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民主・海江田代表、党立て直し・・・ 無駄なこと、解党せよ!

2013-07-22 | 報道・ニュース

民主・海江田代表、党立て直しに着手  読売新聞2013年7月22日(月)11:35

 結党以来の惨敗を喫した民主党の海江田代表は22日午前、党本部に入り、党の立て直しに着手した。

 同日午後には細野幹事長や輿石東参院議員会長ら党幹部と会い、今後の対応について協議する。

 海江田氏は21日夜に続投を表明した上で、細野氏とともに党再生に取り組む意向を表明。これに対し細野氏は同日夜、「選挙の全ての責任は私にある」と述べていた。

 海江田氏は22日午後、細野氏と会談し、続投を要請したうえで、今後の党運営への協力を求める。

 ただ、党内には海江田氏の続投表明に異論も出ている。海江田氏が6月の東京都議選で第4党に転落する惨敗を喫した後、「都議選と参院選は一体の選挙」と述べ、参院選で審判を仰ぐ姿勢を示していたためだ。若手の1人は「潔く責任を取り、解党的出直しを図るべきだ」と語った。

 一方、当選8議席と伸び悩んだ日本維新の会の橋下共同代表は22日、兼務する大阪市長としての公務はなく、午前中は表だった動きを見せなかった。

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死の淵を見た男・闘った相手(東電)は、実は貶められるところだった!

2013-07-16 | 報道・ニュース

故・吉田昌郎さんは何と闘ったのか

門田隆将

2013年07月14日 16:31

今朝、テレビ朝日の『報道ステーション SUNDAY』を観ていたら、独立総合研究所の青山繁晴代表が2011年に吉田昌郎所長に呼ばれて福島第一原発に行った時のことを証言していた。

私も同じ番組でインタビュー撮りされて登場していたが、お互いインタビューだったので、当然、私は青山さんとお会いしていない。しかし、番組で流された青山さんの証言を聞いて、「ああ、やっぱりそうだったのか」と思うことがあった。

青山さんの証言によれば、福島第一原発に青山さんを呼んだのは、吉田さんの独断だったそうだ。つまり、「東電本店には無断でやった」のである。当時、激しい東電バッシングの中で、福島第一の内情はまったくヴェールに包まれていた。

吉田さんは、わざわざ来てくれた青山さんに瓦礫と化した建屋などの惨状を「全部撮ってください」と言い、本店との間にトラブルが起きないか心配する青山さんに対して、「いや、大丈夫じゃないです。問題はいろいろ起きますよ。でも、青山さんだったら公開するでしょ。だから来てもらったんだ」と言ったそうだ。

私が、「ああ、やっぱり」と思ったのは、この「東電本店に無断」で青山さんを福島第一の現場に呼び、さらに、「大丈夫じゃない。問題はいろいろ起きますよ」と言い、すべてを覚悟の上で吉田さんがやっていたという点である。

私は、青山さんの証言を聞きながら、吉田さんのある言葉を思い出した。拙著『死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日』(PHP)は、吉田さんにインタビューに応じてもらい、ぎりぎりの綱渡りでできた本だった。これまで何度も書いてきているように、私は吉田さんと会うまでに1年3か月もの時間がかかった。

私のようなフリーの人間は、軍団で攻めていく大メディアのようなことはできない。そこで独自のルートを模索せざるを得なかった。自分自身のことを思い浮かべれば誰でもわかることだが、人間には、自分自身に影響力を持つ人間が一人や二人は必ずいる。

幼な馴染や親友、恩師、先輩、上司……等々、その人に影響力を持つ人間が多かれ少なかれ必ずいるものである。私は、吉田さんがどこで生まれ、どこの学校に通い、どういう人生を歩んで来たのか、徹底的に調べた。拙著の中には、そういう方の証言も出ている。それらは、「取材先」であると同時に吉田さんを説得する重要な「役割」を負ってくれる人たちでもあった。

