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開かれた社会に向かって、勇気ある一歩を踏み出さなければ、本当に楽しい社会の存在を知る事なしに人生を終える

2018年02月23日 | その他

開かれた社会に向かって、勇気ある一歩を踏み出さなければ、
本当に楽しい社会の存在を知る事なしに人生を終えてしまうだろう。


2018年2月23日 金曜日

大人になると人生が”楽”になる 2月20日 高須賀

閉じた世界に生きる人間に、「逃げろ」は酷

2013年頃、堀江貴文さんが「ブラック企業?嫌なら辞めろよ」といって大炎上していた。

それに対して「簡単に辞められるのなら苦労しない」という声が沢山あがっていた。

これについて僕はその当時

「嫌なら辞めればいいというのは凄く良くわかるけど、そう簡単に辞められないと言う人の気持も凄くよく分かる」

「この2つの感情の間にある違和感は一体何なんだろう」

そう事ある度に思っていたのだけど、先の橘さんのVRの話を伺ってようやく疑念が腑に落ちた。

ブラック企業を辞められないという人は、会社世の中という仮想現実に支配されていたのだ。丁度、小さかった頃の僕が、世界が学校と家庭で閉じていたと思っていたように。

そういう「世界が閉じている」と感じている人に「実は世界は開いていて、自分で居場所を決めることができる」と問いても多分理解できない。

頭では他の世界があるという事は認識できるかもしれないけど、実際にプレイしているゲームの世界はそこしななく、そこの外へ逃げるということなんて想像ができないのだ。

小さかった頃に「逃げてもいいんだよ」といわれても「いったいどこに逃げろっていうんだ。死ぬぐらいしか逃げ場所がないじゃないか」と感じた話を先に書いたけど、閉じた世界で生きる事しか知らない人間からすれば、閉じた世界の外にも世界があるだなんて事は想像できないのだ。

大人の世界は開いている

会社や学校、家庭という世界がこの世の全てだと思っている人に

「それ以外にも世界はあるから、逃げてもいいんだよ」

と言ってもその言葉は絶対に響かない。閉じた世界しか知らない人間に「世界は開いているんだよ。君の居場所はどこかにある」とか問いても、開いた世界を知らないから理解ができないのだ。

実の事を言うと、世界は閉じてない。それどころか最近の大人の世界は無限に開いている。

義務教育期間の世界は学校と家族でほぼ完結しているグロテスク以外のなにものでもない世界だけど、大人の世界は自由そのものだ。

仕事は好きなものを選べる。付き合う人間だって自分で選べる。ちょっと勇気を出して、一度自分の世界を開いてみると、そこにはビックリするぐらい広い世界が広がっている。

かつてはそんな世界は絶対にありえなかった。人は生まれた村で、生まれてから死ぬまで、同じような人間と付き合い、既定路線に沿った人生を歩むことが義務付けられていた。

けど時代は凄く進歩した。あなたが今この文章読んでいるように、インターネットというインフラは私達をいとも簡単に様々な世界へとつなげてくれる。

この世界は物凄く優しい。学校だったら誰も見向きもしてくれなかった死ぬほどマニアックな趣味でも、ネットでなら愛好家が群がる場所が簡単に見つける事が可能だ。

そうして同じ文化を愛する人と、同じ場所で同じ空気を吸ってみると、もうそこには「空気が読めない」だなんて言われる惨めな自分はそこにはいない。気の合う仲間と、好きなように好きなだけ楽しい事だけができる世界が、そこには広がっている。

