夫に忘れ去られた気持ちを秋風=夫 葛の葉=作者にたとえた一首です。
万葉集からも一首
「我(わ)が宿(やど)の、葛葉(くずは)日(ひ)に異(け)に、色づきぬ、来(き)まさぬ君は、何心(なにごころ)ぞも」
(私の家の庭の葛(くず)の葉が日に日にいっそう色づきて来ました。来ないあなたはどんなお気持ちなのでしょうか。)
ニラ
刈り取りの途中
ダイサギ
ルコウソウ
シオン
タマスダレ
ヒマワリ・・・どこか寂し気
キバナコスモスとアサガオ
キバナコスモス
ミソハギ
ケイトウ
台風が近づいているのを感じているんでしょうかね・・・野鳥にほとんど出会いませんでした。
では、今日の続きは、また明日(^^)/~~~
今日も曇り・・・その上、被写体不足で寂しい感じです。
葛
秋の七草のひとつですね。
葛の命名は、植物学者牧野富太郎博士の植物図鑑では、
遠く飛鳥時代のころ、大和国の吉野地方に国栖(くず)とよぶ土着の人らが吉野川上流に住み、壬申の乱のとき都を逃れてきた大海人皇子(おおあまのおうじ)を匿っていました。
乱が鎮まり天武天皇となられると、この国栖の人々を都へ招かれました。
国栖の人々は、宮中の節会の際には国栖村の古歌をうたい、葛粉を作り献上することが例となりました。
そこでその村の国栖を葛の文字に置き換えたことが葛の名の起こりである、と記しています。
この国栖の人は、日本書紀では神武天皇東征のおり、当地で光る井戸から出てきた尾のある人と記されています。
尾のある人などいるはずもありませんので、獣皮を尻に当てて山で働く姿ではないかと考えられています。
平地である都人にはよほど奇異に見えたのでしょうね。
この葛、
平安時代の枕草子には、
「 葛の 風に吹き返へされて 裏の いと白く見ゆる をかし 」とあり、
葉が風にひるがえると裏の白さが目立つことから「裏見草(うらみぐさ)」とも呼ばれるようになりました。
この「裏見」を「恨み」に掛けた和歌が多く詠まれています。
「秋風はすごく吹けども葛の葉のうらみ顔(がほ)には見えじとぞ思ふ」
和泉式部 新古今和歌集
( 秋風は恐ろしいばかり吹いていても、葛の葉は裏を見られまいと思っておりましょう。
私も夫の仕打ちがつらくても、恨んでいるよう見られまいと心掛けているのです。)
橘道貞の妻となり、一女をもうけながらも破綻し別居。
夫に忘れ去られた気持ちを秋風=夫 葛の葉=作者にたとえた一首です。
万葉集からも一首
「我(わ)が宿(やど)の、葛葉(くずは)日(ひ)に異(け)に、色づきぬ、来(き)まさぬ君は、何心(なにごころ)ぞも」
(私の家の庭の葛(くず)の葉が日に日にいっそう色づきて来ました。来ないあなたはどんなお気持ちなのでしょうか。)
ニラ
刈り取りの途中
ダイサギ
ルコウソウ
シオン
タマスダレ
ヒマワリ・・・どこか寂し気
キバナコスモスとアサガオ
キバナコスモス
ミソハギ
ケイトウ
台風が近づいているのを感じているんでしょうかね・・・野鳥にほとんど出会いませんでした。
では、今日の続きは、また明日(^^)/~~~