ご無沙汰をしていました。
膝の調子が悪くて散歩をサボリ気味でブログもお休みでした。
投稿をサボっている間に撮った中から・・・
空に浮かぶ雲と冬木立
巻雲とか筋雲とか呼ばれる雲ですね。
5千から1万メートルの空に現れますが、冬の澄み切った空にはお似合いです。
その形から毛髪や繊維を思わせる形をした毛状雲、
鈎のように端が曲がっている鈎状雲、
雲が不規則に曲がっていたりもつれたりしている、もつれ雲
とか呼びます。
「かげりなき冬青空にたのみあり」 (中村汀女)
こちらは、巻雲から変化して出来た雲、巻積雲かな?
「冬木立はねをすぼめてうつる鳥」 (中勘助)
お馴染みの野鳥
バンです。獲物が大きすぎて持て余している感じですね。
カワラヒワ
アオサギ
ピントが合ってませんね。
これは、珍しくバッチリ!!
ダイサギの着地
カワセミ
モズ
ジョウビタキ
ジョウビタキの女の子、近くに止まりました。
カシラダカ
ホオジロ
ハクセキレイ
スズメ
アオサギ
水仙
サボっている間に月が変わり、明日は節分、明後日は季節も代わる立春ですね。
季節の変わり目の立春、立夏、立秋、立冬の前日は、すべて節分なんですが、
古くは立春を一年の始まりとしたことから、節分と言えば特に立春の前日を差すようになりました。
節分の付き物は豆まきですが、大晦日の宮中儀式である「追儺(ついな)」が民間に伝わったと考えられてます。
新しい年を迎える前日の大晦日に悪魔を祓い悪疫邪気を退散させるという行事で、中国から伝わったとされ、
日本では飛鳥時代の706年に宮中で初めて行われたと「続日本紀」に記されています。
豆まきといえば、鬼がつきものですが、もともとの追儺では見えない悪鬼を追い払うので、鬼はいませんでした。
この悪鬼を追い払う役目の人は「方相氏(ほうそうし)」と呼ばれています。
その方相氏はただの人間ではありません。
中国の古い文献には熊の毛皮をかぶり、四つ目の黄金の目の面をつけた呪師と記してあるそうですが、
日本の追儺の方相氏も四つ目の面をかぶり唐風の服装をして右手に矛、左手に盾を持ち、
侲子(しんし)という役人または童子を引き連れており、まさに異形の姿をしています。
宮中の追儺の儀式は、現在では平安神宮で節分に行われる「大儺の儀(だいなのぎ)」という行事で再現されています。
方相氏が8人の童子の侲子を引き連れて登場し、手に持った矛で盾を打ち鳴らして「鬼やらう」と大声で発声し、斎場を回り、悪鬼を追い払います。
方相氏が普通の人間の倍の力のある眼力でにらみ大声で発声することにより、災厄をもたらす鬼を追い払うと考えられています。
ところが、この方相氏、平安時代の末期になるとなぜか追い払われる側の鬼になってしまいます。
後ろに従っていた侲子も、方相氏と一緒に悪鬼を追う役から、方相氏を追い掛け回す役に変わります。
もともと、目に見えない悪鬼を追い払う儀式でしたが、それを追い払う役の方相氏が四つ目の恐ろしい姿をしており、
人間とは違う力を持った異形のものの姿でしたので、いつしか目の前にいる恐ろしい姿をした鬼神つまり鬼そのものと変わってしまったのでしょう。
鬼の具体的なイメージとして、方相氏の姿が定着していきます。
江戸時代に多くの妖怪の姿を描いた鳥山石燕の「今昔百鬼拾遺」には、方相氏は妖怪の一員として登場します。
それも四つ目にさらに二本の角を頭に生やし、すっかり今の鬼の姿となっています。
本当は鬼を退治する人だったのに、その外見が恐ろしいばかりに鬼として退治される側になるとは・・・ちょっと可愛そうですね。
それにしても、この方相氏の顔、いま話題の外国の人に雰囲気が似てるような・・・(^O^)
豆まきも、今は家庭より保育園とか幼稚園のが盛んですね。
「鬼の子のはしやぎて逃げる節分会」 (平岡喜美子)
では、今日の続きは、また明日(´ー`)/~~
膝の調子が悪くて散歩をサボリ気味でブログもお休みでした。
投稿をサボっている間に撮った中から・・・
空に浮かぶ雲と冬木立
巻雲とか筋雲とか呼ばれる雲ですね。
5千から1万メートルの空に現れますが、冬の澄み切った空にはお似合いです。
その形から毛髪や繊維を思わせる形をした毛状雲、
鈎のように端が曲がっている鈎状雲、
雲が不規則に曲がっていたりもつれたりしている、もつれ雲
とか呼びます。
「かげりなき冬青空にたのみあり」 (中村汀女)
こちらは、巻雲から変化して出来た雲、巻積雲かな?
