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元朝青龍が問題発言・モンゴルで白鵬と対談

2017-12-27 | 報道・ニュース

朝青龍がモンゴルのテレビで白鵬に“八百長陳情”!?     「週刊文春」編集部

© 文春オンライン 大晦日に向け猛特訓中の朝青龍(ツイッターより)

 日馬富士暴行騒動以来、メディアに登場する機会の増えた元横綱・朝青龍(37)。実は、事件が発覚する約2週間前の10月31日にモンゴルで放送されたテレビ番組「モンゴル民族の100人の偉人」において、問題発言をしていることがわかった。

「この番組はモンゴルの偉人を紹介する国民的人気ドキュメンタリーで、この回は、白鵬がとりあげられ、放送時間は3時間半に及んだ。その中で、今年5月に収録された朝青龍と白鵬の対談が放送されたのです」(現地記者)

                                 気になる発言が……(YouTubeより)© 文春オンライン 気になる発言が……(YouTubeより)

 番組の中で、朝青龍は白鵬にこう語りかけている。

「チャンスがあるなら(日本人ではなく)別のモンゴル人を成功させるんだぞ。モンゴルの仲間に可能性を開いてあげるんだ」

 さらにこう続けた。

「“他人の犬を育てるよりは、自分の犬を育てろ”と言うだろう」

 この後、2人はがっちりと握手を交わしている。

 元モンゴル力士が顔をしかめる。

「モンゴルの諺(ことわざ)だね。要は身内を利する行動をとれという意味。他のモンゴル力士に優勝のチャンスを与えるよう“八百長”を促したと受け取られかねない」

 12月27日(水)発売の「週刊文春」では、今回の騒動における朝青龍の言動の他にも、貴乃花親方の激白など、貴ノ岩暴行事件の全真相に総力取材で迫っている。また「週刊文春デジタル」では同日朝5時、朝青龍の発言場面などを動画で配信する。

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余命宣告受けた患者3人 それぞれの心構えとその後の生き方

2017-12-19 | 今注目の話題

記事  NEWSポストセブン   余命宣告受けた患者3人 それぞれの心構えとその後の生き方

【余命宣告を患者はどう受け止めれば良いのか】

 がんなど命にかかわる病気にかかった際に、医師が患者に行なう「余命宣告」。基本的には病気が進行しており、治る見込みが少ない患者に対して告げられるが、医師から余命宣告を受けたとき、患者側はどう捉えればいいのか。帯津三敬病院の帯津良一名誉院長が話す。

「医師から宣告された余命は、統計データでしかないので、気にする必要はないと思います。積極的治療を行なうか、それとも『緩和ケア』を行なうか。その後の生き方を見直すチャンスくらいに捉えるのが良いのではないでしょうか」

 胆のうがんになり、2年前に医師から「余命1年」と宣告を受けた石田利明さん(69)は、生き方を見直した結果、余命を大幅に延ばした。

「『もう手術はできない』と言われたので、自分から余命を聞いたら『1年くらいです』と。頭の中が真っ白になりました。特に感情もなく、医師の言葉も頭の中を通り過ぎていった。ただ、『死ぬなら事故よりもがんがいいな』と漠然と考えていたので、命が残り僅かだと受け入れています。

 余命宣告を受けたのが2年前の2月。翌年の1月に娘の成人式があったので、まずはそこまで生きようと思いました。私は美容師なので、娘の髪結いや着付けをして祝ってあげたかったんです。

 その目標のために、マラソンなど運動をしていたら元気になって、いつの間にか2年経っていた。痛みや苦しみはありません。医者から見れば『生きているのが不思議』だそうです」

 家族の支えで“余命が変わる”ケースもある。杉浦千恵子さん(68)は、18年前に腎臓がんに罹った息子についての余命宣告を受けた。

「『余命半年。2年後の生存率は0%』と宣告されたときにはパニック状態になり、『そんな話は信じません』と思わず口にしていました。

 親でさえあれだけショックだったのに、これを本人に伝えたらどうなるのか……きっと症状が悪化するだろうと思い、余命のことは伝えず、いつも通りに接しました。2年を過ぎた頃からやっと、前向きに暮らせるようになりました」

