「言った、言わない」でまたトラブルに…高市早苗の「行政文書問題」よりもギョッとした“国会答弁” © 文春オンライン
放送法の「政治的公平」の解釈変更をめぐる総務省の行政文書が注目されています。
『高市氏と野党が放送法巡り対立 行政文書、捏造か圧力か』(日経新聞3月8日)
安倍晋三政権下で総務省が作成したとされるこの文書に名前が出てきた高市早苗氏が「捏造文書だと考えている」と言い、内容が事実なら閣僚や国会議員を辞めるかと問われて「結構ですよ」と言ったから大騒ぎ。
過去にも「言った言わない」で揉めていた
高市氏といえば昨年もこんな騒動があった。
『高市大臣の「8割大陸」発言、曖昧決着は許されない』(ニューズウィーク2022年10月17日、藤崎剛人)
《「国葬反対のSNS発信の8割が隣の大陸からだった」とツイートし、高市氏の講演で聞いたと述べた三重県議は発言を撤回、当の高市氏も曖昧な否定で収めようとしているようだが、その真意はフェイクニュースによる世論操作だったかもしれず見逃せない》
これも「言った言わない」で揉めていた。もしかして高市氏は適当に名前を使われやすいキャラなのだろうか。それならご自分の名誉のためにも積極的にいろいろ検証したほうがよいのでは。
なぜ「8年前の文書」が流出したのか?
今回はそれ以外にも注目点がたくさんある。たとえば「なぜ今、8年前の文書が出たのか?」。この点に関する“見立て”の数々が興味深いのだ。まず最初は“高市潰し”説。
「夕刊フジ」は“高市潰し”の可能性の一つに奈良県知事選をあげていた(3月8日)。実は高市氏は現在地元でも揺れているのだ。
《自民は5選目を目指す現職と高市氏の総務省時代の秘書官を務めた新人候補が分裂しており、共倒れが危惧されている。》(産経新聞3月8日)。
このあたりのことをベテラン記者に聞いてみると「奈良県知事選は高市氏の仕切りの悪さで自民分裂選挙になり、日本維新の会が漁夫の利を得そうな勢いなのです。高市氏が推す候補は、現在問題になっている文書(総務相時)のときの秘書官。なので“高市制裁”のために自民党内部から文書流出を推したという説もあるくらい」。
官僚たちの怒りがくすぶっている
また、ベテラン記者によると「いま霞が関では『安倍晋三 回顧録』(中央公論新社)に対する官僚たちの怒りがくすぶっている」という。
え、ベストセラーとなっているあの回顧録に?
そういえば安倍氏は森友学園の国有地売却問題について《私は密(ひそ)かに疑っているのですが、森友学園の国有地売却問題は、私の足を掬(すく)うための財務省の策略の可能性がゼロではない。》と語っていることが発売前から報道され、話題になっていた。
「首相まで務めた人が陰謀論的なことを言っているわけです。このほかにも官僚を蔑ろにした表現が多い。回顧録を読んだ官僚たちには『自分達はちゃんと仕事をしていたんだという意地』もあるでしょう」(前出のベテラン記者)
回顧録で展開された「官僚批判」
回顧録の内容についてこんな分析もある。
『御厨貴さんと読む「安倍晋三回顧録」 官僚不信、浮き彫りに』(毎日新聞3月6日、東京夕刊)
《実は回顧録で盛大に官僚批判を展開している。「官僚に対する不信感。しかも特定の官庁に対する不信感が正直に出ている。》
回顧録での登場回数を数えると「外務省」は40回近く、「厚労省」は30回以上、「内閣法制局」は10回以上、「財務省」は70回以上出てくるという。
政治学者の御厨貴氏は「回顧録は、次第に疑心暗鬼になり、至るところに財務省の陰謀を見るようになる経緯を浮き彫りにしています」と語っている。
「退任後2年余での出版は異例」
そもそも回顧録とはどのようなタイミングで出るものなのか。御厨氏は「政治家の回顧録はその影響の大きさや関係者への配慮から時間を置いて公表されることが多い。退任後2年余での出版は異例だ」と言っている。ベテラン記者も「安倍氏のは回顧録というより仲間内での思い出話のようなもの。本来なら時間をかけて証言を多角的に載せるのが回顧録」と述べる。
ゴキゲンな「回顧録」に対抗するかのように出てきたリアルな「行政文書」。流出させたのは誰なのか――いろんな見立てがあるが、いずれにしてもこの時期に両方の“読み比べ”をするのは安倍政権を、歴史を、もう一度考えるうえで面白い試みではないだろうか。
ギョッとした高市氏の答弁
さて、ここまで様々な見立てを紹介してきたが、重要なのは安倍政権のメディアへの圧力はすでに公にあったという事実である。…(たとえば高市氏は既にこんな答弁をしていた。)以下に続く…
「〈 ・政治的公平についてひとつの番組だけを見て判断する場合があると答弁(2015年)
・政治的公平を欠く放送を繰り返せば電波停止を命じる可能性に言及(2016年)〉」
権力者(放送事業の担当大臣)がテレビ局の電波停止をちらつかせていたのだ。言わばこの時点で「底が丸見えの沼」をわざわざ見せつけていたのである。今回の文書はその沼でどんな魚が暴れていたのかが見えた。その魚は小物かもしれないが、問題なのはとっくに底が丸見えなほう(本体)である。
たとえば当時の高市氏の一連の発言にはギョッとしたが、もっとギョッとしたのはテレビ局が意外と騒がなかったこと。つまり高市氏の言葉が効いているからか。
政府が番組の中身に口を出し始めると…
《それにしても気になるのは、政府が番組内容を「判断する」という言葉を平然と国会で口にしていることだ。》(朝日新聞のコラム3月8日、田玉恵美)
そう、これこれ。脅しのような言説が国会だけでなく平然と一般に流通しているのが本当に不思議だ。
《政府が番組の中身に口を出し始めると、結局今回のように個々の番組の是非まで政府が判断するという話になり、事実上の検閲に近づいてしまう。》(同前)
高市氏が辞める辞めないという問題もいいけど、こんな当たり前の現実にもっとギョッとしていくべきでは? (プチ鹿島)
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