終身雇用そのものにメスを入れぬまま天下りだけを規制しようとするのは、
蛇口を開いたままバケツからこぼれる水を拭いて回るようなものでしょう
2017年1月27日 金曜日
◆なんで“天下り”ってなくならないの?と思った時に読む話 1月26日 城繁幸
今週のメルマガの前半部の紹介です。文科省の官僚が早稲田の教授に天下っていたことが発覚し、トップである次官が辞任に追い込まれました。与野党とも徹底追及する構えを見せているため、これから組織ぐるみの天下り実態が明らかになるでしょう。
といっても、筆者は別に文科省をどうこう言う気にはなれません。というのも、他の省庁でも天下りは普通に行われているからです。なぜそう言い切れるかって?実際、筆者の同期とか知り合いにいっぱいいるから(笑)
では中央省庁すべてひっくるめて徹底追求キャンペーンをすればいいのかというと、そういう気分でもないです。というのも、商社や銀行、メーカーにいたるまで、すべての大企業は子会社や取引先への天下りを大なり小なり必ず行っているからです。
そういう実体を知っていながら「官だけはダメ」と言う気には、とても筆者はなれないですね。子会社の出版社の主要ポストはぜんぶ本体からの天下りで独占しつつ、社説で「天下り禁止の徹底を」とか書いちゃってる新聞社なんて、筆者からすればどの口が言うかって感じですけどね。
そもそも、なぜそういった大組織には“天下り”が発生してしまうんでしょうか。
天下りは終身雇用の副産物
中央省庁や大企業には、ある共通点があります。それは「年功序列に基づいた終身雇用が、今でもそれなりに機能している」という点です。これは報酬制度的に言うと「若いころには安い賃金でコキ使われるけれども、45歳以降にそれなりの管理職ポストに抜擢されることで手厚く報われる」ということです。というわけで、そうした組織は血眼になって中高年のためのポストを探し回ることになります。
90年代後半くらいまでは多くの会社は組織を大きくしてポストを増やす余裕があったので、ポスト探しにそれほど苦労はしませんでしたが、2000年代に入ると逆に組織をスリム化してポストを減らさざるをえなくなる企業が増加します。で、どうしたか。子会社や下請け、自分たちより立場の弱い取引先に対して「今後もウチと取引したいなら、うちの〇〇くんを部長待遇で引き取ってもらえないかね?」みたいな形で転籍させるケースが増えました。まさに天下りですね。長時間労働や過労死と同じく、天下りも終身雇用の副産物ということです。
恐らく、読者の中にはこんな疑問を持つ人もいるでしょう。
「ポストなんて与えずに飼い殺しにすればいいだろう。実際、そうやってヒラのまま飼い殺されてる人はいっぱいいるぞ」
そうです。実際には天下れるのはまだいい方で、ここ10年ほどは飼い殺される人の方が多い業種が増えていますね。特に電機のバブル世代なんて過半数がヒラで飼い殺されてます。
でも、それをやってしまうと、組織としては非常によろしくない影響があります。まず、飼い殺される人間自体がやる気をなくして人材の不良債権化します。さらに、若い人材に対しては「もはや年功にたいして組織は必ずしも報いることができない」という強烈なメッセージを送ることにもなり、優秀な若手から流動化することになります。なので、全員は無理としても、一流大出身でそこそこ優秀だった人材には出来る限り天下りを通じてポスト配分する努力を続けているし、今後も続けていくことでしょう。
そして、それは霞が関も同じことです。いや、むしろ彼ら官僚からすれば、グループ企業もなく組織を成長させてポストを増やすことも出来ない分、天下りくらい自由にさせろよというのが本音でしょう。以下は大蔵省OBの“ミスター円”こと榊原英資氏の貴重なホンネです。
天下り規制も全くナンセンスです。日本の場合、雇用制度は終身雇用、年功序列が基本。民間企業の場合も官庁の場合も、同期が重役・社長に昇進するにつれ、多くの人たちは関連会社や子会社へ出向していきます。
役所の場合も公社・公団などの独立行政法人に40・50代から転職していきます。役所にとってこうした組織は関連会社であり子会社です。天下りというと何か権力を背景に出向するようですが、実態は関連組織への転職です。
日本的雇用システムのもとでは、人事をスムースに運営するためにはこうした転職は民間でも官庁でもごく自然なことなのです。それを官庁だけ根絶するというのは、現実をまったく無視した暴論です。民間企業で関連会社、子会社への出向を禁止したらどうなるのかを考えれば、答えはおのずから明らかでしょう。