そして、さまざまなルートを辿ってアプローチし、私は1年4か月目にやっと吉田さんに会うことができた。食道癌の手術のあとの病床で吉田さんは私の手紙と本を読んでくれて、その上で、会うことを決断してくれたのである。

しかし、吉田さんは都合2回、4時間半にわたって私の取材に詳しく答えてくれたが、昨年7月26日、3回目の取材の前に脳内出血で倒れ、それ以降の取材はかなわなくなった。

だが、脳内出血で倒れて4か月後に出た拙著を吉田さんは大層喜んでくれた。そして、不自由になった口で「この本は、本店の連中に読んで欲しいんだ」と語られた。

番組での青山さんの証言を聞いて、私はさまざまな人たちと闘った吉田さんは、実は最大の敵というのは、「東電本店ではなかったか」と思った。私も、拙著の取材の過程で介入してきた東電本店(正確に言えば広報部)の存在に、最後の最後まで悩まされた。その対応に神経を擦り減らしながら、拙著はやっと完成した。

いま、吉田さんが「津波対策に消極的だった人物」という説が流布されている。一部の新聞による報道をもとに、事情を知らない人物が、それがあたかも本当のようにあれこれ流しているのである。

私は、吉田さんは津波対策をきちんととるための「根拠」を求めていた人物であると思っている。新聞や政府事故調が記述しているように、「最大15.7メートル」の波高の津波について、東電は独自に試算していた。これは、2002年7月に地震調査研究推進本部が出した「三陸沖から房総沖の海溝沿いのどこでもM8クラスの地震が発生する可能性がある」という見解に対応したものだ。

そもそも、これはなぜ「試算」されたのだろうか。これは2008年の1月から4月にかけて、吉田さんが本店の原子力設備管理部長だった時におこなわれたものだ。

それは実に大胆な計算法だった。どこにでも起こるというのなら、明治三陸沖地震で大津波を起こした三陸沖の「波源」が、仮に「福島沖にあったとしたら?」として試算したものである。

もちろんそんな「波源」は福島沖には存在しないので、「架空」の試算ということになる。だが、それで最大波高が「15.7メートル」という数字が出たことによって、今度は、吉田さんは、これをもとに2009年6月、土木学会の津波評価部会に対して波源の策定についての審議を正式に依頼している。

つまり「架空の試算」をもとに自治体と相談したり、あるいは巨額のお金を動かすことはできないので、オーソライズされた「根拠」を吉田さんは求めていたのである。この話は、私は3回目の取材で吉田さんに伺うことにしていたが、その直前に、吉田さんは倒れ、永遠にできなくなった。

いま「死人に口なし」とばかり、吉田さんがあたかも「津波対策に消極的であった」という説が流布されているのは残念だ。しかし、正式に聞くのは3回目の取材の予定だったが、私はそれまでに大まかなことは吉田さんに直接、聞いている。彼が消極的どころか、むしろ積極的であったことを、私は近くある月刊誌の誌上で詳しくレポートさせてもらう予定だ。

しかし、吉田さんが亡くなったことで、事実をそっちのけにして吉田さんを貶めようとしている人たちが現実にいる。吉田さんが本店に無断で青山さんを現場に呼んで真実の“実情レポート”を託し、また、一介のフリーランスのジャーナリストである私の取材に応じたのはなぜだったのか。

拙著を「この本は本店の連中に読んで欲しいんだ」と言った吉田さん。“現場派”の代表としての姿勢を最後まで失わなかった吉田さんの真実に今日の『報道ステーション SUNDAY』の青山さんの証言で触れることができ、私はあらためて惜しい方が亡くなった、という思いを強くしている。

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宝塚市役所放火:腕の良い職人・なんとも悲ひい事件だ!

