星を見ていた。

思っていることを、言葉にするのはむずかしい・・・。
良かったら読んでいってください。

天使が通り過ぎた(27)

2008-04-12 18:10:49 | 天使が通り過ぎた
 私は一瞬この人は誰と思ったがすぐにあのケンイチさんだと思い出した。私は勝手に、ケンイチさんの苗字は港という字を書くのだと思い込んでいたのでピンとこなかったのだ。名前を見て、ああ、こういう字を書くのだなあ、とまず思った。住所は東京だったけれども私にはそれが東京のどの辺なのか少しも検討が付かなかった。恐らく埼玉に近いほうの東京と思われた。シンプルな茶色の紙に麻紐のリボンが掛けられた、ややどっしりした包みをそっと開けると、そこにはシュトーレンが入っていた。私はあの日、健一さんが連れて行ってくれたパン工房を思い出した。包みと一緒に白い封筒が入っていて、開けてみるとクリスマスカードだった。白黒の天使の写真だった。カードをめくるとやや斜めに倒れた、まるで英文の筆記体のような癖のある字でメッセージが書かれていた。あの時のことをお詫びしますと言うことと、つい先日たまたまあちらに出掛けたので、何のお詫びもしていなかったのでこれを代わりに送ったと簡潔に書かれていた。メッセージのいちばん下に、名前とメールアドレスと電話番号が書いてあった。

 私が一通り包みを開け、メッセージを読み終わると一緒にいた母が珍しそうにシュトーレンを眺めた。
「珍しいパンね。旅館にベーカリーがあるの?」
 母には健一さんのことは話していなかった。話すほどのことでもないと思っていたし、あの旅行から帰ったとき、私はまだあまり家族とも口をききたくないという心境で、ざっと旅行の行程と何を食べたかくらいしか話をしていなかった。私は今さら事の顛末を話すのが億劫になり、母が旅館から何か送ってきたと勘違いしているのをいいことに何の説明もしなかった。
「クリスマスのパンよ。」
 カードだけをさっと抜くと自分の部屋に戻った。私は自分で、何かが静かに動いているのを感じた。あの雨の日と、狭い車からの視界と、静まり返った空間を思い出した。

 正直に言えば、あの日メールアドレスも電話番号も聞かずにさらっと別れてきてしまったことを、帰ってきてから少し後悔したのだった。でもそれは、旅で起きた特別な、非日常的なこととして、その後何のしこりもなく忘れ去られてしまうようなものだと思っていた。しかし、あそこまで壊滅的に打ちのめされていた自分が、旅行から帰って来たとき少し立ち直れたように思えたのは、健一さんと過ごしたほんの僅かな時間も関係しているのではないかと思ってもいた。そのことに対してお礼が言いたかったのだが、私は健一さんに関する情報を何も持っていなかった。確かに、旅館のおかみの知り合いなのだから、その方面から連絡先を知ることもできたのかもしれない。しかし、心のどこかで、あれは旅行中の一過性のハプニングであってその場で終わっておしまいなのだと思っていた。

 メールでお礼を入れようとすぐに思い立った。クリスマスイブの日だというのに、私は何の出掛ける用事も無かった。健一さんは、もしかしたら彼女とデート中かもしれない。こんな日だもの、と思いながらメール文を作成しだした。私は携帯メールを打つのが苦手で、ほんの短い文章を打つのにもひどく時間がかかる。パソコンのメールだったらいいのにと恨めしく思いながら、つかえながら指を動かした。簡潔に、シュトーレンのお礼とあの時はお世話になった旨を打って送信した。もし彼女とデートしている最中でも、メールだったら無視できるだろうと思いながらボタンを押す。

 メールを送ると予想に反してすぐに返信が来た。そんなことはないだろうと思っていた私は送信が終わると携帯をカバンの中に放っておいたままにしていた。カバンの中で携帯は鈍い音を立てて振動していた。もしかしたら健一さんではなく他の友達からのメールかもしれない、と思いながら開いて見ると、やはり健一さんからのメールだった。

 メール本文を読んでいくうちに、様々な疑問が頭の中に浮上してきた。最初に私のメールに対するお礼と、お詫びが遅くなったことが書かれていた。次に久しぶりだがあれから元気になったかどうかということが書かれてあった。そしてその次に今日自分はクリスマスイブだというのに仕事で横浜の近くまで来ているのだが、もし香織さんがお暇ならこれから会えないだろうか、ということが書いてあった。

 今日、これから会う??
 いきなりの提案にまずは驚いてしまった。
 どうして?
 次にそう思った。
 世界中の恋人たちがこの日に会わなければ罰が下されるとでもいうように、この日は会わなければならない日になっているけれども、クリスマスなんて本来日本人には特別でも宗教的でもないし、それによく考えたら恋人もいない者にとっては余計に普通の日と同じではなかろうか。だが、健一さんは今日たまたま仕事で、そしてやはり、世間のこの浮かれ騒ぎの中、一人でいるというのが何となく寂しくなってしまったのだろうか、と思った。
 健一さんがどこに住んでいるのかは住所を見て明らかだったが、考えてみたら健一さんはどんな仕事をしていてどこで働いているのかさえ知らなかった。それはそうだ。本名をどう書くかだって今日の今知ったのだから。

 私は健一さんが、社交辞令でお会いしようと言っているのか、それとももっと軽い気持ちで言っているのか、それとも意図があって言っているのか、判断ができなかった。だが、そういう気が無かったらわざわざメールの返事に今日お会いしましょう、とは書かないだろう、とも思うし、本当にたまたま近くまで来たから懐かしく(懐かしいというほどの時間一緒にいたわけではないが)思ったのかもしれない。

 私は随分と考えてから、メールではなく携帯の電話番号ボタンを押していた。またちまちました字を打つのが嫌だったのと、声を聞いたら真意が分かるかもしれない、と思いついたからだった。だがいちばんの理由は、あの時の声が懐かしくなってしまったからなのだと、自分では認めたくなかったがそう思った。

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