 息子・貴之さん(46)は今も健在だ。当時の状況をこう振り返る。

「抗がん剤療法の副作用に苦しみ、手術の後遺症で腸閉塞にも悩まされました。いつまでこんな状態が続くのか、精神的に不安定な状態でしたが、おかげで色んな治療法に巡り合うことができ、今まで生きることができている。

 余命については、発覚の5年後に母から『もう大丈夫そうだから言うけど、実はあの時余命を2年と言われていたの』と教えられました。明るく話す母の表情を見て自分の病状を受け入れられましたが、発覚当時には余命を知らなくて良かったと思っています」

 彼らは、余命の問題について議論を深めるため、実名での取材に応じた。重要なのは、「あと何日生きられるか」より「残りの人生をどう生きるのか」なのかもしれない。※週刊ポスト2017年12月22号    

帯津良一 - Wikipedia

帯津 良一(おびつ りょういち、1936年2月17日 - )は、日本の医師、著述家、帯津三敬病院名誉院長。 埼玉県生まれ。東京大学医学部卒業。医学博士。東京大学医学部第三外科、都立駒込病院外科医長などを経て、1982年、埼玉県川越市に帯津三敬病院を設立。西洋医学に中国医学や代替療法を取り入れ、医療の東西融合という新機軸を基に、がん患者などの治療に当たる。人間をまるごと捉えるホリスティック医学の第一人者として、日本ホリスティック医学協会会長、日本ホメオパシー医学会理事長なども務める。

 

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原発は国主導・東芝元社長の言葉

2017-12-13 | Weblog

記事  文春オンライン  2017年12月12日 

私が見た東芝・西田元会長 原発について語った忘れられない一言~禁煙の会議室でも悠然とタバコを燻らせていた姿を思い出す。~ - 大西 康之

 今年3月、私が横浜市の自宅で取材した時に、西田は「WH買収の経営判断そのものは間違っていなかった。問題は買収後のマネジメントにある」と語り、自分が後任の社長に選んだ佐々木則夫の経営を批判した。

                          
左から西田会長、田中副社長、佐々木社長(肩書きはいずれも当時) ©getty

 しかし2009年に佐々木に社長を譲った後も、西田は2014年まで会長の座にとどまり経営の一翼を担っている。2006年に東芝が買収した後も、ずっと暴走を続けていたWHをなぜ止められなかったのか。米ゼネラル・エレクトリック(GE)や独シーメンスなどが原発事業からフェードアウトし始めた、2011年3月の東京電力福島第一原子力発電所の事故以降も、ずるずると原発事業にのめり込んでいったのはなぜか。真相を語らぬまま、泉下の人となった。

「東電の正妻」と呼ばれていた東芝では非主流の扱い

 早稲田大学の政治経済学部を卒業した後、西洋政治思想史を研究するため東京大学大学院に進み、学究の道を進むつもりだった。しかし国費留学で来日していたイラン人の女性と恋に落ち、彼女を追いかける形でイランに渡り、現地資本と東京芝浦電気の合弁会社で職を得た。手腕が認められ東芝の本社採用となったのは1975年、31歳の時である。

 発電タービンや原発などの重電事業を主軸とし「東電の正妻」と呼ばれた東芝では長く、「東大工学部卒、重電出身」が社長の条件になっていた。パソコンや情報システムといった新興事業出身の西田は、イラン現法からの「編入組」という経歴も加わって、長らく非主流の扱いを受けてきた。


 頭角を現したのは1992年、東芝情報システム社の社長に就任し、不振が続いていた米国のパソコン事業を立て直してからである。米国で手柄を立て、本社の役員に凱旋した西田にインタビューしたことがある。

