時のうねりのはざまにて

歴史小説もどきを書いてみます。作品と解説の二部構成で行こうと思います。

蒲殿春秋(四百九十)

2010-06-17 05:55:51 | 蒲殿春秋
鎌倉からの帰還の命令を聞いた御家人たちは早々に本領に戻る支度をして嬉々として東を目指す。
多くの鎌倉御家人たちなどがが順次東へ向かって去っていく。
その東に去る人たちの中に甲斐源氏安田義定がいた。
範頼に形通りの挨拶をして去る安田義定には変わった様子などなかった。
一方同じ甲斐源氏特に今回範頼の大手軍に与力した板垣兼信(武田信義の子)は一兵も引かす動きも見せない。
そして、幾つかの鎌倉御家人も多少は福原には残っている。

多くのつわもの達が立ち去った福原は落ち着きを取り戻したが閑散とした雰囲気が漂うことになる。
静かになった福原の浜辺。
そこから眺める瀬戸内の海は穏やかである。
だが、その海の向こうにほんの少し前に戦をした相手の平家がいる。

彼等に対しては現在都で和平工作が行なわれているはずである。
この和平工作の結果によってこれから範頼はどのような行動をとるのかが決まる。
とりあえず範頼とその手勢はこの福原からは動けないようである。

一方その頃都では平家に対しての和平工作が懸命に行なわれていた。
福原の戦い(一の谷の戦い)で捕虜になった平重衡を通して三種の神器と安徳天皇、母后建礼門院徳子の
平安京への帰還が打診されたのである。
この夏に予定されている後鳥羽天皇の即位の為には是非とも神器の帰還が必要だった。

この和平交渉は当初うまく行くかと思われた。
平家の総帥平宗盛からの気弱な返答が都に帰ってきたからである。
その文面にはこのように記されていた。
「神器はお返しします。帝と女院も都へお帰りいただきます。
ただし、宗盛のみは讃岐国を賜ってここに隠棲させていただきたい。」
と。
その返答により和平は上手く行くかと思われた。

だが、平家はその返答の内容を実際に行なう動きを見せない。
それどころか、最初の返答から幾日も立たないうちに今度は強硬な返答を都に再び送りつけた。
「平家はまだ負けていません。九州四国にはまだ帝に御味方するものも多数ございます。
我々は三種の神器をお持ちになっている正統な帝のお供をしています。
それでも我々をお討ちになるというのでしたら我々にも考えがあります。例えば我々が帝と神器を奉じて異国に渡ることもあり得ますが。」と。

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