今日の続きは、また明日

毎朝、カメラ片手の散歩で撮った写真を気の向くままに・・・

今日は朝焼け

2020年12月29日 | 徒然なるままに
今日、家を出たら・・・朝焼け


いつもの場所から


もう一枚・・・家で隠れていますが、光の加減からすると、左側の鉄塔あたりでは陽が顔を出しているかもしれません。


ツグミ?


ノスリが定位置に・・・


今日の富士山は霞んでいます。


ピンボケですが・・・茜色の空にアオサギ


こちらは、朝日を受けているダイサギ


これも、朝日を受けて・・・アオサギ


ダイサギ


アオサギ


前の写真のアオサギです。


カワセミ・・・今日はこの一枚だけ


ホシゴイ・・・ゴイサギの若鳥


アオサギ・・・あたりも朝日に染まっています。


定番、新幹線


朝日


カワラヒワ・・・ようやく群れに出会うようになりました。


新幹線、もう一枚


シメ


反対側の枝にモズ


ツグミ


今日は29日、今年も二日を残すだけになりました。

大変だった一年が終わろうとしています、この過ぎていく年を「行く年(ゆくとし)」と擬人化して呼びますね。

年の擬人化は松尾芭蕉の『奥の細道』の冒頭「月日は百代の過客にして、行きかう年もまた旅人なり。」が良く知られていますが、

これは、中国・唐代の詩人李白のよく知られた詩『春夜宴桃李園序』の冒頭

「夫天地者萬物之逆旅 光陰者百代之過客 而浮生若夢爲歡幾何」

(天地は万物の逆旅(仮の宿)であり、光陰もまた永遠の旅人である。浮生は夢のようであり、その儚い間の楽しみとはいかほどのものか。)

が元になっています。

ただ、この『奥の細道』より10年も前に出版された井原西鶴の『日本永代蔵』に

「されば天地は萬物の逆旅。光陰は百代の過客、浮生は夢幻といふ。」とありますので、

どうも、西鶴のが先みたいですね。


この人生が夢幻というのは、

平家物語の冒頭の一節

「祗園精舎の鐘の声、
諸行無常の響きあり。
娑羅双樹の花の色、
盛者必衰の理をあらは(わ)す。
おごれる人も久しからず、
唯春の夜の夢のごとし。
たけき者も遂にはほろびぬ、
偏に風の前の塵に同じ。」

や豊臣秀吉の辞世の句

「露と落ち 露と消えにし 我が身かな 浪速のことも 夢のまた夢」

等に出てきますね。

振り返ってみれば、何もかも夢の中のできごとのようだった・・・納得する自分がいます。


同じような思いはJohn LennonのDream にも出てきます。

“So long ago
Was it in a dream, was it just a dream?
I know, yes I know
Seemed so very real, it seemed so real to me”


「ゆく年や風にあらがふ日のひかり」 (久保田万太郎)

「行く年の夕焼彼の世の色ならずや」 (水野 柿葉)

では・・・(@^^)/~~~
コメント
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