 通常、東芝の役員クラスにインタビューするときは39階の応接フロアに通されるが、このとき案内されたのは広報室の裏にある小さな会議室だった。広報部員に案内されて部屋に入ると、西田は悠然とタバコを燻らせていた。

 東芝本社ビルは原則禁煙で、喫煙できるのはスモーキング・ルームだけだった。広報部の会議室も本来は禁煙だが、西田はお構いなしで吸っていた。よく言えば豪放磊落、悪く言えば横暴な印象を受けた。頭の回転はめっぽう早く、弁舌は爽やか。少ししゃがれた声で自信満々に話すその姿は、往年の田中角栄を思わせた。

 専務時代、2003年度第3四半期に142億円の赤字だったパソコン事業を翌年同期に84億円の黒字に転換させ「西田マジック」と呼ばれた。この豪腕ぶりに目をつけたのが、今年亡くなった当時会長の西室泰三である。このときの黒字転換は、のちに問題となる粉飾の一種、「バイセル取引」を使った疑いが持たれているが、経団連会長の座を狙っていた西室は、清濁併せ吞む西田を「使える」と判断した。

 本来、次期社長の任命権は社長(当時)の岡村正にあったが、西室は岡村の頭越しに、西田を社長に引き上げた。岡村は「人事権を奪われた」と涙を流して悔しがったとされる。

「決めるのは政府です」とまくし立てた

 2011年3月の東日本大震災の直後、会長時代の西田にインタビューした。このときは応接フロアで、西田もタバコを控えていた。まだ東芝が建設した福島第一原発の原子炉が冷温停止しておらず、世界中の目がフクシマに集まっていた。「今、東芝にできることは何か」と問うと、西田は待ってましたとばかりにまくし立てた。

「スマートシティでもコンパクトシティでも、意思決定者である政府が決めてくれれば、東芝の技術を総動員して、お望みの街を作ってみせますよ。ただし、我々はあくまでも実行部隊。決めるのは政府です」

「自社が設計、建設した原発が白煙を上げ、世界を不安のどん底に突き落とした責任をどう考えているのか」と聞いたつもりだったので、あまりにあっけらかんとした返答に二の句が継げなかった。確かに法律上、日本において原発メーカーは製造物責任を問われない建て付けになっている。

                 
爆発した福島第一原発3号機 写真提供:東京電力

 事故から6年が経過した今も、福島第一原発には東芝の技術者が常駐し、厳しい環境のもとで廃炉作業を進めている。しかしこの間、西田や佐々木が現場に入って陣頭指揮を執ったという話は聞いたことがない。

「決めるのは国。実行するのが企業」という西田の言葉は、「国策企業」という東芝の立ち位置をはっきり言い表している。

 原発についても考えは同じだろう。原発推進を国が決めた以上、WH買収は実行部隊である東芝の使命だった。たとえそれが、東芝を存亡の危機に導く危険な選択だったとしてもである。

 教養にあふれ、リーダーシップに富んだ経営者だった。しかし最後のインタビューの一言が頭から離れない。

「僕は社長時代、2回も福島第一に行っているんだ。原子力の本も読んだ」

 このレベルの知識で54億ドル(当時のレートで約6400億円)の社運をかけた買収を決めていいはずがない。洗濯機から半導体、原発まで作る「総合電機」という化け物を意のままに御せる経営者などこの世に存在しない。誰よりも西田本人がその矛盾に悩んでいたはずだ。

 ご冥福をお祈りします。(大西 康之)

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12月8日真珠湾攻撃から76年

2017-12-08 | 報道・ニュース

【真珠湾攻撃76年】米英、日本の軍事行動を予測、開戦誘導か ルーズベルト・チャーチル往復電報

                       【真珠湾攻撃76年】米英、日本の軍事行動を予測、開戦誘導か ルーズベルト・チャーチル往復電報: ルーズベルト米大統領(前列中央)© 産経新聞 提供 ルーズベルト米大統領(前列中央)

