信濃、そして東海諸国の住人達と接触を持つ一方で頼朝はさらなる手段を取る。
頼朝は彼の伺候衆として側近く使える加賀美長清を呼び寄せた。長清は甲斐源氏である。
長清は挙兵後すぐ頼朝に仕え、その父加賀美遠光も頼朝に近い立場にある。さらに遠光の妻は鎌倉の侍所別当和田義盛の妹である。
この二人は暫くあることを談笑し、お互いに顔を見合わせてうなずいた。
さらに頼朝は文を都に遣る。文の行き先は石和信光。彼もまた頼朝に臣従し一御家人となっている。
そして、甲斐源氏の最大の大物安田義定にも。
義定と頼朝の間にはある密約がある。だがこの密約は他の誰も知らない。
頼朝の異母弟にして、義定の盟友である源範頼でさえも。
頼朝は自分に近い甲斐源氏の面々と交流を深める。一条忠頼とその父武田信義の孤立を目指して。
そして、その甲斐源氏と交流の深い自分の身内も取り込もうとする。
寿永三年三月、頼朝は異母弟源範頼に一通の文を送る。
木曽義仲との争いの際一条忠頼と争った為に、叱責を受けたこの弟を「許す」と記した文を送る。
その弟はその時まだ西国にいた。
兄頼朝が鎌倉でこの福原の戦い(一の谷の戦い)の勝利の報を聞いていた頃、範頼は不満くすぶる御家人達を必死でなだめていた。
物資食糧が不足している。けれども表向きは略奪が禁止されている。
御家人達は東国に戻りたがっている。
不満くすぶっているのは御家人たちだけではない。
院への恩賞を直接奏上したがっていた畿内の武士たちもその奏上をする前に鎌倉勢の二人の大将軍が戦果の報告を行なってしまったことに不快感をもっている。
彼等の多くは自分達にかんする戦の後始末をするとさっさと福原を引き払い、都に行ってそれぞれが仕える主のもとに赴いて院への取次ぎを願った。自らの功績を院に伝えて恩賞を得るためである。この動きを範頼は止めることができない。
彼等は、鎌倉殿の御家人ではなくあくまでも与力してくれたものだからである。
その都へ向かうものたちを御家人達は羨ましげに見つめる。
━━ 鎌倉からの返事はまだか。
焦燥の思いでいる範頼の元に鎌倉からの返事が届く。
「東国の御家人は一旦鎌倉に戻ってから本領にもどるように。」
範頼はこの文面をみて安堵した。
前回へ 目次へ 次回へ
頼朝は彼の伺候衆として側近く使える加賀美長清を呼び寄せた。長清は甲斐源氏である。
長清は挙兵後すぐ頼朝に仕え、その父加賀美遠光も頼朝に近い立場にある。さらに遠光の妻は鎌倉の侍所別当和田義盛の妹である。
この二人は暫くあることを談笑し、お互いに顔を見合わせてうなずいた。
さらに頼朝は文を都に遣る。文の行き先は石和信光。彼もまた頼朝に臣従し一御家人となっている。
そして、甲斐源氏の最大の大物安田義定にも。
義定と頼朝の間にはある密約がある。だがこの密約は他の誰も知らない。
頼朝の異母弟にして、義定の盟友である源範頼でさえも。
頼朝は自分に近い甲斐源氏の面々と交流を深める。一条忠頼とその父武田信義の孤立を目指して。
そして、その甲斐源氏と交流の深い自分の身内も取り込もうとする。
寿永三年三月、頼朝は異母弟源範頼に一通の文を送る。
木曽義仲との争いの際一条忠頼と争った為に、叱責を受けたこの弟を「許す」と記した文を送る。
その弟はその時まだ西国にいた。
兄頼朝が鎌倉でこの福原の戦い(一の谷の戦い)の勝利の報を聞いていた頃、範頼は不満くすぶる御家人達を必死でなだめていた。
物資食糧が不足している。けれども表向きは略奪が禁止されている。
御家人達は東国に戻りたがっている。
不満くすぶっているのは御家人たちだけではない。
院への恩賞を直接奏上したがっていた畿内の武士たちもその奏上をする前に鎌倉勢の二人の大将軍が戦果の報告を行なってしまったことに不快感をもっている。
彼等の多くは自分達にかんする戦の後始末をするとさっさと福原を引き払い、都に行ってそれぞれが仕える主のもとに赴いて院への取次ぎを願った。自らの功績を院に伝えて恩賞を得るためである。この動きを範頼は止めることができない。
彼等は、鎌倉殿の御家人ではなくあくまでも与力してくれたものだからである。
その都へ向かうものたちを御家人達は羨ましげに見つめる。
━━ 鎌倉からの返事はまだか。
焦燥の思いでいる範頼の元に鎌倉からの返事が届く。
「東国の御家人は一旦鎌倉に戻ってから本領にもどるように。」
範頼はこの文面をみて安堵した。
前回へ 目次へ 次回へ