というわけで、終身雇用そのものにメスを入れぬまま天下りだけを規制しようとするのは、蛇口を開いたままバケツからこぼれる水を拭いて回るようなものでしょう。やるなとは言わないですけどほとんど意味無くて、2、3年したらより巧妙に、ばれない方向で天下りは復活するはずです。
たぶん東京五輪に向けてこれからいっぱい人もカネも動くので、天下りポストは一気に増えるんじゃないでしょうか。
さて、そういう視点で振り返ってみれば、我々の社会は、一億総中流などという牧歌的なイメージとは違い、そうとういびつなものだというのがよくわかるはず。
会社員が取引先や下請けに「お前の会社に仕事まわしてやるから1億円キックバックしろ」とやっちゃうと逮捕されますが、権力のある役人や立場の強い大企業の人間が「(50歳から65歳まで自身を雇わせた上で給料として)1億円払いたまえ」というのは日本国中で横行しているわけです。大企業は下請けに天下り、その大企業には官僚が天下る。ライブドアみたいな新興企業だと50億の粉飾で即上場廃止、経営陣逮捕ですが、元最高裁判事をはじめ各省庁のOBをいっぱい受け入れておけば東芝のごとく一千億超の粉飾やらかしてもいまだに誰も逮捕されずにすんでます。(後略)
(私のコメント)
日本の年功序列や終身雇用制度には一長一短がありますが、停滞した社会が長く続けば人事が停滞する事になる。高度成長期にはプラスになった事も停滞期にはマイナスになり、年功序列から能力主義に切り替えないと東芝のようになります。
東芝も官庁からの天下りを大量に引き受けているから、官庁も東芝を潰せばいし、そもそも東芝に原子力に手を出させたのも経済産業省でしょう。経済産業省と原発は切っても切り離せないし、原発官僚は電力会社や東芝、三菱、日立などの大量に天下っている。結局は東芝も税金で救われるのでしょう。
このような官庁と民間企業との癒着が天下りの温床になっている。天下った官僚が優秀なのならいいのでしょうが、お茶を飲んで新聞を読むしか能の無い人が多くて、官庁は持参金をつけて天下りさせている。その持参金が財政赤字の原因にもなっている。
民間企業も天下りを大量に発生させていますが、無能な人材は首にして職安通いをさせるべきなのです。入社した当時は東大を出てエリート人材だったのでしょうが、年功序列制度はエリート人材を磨り潰して無能な人材に変えてしまう。年功序列は有能な人材を企業に見切りをつけて独立してしまうし、無能な人材は事なかれ主義で出世してシャープや東芝のような会社にしてしまう。
天下れる人材とは、ある程度まで出世はして、官庁や社内に顔が効く人材であり、カネずるになる人材の事である。何か問題が起きれば天下りOBを使って何とかしてもらうのが仕事だ。あるいは官庁も天下ったOBを使ってコントロールしようとする。
このような天下り制度を廃止するには、年功序列終身雇用制度を廃止しなければ無くならないだろう。かといって能力主義に切り替えるにしても弊害があり会社組織がガタガタになってしまう恐れもある。大組織を維持するにはやはり年功序列でなければ、各自の組織への忠誠心が保てない。
大組織においては、有能だが独立心が強い人材は会社組織に忠誠心が無いとされて排除されてしまう傾向がある。大組織においては自分よりも有能な人材が入り込まれると軋轢が起きて警戒されるのだ。能力主義で役割分担がはっきりした組織ではこのような事は起きない。
役割分担のはっきりしない会社では、中途採用した人材も受け入れにくいし、忠誠心にも欠けると見做されやすい。日本企業では専門家とかエキスパートのような人材は育てない。社員が専門家になってしまうと上司が使いにくくなるからだ。専門家になられては人事異動もままならなくなる。
経済産業省でも東京電力でも、原子力の専門家が育たず福島第一で大災害が起きてしまった。原子力安全保安院の院長は原子力の事が分からない人材だった。東芝にしても担当役員が原子力の問題をよく把握していないから、社長もどうしていいのか分からない。
日本の会社では、社内政治を巧みに泳いできた者が出世するのであり、その為には大派閥を形成する事が欠かせない。その為に能力のあるものは警戒されて派閥から排除されて行く。その為に会社組織内の派閥抗争に明け暮れて、肝心の経営が疎かになってしまう。逆に無能でも派閥に属していれば社長や会長に出世して行く。