 日本によるハワイの真珠湾攻撃から8日で76年。英国立公文書館が所蔵するウィンストン・チャーチル英首相とフランクリン・ルーズベルト米大統領の往復電報によれば、ルーズベルトが開戦13日前に日本の「軍事行動」を予測していたことがうかがえる。チャーチルも返電で対日譲歩に反対し、ルーズベルトが日本に最後通告の「ハル・ノート」を提示した後の開戦直前に米英合同で事実上の“宣戦布告”を呼び掛けていた。米英指導者は戦争回避より先制攻撃するように日本を追い詰め、開戦へと誘導したとの見方が専門家から改めて示されている。

 日米が戦争回避に向けて交渉を続けていた1941年11月25日午後1時20分に英外務省が受信したチャーチルあての電報でルーズベルトは、日本側から20日、「南部仏印(仏領インドシナ)から兵を北部仏印に引き揚げる代わりに米国側は通商関係を資産凍結前に戻し石油の供給を約束する」暫定協定案が提出されたと伝えた。その上で、米政府が「日本が南部仏印から撤兵し、北部仏印の駐留兵を7月26日時点の2万5千人以下にすれば、米国は在米日本資産の凍結を解除する」などの提案を作成したと報告。これは後のハル・ノートの原案の一つで、幻の「暫定協定案」(日本が受け入れ可能な3カ月休戦案)と呼ばれる。

 しかし、ルーズベルトは追記して「これは日本人に対し適正な提案と思えるが、諾否は実のところ国内の政治状況による。あまり希望を持てない」と悲観的な見通しを示し、「われわれ(英米)はすぐに起こるであろう本当の困難のためにあらゆる準備をしなければならない」と警告した。

日本を挑発、追い詰めた

 英国立公文書館が所蔵するチャーチル英首相とルーズベルト米大統領の往復電報で明らかになったルーズベルトの追記について、大戦中の米英関係に詳しいウォーレン・キンボール米ラトガース大教授は、編著「チャーチルとルーズベルト-完全な交信」で、「ルーズベルトは戦争回避よりも戦端を開こうとしていたと解釈される。また日本との開戦危機を欧州戦線への入り口に利用していたとの議論がある」と分析している。

■より厳しい協定案

 中西輝政京都大名誉教授は産経新聞に、「暫定協定案を伝えて、日本が受け入れないだろうというのは矛盾している。日本の軍事行動が差し迫っていることを予測していたことは明らかで、チャーチルから最後通告のハル・ノートを出すことへの了解を取ることが目的だったのではないか」と指摘する。

 米エール大図書館所蔵のスチムソン米陸軍長官日記には、1941年11月25日(米国時間)、ルーズベルトが軍事会議で「米国は来週月曜日(12月1日)にも攻撃を受ける可能性がある」と注意を促し、問題は「われわれ自身が過大な危険にさらされることなしに、日本に最初の1発を撃たせるような立場にいかに誘導していくかだ」と発言したと記されていた。

 ハル回顧録などによると、暫定協定案には中国が猛反対した。ルーズベルトはこれを放棄して翌26日、日本に、より厳しい協定案、いわゆるハル・ノートを提示。中国、仏印からの軍撤退など、日露戦争以降に日本がアジアで築いた権益の放棄を求めた。日本は「眼も暗むばかり失望に撃たれた」(東郷茂徳『時代の一面』)ことで米国との交渉打ち切りを決め、戦争を決意した。

■チャーチルも呼びかけ

 ロンドン大学経済政治学院(LSE)のアントニー・ベスト准教授は「ルーズベルトは日本がタイなどへ何らかの攻撃準備をしていることを把握していた」とした上で「チャーチルにも戦争回避の意思はなかった。それより米国からアジア、欧州情勢での英国支持の確約を得るという外交目標が大きかった」と分析する。

 マレー作戦など日本の軍事行動を察知していたチャーチルは30日の電報でルーズベルトに、「日本のこれ以上の攻撃(軍事作戦)は、ただちに最も深刻な結末に至ると(米英合同で)日本に宣告すること」が残された手段であると提案しており、中西氏は、「チャーチルは対日戦に米国を巻き込もうと事実上の宣戦布告を呼び掛けた」と読み解いた。