もちろん義務教育期間中にこの開いた世界を心の底から楽しむのは難しい。

あなたを養う多くの親御さんは、「開かれた社会」での交流を胡散臭いモノととらえるだろう。

「そんなインターネットの顔も知らないような人と遊ぶのなんて危ないじゃないか。友達なんて学校にいけば山ほどいるのに、なんでわざわざそんな危ないことをするんだ?」

こういうだろう事は絶対に間違いない。

この事は仕事についても全く同じことがいえる。

仮にあなたが大手企業からよくわからない会社に転職しようと思い、親御さんや友達に相談したとしたら

「なんで転職なんてするんだ。今の会社にいればキチンとした仕事があるのに、外に行くだなんて危ないじゃないか」

というような事を絶対にいわれる。

これらの意見は、きっとあなたの事を心の底から心配するからこそ発せられたものである事は間違いがない。

閉じた世界に愛着がある人からすれば、安心安全な閉じた世界の外に、もっとよい世界があるだなんて絶対に理解ができない。

けど残念ながら私達のような人間は閉じた世界の中では幸せに生きてはゆけない人間だ。開かれた社会に向かって、勇気ある一歩を踏み出さなければ、本当に楽しい社会の存在を知る事なしに人生を終えてしまうだろう。(後略)



(私のコメント)

世の中が多様化してくると、画一的な学校教育や画一的な働き方が社会に合わなくなってくる。しかし学校も会社も大きな変革はなく、画一的な人材を社会に送り出してきており、受け入れる会社も新卒一括採用で画一的なサラリーマンを求めている。少しでも個性的な人材は使いにくいと排除される。

学校教育も、高校生くらいから各自の個性に沿った教育コースがあればいいのですが、せいぜい工業高校や商業高校がある程度だ。最近では大学入試でAO入試が多くなってきていますが、大学そのものは大きく変わってきてはいないようだ。就職シーズンになればリクルートスーツを着た大学生をよく見かける。

そしてサラリーマンになれば、それこそ画一的な人生を定年まで勤めれば人生の成功者になれるのだろうか。そのような画一的な家庭に育った子供たちも、画一的な家庭で育てられるから、同じように画一的な人生を生きるのが目標とされるのだろう。

私が学生時代に戻りたくもないし、銀行員時代に戻りたくもない。息苦しい辛い生活だったことしか思い出せませんが、今でも時々銀行員時代の悪夢を見ることがあるくらいだ。絶えず競争にさらされてノルマに苦しめられた。一番の悪夢は会社に出勤しても仕事が全くない悪夢であり、営業で外に出ても何処にも行くところがないといった悪夢を今でも見る。そして真っ白けな日報を出す。

サラリーマン社会は、裏から見れば足の引っ張り合いの世界であり、ストレスが溜まる世界だ。だから私の人生設計としては、サラリーマンで15年、不動産実業家として15年、ブロガーとして15年くらいで生活を変えてきた。実業家とブロガーがダブっていますが、それぞれ違った生き方の世界だ。

ブロガーの次は何をするかですが、芸術的な世界で生きてみたいものだ。絵や彫刻に限らず創作的な分野で活動がしてみたい。私のビルには絵や置物や石膏像などを飾っていますが、これは私の道楽に過ぎない。さらには園芸的な植物も集めてあちこちに置いている。

高須賀氏が書いているように、今まではあまりにも個性的な人は生きにくい世界でしたが、ネット化社会では同好の士が沢山いて、変人もたくさん集まってくれば変人ではなくなる。街中でもコスプレファッションで歩いても誰も目に止めなくなった。学校や会社では決して出来ないことだ。

最近ではユーチューバーという職業も出来たようですが、ユーチューブへの動画投稿で稼ぐ人も出てきた。そうなると個性的な人でしか稼ぐことができない。しかし学校ではユーチュバーになるような教育はやらないしできない。ネット化時代になると個性的な人材こそが求められており、無個性なサラリーマンは流行らなくなった。

高須賀氏は、「仕事は好きなものを選べる。付き合う人間だって自分で選べる。ちょっと勇気を出して、一度自分の世界を開いてみると、そこにはビックリするぐらい広い世界が広がっている。」と言っているが、それを教えてあげられる大人が日本には少ない。学校の教師ではまず無理だ。会社の上司も外の世界を知らない。



 

現在、航空自衛隊はF-35Aに

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