時のうねりのはざまにて

歴史小説もどきを書いてみます。作品と解説の二部構成で行こうと思います。

蒲殿春秋(四百八十三)

2010-06-02 05:44:21 | 蒲殿春秋
とりあえず糧食をあまり持たず、領地の少ないものから順次坂東に戻らせたい。
景時はその考えを範頼に進言した。
範頼は同意したが、二人のその考えは鎌倉にいる頼朝の許可を得なければ実現できない。

御家人達を帰還させるか否かを決定する権限は鎌倉殿源頼朝のみが有している。

範頼と梶原景時は鎌倉に使者を送った。兵の引き上げなどの重要懸案を図ってもらう為に。

鎌倉と福原との往復は早馬を使ってもかなりの日数を要する。
頼朝の返事が届くまでの間範頼は暫くの間飢えた将兵の面倒を見なければならない。

当面の策として鎌倉勢の食糧物資の調達については摂津国に限らず畿内各地にその要請が回された。
だが、畿内各地も未だ飢えている。調達を拒否されると鎌倉勢による略奪も行なわれる。
また、畿内各地に勢力を張る武士達も多く鎌倉勢力に与同していたが、その彼等も数年にわたる兵乱で疲弊し、その領地も疲弊している。彼等もまた自領やその近隣所領に物資や食糧の調達を無理やり求めている。が、そのことが都で問題となっている。

その都では、捕虜となった平重衡を通して屋島の平家本軍との間に和平の試みが行なわれている。近く行なわれる後鳥羽天皇の即位の礼までには三種の神器を都に取り戻さなければならないのである。が、その和平交渉の行方は混沌としている。

その都の状況なども随時鎌倉に送られる。

朝廷も鎌倉方の狼藉停止などを求め鎌倉に使者を送る。

この時鎌倉殿源頼朝の出方というものが都や西国の陣にあるものにとって重要なものとなっている。

鎌倉と都や西国の間に多くの使者が往来する。

だが都と鎌倉の間も往復に日数が掛かる。

都と鎌倉との間の距離と時間。
そのことがその時の鎌倉殿頼朝を悩ませる事態を招来させていた。

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