 日米の開戦責任について、東京裁判の判決は、「米国の譲歩にもかかわらず、日本は戦争計画を推進し、真珠湾の奇襲をはたし、強引に戦争に持ち込んだ」と一方的に日本に非があったとしている。しかし、往復電報は、「日本が和平交渉の最中に奇襲攻撃した」卑怯なだまし打ちではなく、「米英指導者が戦争ありきで日本を挑発して開戦へと追い詰めたことがうかがえる」(中西氏)との解釈を裏付けている。(ロンドン 岡部伸)

 

日米は戦わされた? アメリカの保守派が唱え始めた「スターリン工作史観」――評論家・江崎道朗

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【江崎道朗のネットブリーフィング 第26回】
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食と死亡リスクの観察調査

2017-12-06 | 今注目の話題

日本人が年間13リットルも飲む「植物油」が体を壊す ビジネスジャーナル 12月05日

 先日、興味深い記事が発表されました。それは11月7日付NIKKEI STYLE記事『「炭水化物が毎食7割超え」は注意 死亡リスク上昇』で、8月29日付ランセット誌電子版に掲載された論文を基にした記事です。ちなみに、ランセットは世界五大医学雑誌のひとつです。

 元の論文は、世界18の国と地域の13.5万人以上を対象にした食と死亡リスクの観察調査です。低所得国、中所得国、高所得国を網羅し、人数も多く期間(中央値で7.4年)も長いので、今までに例のない調査といえます。

 記事では主な調査結果として、次の2点を取り上げています。

(1)炭水化物については、最低群(総エネルギーに占める炭水化物の割合の中央値が46.4%)と比較した最高群(同77.2%)の総死亡のリスクは28%高く、摂取量が多いほど死亡リスクは高い傾向が見られました。

(2)脂質については、炭水化物とは反対に、最低群(総エネルギーに占める脂質割合の中央値が10.6%)に比べ最高群(35.3%)の総死亡リスクは23%低くなっていました。

 記事では、この結果を受けて、炭水化物の摂取が非常に多いと死亡リスクが高く、脂質の摂取が多いと死亡リスクが低いことが「意外」と受け止めています。しかし、筆者はこの結果を「意外」とすることにかなりの違和感を覚えます。

●栄養素は単独では働かない
 
 私たちが生きてゆく上で必要な三大栄養素は「たんぱく質、脂質、炭水化物(糖質)」で、どれもエネルギー源ともなります。これにビタミン、ミネラルを含めた五大栄養素の相互作用で生命活動を維持します。その際に重要なのは、栄養の摂取バランスです。調査では、栄養素を単独で扱っているので誤解しがちですが、実際には栄養素は単独では働かないので、摂取バランスで捉えないとあまり意味がありません。

 栄養の摂取バランスで捉えると、炭水化物の摂取量が多いというのは、その他の栄養素は必然的に少なくなります。脂質もたんぱく質も少ないと考えられます。炭水化物摂取の最高群(同77.2%)の死亡リスクが高いのは、栄養バランスが悪い、もしくはかなり偏っているためだと考えられます。

 逆に、脂質の摂取量が多い群(35.3%)は、炭水化物が少なくなります。脂質は肉類や卵などに多く含まれます。これらにはたんぱく質も豊富に含まれるので、その摂取量も自動的に増え、摂取される栄養バランスが良くなると考えられます。つまり、死亡リスクの少ない脂質摂取の多い群は、栄養バランスが良いと言い換えられます。

 したがって、この調査結果は決して「意外」なものではなく、栄養の摂取バランスが悪い群は死亡リスクが高く、栄養の摂取バランスが良い群は死亡リスクが低いという栄養学の常識と一致した結果にすぎないのです。

