今日の続きは、また明日

毎朝、カメラ片手の散歩で撮った写真を気の向くままに・・・

今日は、果ての二十日

2015年12月20日 | 徒然なるままに
寒いですね・・・


ジョウビタキです。

せわしなく動く様子がかわいらしく、カワセミに次いでお気に入りの野鳥です。


今日もいました。




これはホオジロ


カワウ


またジョウビタキ


先ほどのカワセミです。






カワラヒワの群れ




先ほどとは別のカワセミですが・・・カメラを向けると飛んでしまい、ようやく撮れた一枚


たまには植物も・・・
アイビー・・・少しだけ枯れ落ちずに、紅葉が残っていました。


もう一枚、別の所ですが‥





ナンテン





12月も中旬が終わり、いよいよ歳の瀬ですね。

この[瀬」とは、「淵」の対義語で、淵は水が深くてよどんでいる処に対して、歩いて渡れる浅い処をいいます。

その意味から転じて、「立つ瀬がない」「浮かぶ瀬」「逢瀬」などと、場所、立場、拠り所、場合、機会の意味で「瀬」という言葉が使われるようにもなり、さらに、最後の拠り所ということを指す意味の「瀬」から、1年の最後を「年の瀬」と呼ぶようになったと言われいます。

同様に、12月を師走と言いますが、よく言われている説は、僧侶(師は、僧侶の意)が仏事で走り回る忙しさ(しはす=師馳す)からですが、他にも、「年果てる=年果つ(としはつ)」、四季の果てる月「四極(しはつ)や1年の最後になし終える意味の「為果つ(しはつ)」等から「しわす」に変化したなどという説もあります。

坊さんが走り回るからより、年や四季が果てるからと云うのが情緒がある感じですね。

この12月の別の呼び名に「果ての月」があります。

特に今日は「果ての二十日」と呼び、忌み日として身を慎み災いを避け正月準備や祝事を控えていました。

由来には諸説あるようですが、京都では、この日に罪人の処刑が行われたからというのがあります。

渡辺綱が鬼女に会い,腕を切り落としたといわれる,京都の一条戻橋に罪人が立ち寄り,餅と花を供えて,次にこの世に戻ってくるときは真人間になれと申し渡され、刑場に向った日です。

この日、山の神に深く関る忌み日ともされ、この日に山に入ることが忌まれる地域もあります。

和歌山と奈良の県境の果無山脈では、皿のような目を持つ一本足の妖怪一本ダタラが12月20日の日だけ現れて、遭遇することがあるので、山に入らない忌み日とされています。果無山の果無の名の由来は「果ての二十日」に人通りが無くなるからだともいわれています。

他にも、山姥が洗濯をする日なので山越えはだめとか・・・

諸説ありますが・・・暮れの慌ただしさの中で、一日ぐらい休みを取る、先人たちの知恵なのかもしれませんね。

では、今日の続きは、また明日(^_^)/~



コメント
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