時のうねりのはざまにて

歴史小説もどきを書いてみます。作品と解説の二部構成で行こうと思います。

玉葉 摂政基通寵愛される その1

2008-05-16 06:05:51 | 日記・軍記物
すいません。タイトルからご想像がつくかもしれませんが
今回はこの時代避けては通れない「男色」のお話です。
この手のお話が苦手な方は今回はこの先をお読みにならないことをお勧めいたします。

摂政基通は、保元の乱で活躍した藤原忠通の孫で寿永二年(1183年)当時摂政の座にありました。
彼の父は忠通の子摂政藤原基実で、基通はその嫡男です。

普通に行けば忠通ー基実ー基通と摂政関白の座は回ると思われますが
そのようにすんなりいかないのもこの時代の特徴です。
彼は彼なりに苦労して摂政の座を手に入れ、その座を守ったのです。

基通の父関白基実が20代前半の若さでなくなってしまいました。
その頃基通はまだ7歳の少年。
基実に代わって関白の座についたのは、基実の弟の基房でした。

一度叔父の基房に摂関の座が渡ると、基通に摂関の座は回る可能性は薄くなります。
当時、叔父さんが一度家督をついで甥にその座を渡すということはほとんどありません。基房が摂関の座についたら、その後継者は基房の子供がなるのが当然視されていました。基通が摂関の座に座るためには、その後叔父さんと大変な権力闘争をし、それに勝利しなければならないのです。

その基通に強大な支援者が登場します。
当時宮廷社会において勢力を延ばしていた平清盛です。
基通の父基実はその生前平清盛の娘盛子を妻に迎えていました。
妻といても10歳そこそこの少女でしたが。
その幼い盛子がもっと幼い基通の養母になり、その後見をすることになりました。
(基通の実母は平治の乱で死亡した藤原信頼の妹)
盛子が実際に基通の後見をできるはずはなく、後見をしたのはその父平清盛です。

つまり基通は清盛の支援を受ける立場に立つことになったのです。
清盛もこの縁を最大限に利用して
盛子が基通の後見をするという名目で基実死後の摂関家領の管理を盛子が行なうという方策をとることにしたのです。

その後基通自身も清盛の娘を妻に迎えます。
基通は清盛陣営と手を結んでいる状態が暫く続きます。

すいません長くなりそうなので続きはまた明日書かせて頂きます。



続き

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