●日本人は栄養バランスの変化と寿命の関係を体現した

 今回の調査の特徴のひとつは、対象に低所得国、中所得国、高所得国を加えたことです。低所得国と高所得国では摂取する栄養バランスの良し悪しに差があることも、平均寿命が違うことも容易に想像ができます。

 低所得国が経済発展し、中所得国、高所得国へと姿を変えると、食糧事情も変化し、栄養バランスも変わり、寿命も延びることは、我々日本人がこの70年の間に体験しています。

 米を主食とした日本人の食生活は、世相の安定した江戸中期以降、少ないおかずで大量の米を食べる炭水化物偏重の食生活が戦前まで続き、その間、平均寿命が50歳を超えることはありませんでした。この食生活が急変するのは、第二次世界大戦以後のことです。

 下の図は、1955年から2015年までの10年ごとの三大栄養素の摂取割合(エネルギー比)の推移と、その年の平均寿命(男女の平均)を表したグラフです(赤字が平均寿命)。

 前述の調査結果の死亡リスクが高い群と符合するように、炭水化物の摂取割合が78%と高率だった1955年の平均寿命は63歳で、脂質の摂取量が増えるとともに寿命は延び続けます。

 平均寿命を延ばす要因は食生活ばかりではありませんが、1955年は高度経済成長の始まりの年であり、経済大国になるにつれ食卓にいろいろな食材が並ぶようになったことは事実です。ちなみに、日本人の平均寿命が50歳を超えたのは1947年で、今からわずか70年前のことです。

●寿命が延びると病気が増える

 摂取する栄養バランスがよくなり寿命は世界のトップクラスまで延びましたが、新たな問題として、病気が増えました。特に慢性疾患である高血圧、脂質異常症、糖尿病は「三大生活習慣病」と呼ばれ、罹患者は増加の一途をたどっています。これらの病気は直ちに死に結びつくものではなく、長い時間をかけて合併症とともに重篤な状態に至るのが特徴です。つまり、ある程度の長生きはできるが、不健康な時間も長いというおかしな時代になっています。

 生活習慣病の原因として、偏った食生活、運動不足、喫煙、過度の飲酒、過度のストレスなどが挙げられますが、なかでも食生活の占める割合は大きく、最近はがんや認知症なども食生活に原因があるケースが指摘され、生活習慣病の範疇に入れる傾向にあります。
 
 栄養豊富な飽食の時代なのに病気が増えているのは、食生活における栄養の質と食の安全性に関する誤った情報に問題があると考えられます。本連載で一貫して指摘しているように、ヘルシーだと誤認識され多量に消費される植物油はその筆頭です。サラダ油やマヨネーズの主原料である大豆の輸入自由化は1961年で、キャノーラ油の原料である菜種の輸入自由化は1971年です。この時期を境に植物油の大量消費が始まっていますが、生活習慣病が急増する時期と一致します。今では一人当たりの植物油の年間消費量は13リットルにも及んでいます。

●調理油以外にも加工食品には大量の“隠れ油”

 糖尿病の原因は炭水化物の過剰摂取にあるといわれますが、上図から読み取れるように炭水化物の摂取量は減り続けており、炭水化物だけでは増える糖尿病の説明がつきません。動物実験の結果から、糖尿病の原因としてキャノーラ油などが指摘されています。これは植物油の消費量の増加と合致します。

 厚生労働省が推奨する「食事バランスガイド」などでは、動物性の脂肪を控え、植物性の脂肪に置き換えることを推奨していますが、こうした一見“常識”とも思える指導が生活習慣病を助長する原因にもなります。植物油には健康を害する隠された負の作用があるからです。

 先日も、砂糖の取りすぎの有害性について指摘しようとした研究を、米国の砂糖業界が50年前に打ち切っていたという事実が報道されたばかりです。

 食材に含まれる成分には、判明している栄養素以外に解明されていない未知の成分があり、人体への影響も解明されていません。栄養の摂取と死亡リスクの関係が解明され、それが公正に発表され、正しく活用されることを望みます。
(文=林裕之/植物油研究家、林葉子/知食料理研究家)

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