時のうねりのはざまにて

歴史小説もどきを書いてみます。作品と解説の二部構成で行こうと思います。

蒲殿春秋(四百九十四)

2010-06-27 06:01:34 | 蒲殿春秋
この伊豆下向から一年以上前、時政の娘政子は頼朝の子を産んだ。
この時点で頼朝唯一の息子である。
だがその頃から頼朝は他の女性ー亀の前の元に通い始める。

その事を知った政子は継母にあたる牧の方の父牧宗親に頼んで亀の前に対して「うわなり討ち」を行なった。
この「うわなり討ちの事実」を知った頼朝は牧宗親の髻と切り落とした。
この宗親に対する仕打ちを知った時政が息子義時以外の一族郎党を引き連れて本領の伊豆に引きこもってしまう。

それから一年以上時政は伊豆に引きこもったままである。

この一年の間頼朝は政治的に大変な変動に巻き込まれていた。
野木宮の戦いで叔父の志田義広と戦い、その直後義仲と対立して出兵、
一旦は義仲と和解、だが平家を追い落としたものの都入りした義仲と再び対立して義仲と追討、
そして福原にいる平家を討った。この間に、坂東最大の豪族上総介広常を殺害した。

これらの激変に見舞われていた一年にあるにも関わらず、頼朝の舅である北条時政は伊豆に引きこもったままだったのである。
頼朝の舅で頼朝唯一の息子の外祖父という立場にあるのに。

その舅の不在を頼朝はさほど重要視していなかった。
北条は伊豆ではそれなりの力を有しているが坂東全体から見ると僅かな兵しか有さない小豪族に過ぎない。しかも時政はその小豪族の傍流という存在である。
また、時政もその父も無位無官。六位程度の官位を有する坂東豪族もいる中、家柄官位の面でも大きく遅れをとっている。
時政は頼朝にとっては頼朝が「妻」としている唯一の女性の父であるに過ぎない。
兵力という点では相模の三浦、中村や武蔵の秩父一族のほうが頼りになるし、自分の政務軍事を助けてくれる人材としては梶原景時、土肥実平や京下りの文士がいる。
そして頼朝が最も頼りにしている存在は比企や小山といった乳母の一族。
このような人々を有する頼朝にとっての時政の存在感は薄いものでしかない。

一方北条時政にとっても頼朝と袂を分かってやっていける自信があった。
時政は石橋山の戦いに敗れた後、甲斐に逃亡した。
時政は甲斐源氏と繋がっているのである。時政には甲斐源氏の支援がある。
さらに時政の後ろ盾として彼の舅牧宗親がいる。
宗親は駿河に一定の勢力を築いている。この舅の存在は時政にとって大きい。
この舅に屈辱を与えられたからこそ時政は鎌倉を去ったのである。
この時点で時政にとっては娘婿の頼朝より舅の牧宗親の方が重要だった。

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