「冬木立はねをすぼめてうつる鳥」 (中勘助)
お馴染みの野鳥
バンです。獲物が大きすぎて持て余している感じですね。
カワラヒワ
アオサギ
ピントが合ってませんね。
これは、珍しくバッチリ!!
ダイサギの着地
カワセミ
モズ
ジョウビタキ
ジョウビタキの女の子、近くに止まりました。
カシラダカ
ホオジロ
ハクセキレイ
スズメ
アオサギ
水仙
サボっている間に月が変わり、明日は節分、明後日は季節も代わる立春ですね。
季節の変わり目の立春、立夏、立秋、立冬の前日は、すべて節分なんですが、
古くは立春を一年の始まりとしたことから、節分と言えば特に立春の前日を差すようになりました。
節分の付き物は豆まきですが、大晦日の宮中儀式である「追儺(ついな)」が民間に伝わったと考えられてます。
新しい年を迎える前日の大晦日に悪魔を祓い悪疫邪気を退散させるという行事で、中国から伝わったとされ、
日本では飛鳥時代の706年に宮中で初めて行われたと「続日本紀」に記されています。
豆まきといえば、鬼がつきものですが、もともとの追儺では見えない悪鬼を追い払うので、鬼はいませんでした。
この悪鬼を追い払う役目の人は「方相氏(ほうそうし)」と呼ばれています。
その方相氏はただの人間ではありません。
中国の古い文献には熊の毛皮をかぶり、四つ目の黄金の目の面をつけた呪師と記してあるそうですが、
日本の追儺の方相氏も四つ目の面をかぶり唐風の服装をして右手に矛、左手に盾を持ち、
侲子(しんし)という役人または童子を引き連れており、まさに異形の姿をしています。
宮中の追儺の儀式は、現在では平安神宮で節分に行われる「大儺の儀(だいなのぎ)」という行事で再現されています。
方相氏が8人の童子の侲子を引き連れて登場し、手に持った矛で盾を打ち鳴らして「鬼やらう」と大声で発声し、斎場を回り、悪鬼を追い払います。
方相氏が普通の人間の倍の力のある眼力でにらみ大声で発声することにより、災厄をもたらす鬼を追い払うと考えられています。
ところが、この方相氏、平安時代の末期になるとなぜか追い払われる側の鬼になってしまいます。
後ろに従っていた侲子も、方相氏と一緒に悪鬼を追う役から、方相氏を追い掛け回す役に変わります。
もともと、目に見えない悪鬼を追い払う儀式でしたが、それを追い払う役の方相氏が四つ目の恐ろしい姿をしており、
人間とは違う力を持った異形のものの姿でしたので、いつしか目の前にいる恐ろしい姿をした鬼神つまり鬼そのものと変わってしまったのでしょう。
鬼の具体的なイメージとして、方相氏の姿が定着していきます。
江戸時代に多くの妖怪の姿を描いた鳥山石燕の「今昔百鬼拾遺」には、方相氏は妖怪の一員として登場します。
それも四つ目にさらに二本の角を頭に生やし、すっかり今の鬼の姿となっています。
本当は鬼を退治する人だったのに、その外見が恐ろしいばかりに鬼として退治される側になるとは・・・ちょっと可愛そうですね。
それにしても、この方相氏の顔、いま話題の外国の人に雰囲気が似てるような・・・(^O^)
豆まきも、今は家庭より保育園とか幼稚園のが盛んですね。
「鬼の子のはしやぎて逃げる節分会」 (平岡喜美子)
では、今日の続きは、また明日(´ー`)/~~