2013-07-13 | 報道・ニュース

宝塚市役所放火事件・報道ニュースを読んだ、これが事実だとすればなんとも悲しいさびしい世の中になったもんだ、この職人さん放火殺人未遂容疑が固まれば大変な罪に問われる

自分がやった事だから責任を問われるのは仕方がないが、同じ団塊の世代としてなんとも悲ひいし、やるせない、何とゆう世の中になったモノだ、もうちょっと何とかなる世の中にして行きたい、同じ世代として頑張りたい。AO

 

宝塚市役所放火:腕の良い職人が…生活苦から自暴自棄か 2013年7月13日(土)

宝塚市役所放火:腕の良い職人が…生活苦から自暴自棄か
(毎日新聞)

 兵庫県宝塚市役所が放火され職員ら5人が負傷した事件で、同市山本南3、無職、高橋昭治容疑者(63)=現住建造物等放火容疑で逮捕=が先月上旬、仕事を請け負っていた会社に「もう働く気力もない」と漏らし、仕事を断っていたことが分かった。「昨年末、残高約200万円の口座を市に差し押さえられて腹が立った」と動機を供述しており、県警は生活苦などから自暴自棄になっていた可能性があるとみている。

 一方、複数の職員をめがけて火炎瓶を投げて放火したことなどから、県警が殺人未遂容疑の適用も検討していることが捜査関係者への取材で分かった。

 東京の機械設備会社の大阪事務所責任者によると、高橋容疑者は鉄板を切ったり溶接する職人だった。親方として数人の若手職人を雇い、約30年間、この会社の仕事を請け負って生計を立てていたという。日給は2万円程度だった。

 「仕事の腕はピカイチ。ランクはAで、信頼できる職人だった」。しかし、数年前から若手の職人が離れて1人になった。1人の職人に発注する仕事は少ないという。昨年10月には約1カ月、岐阜県恵那市のごみ処理場で機械修理に携わったが、その後も、まとまった仕事はなかった。

 6月上旬、若手の指導役として数日間、働いた。責任者は「ここにしばらくいて若手指導を続けてくれないか」と頼んだが、高橋容疑者は「体調も良くない。もう働く気力もないんや」と話した。

 酒もほとんど飲まず、まじめだったという高橋容疑者。数年前、「税金を払えていない」とこぼした。

 不動産登記簿などによると、高橋容疑者は1995年7月、中古マンション1階1室(61平方メートル)を約2400万円の融資を受けて購入したが、2003年8月と昨年6月、市から差し押さえられた。滞納した固定資産税は年10万円未満とみられる。

 一方、県警によると、高橋容疑者はガソリン入りの火炎瓶2本とポリタンク2個を手提げかばんに入れて市役所に入ったと説明しているという。市役所駐車場の高橋容疑者のものとみられる軽自動車にもガソリンタンクが積まれていた。県警は計画的な犯行の可能性もあるとみている。

 県警は12日夕から市役所を現場検証し、13日も続行する。
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吉田元所長死去:原発立国の光と影

2013-07-10 | 報道・ニュース

原発の恐ろしさを一番知っている者として、あの福島の原発事故の実態を後世に残してほしかった、まだ・「遺書や事故に関する手記があるかどうかは確認していない」と云う事なので分からないが、周りから聞こえてくる話の分かる男として信頼が在った様だ其れだけに残念だ、本当の事を後世に残す事がご本人の有終の美・総決算になる。AO

 

 

吉田元所長死去:原発立国の光と影を背負い 2013年7月9日(火)20:53

 

吉田元所長死去:原発立国の光と影を背負い
(毎日新聞)

 東京電力福島第1原発事故の収束作業を指揮した吉田昌郎元所長(58)が9日死去した。原子炉への海水注入の中断を求める東電本店の指示を無視し、独断で注入を続けるなど毅然(きぜん)とした態度が評価された一方、震災前に第1原発の津波対策の拡充を見送ったことも明らかになった。原発立国の光と影を背負ったまま、58年の生涯を閉じた。

 「事故の記録を書こうと思っているが、なかなか筆が進まないんだ」。吉田さんは昨年、友人の医師にこう打ち明けた。回想録を出版し、印税を被災者への寄付に充てようと考えていた。しかし食道がんの治療で体調が安定せず、執筆は中断しがちだったという。

 吉田さんは1979年に東京工業大大学院を修了。旧通産省(現経済産業省)の内定を蹴って東電に入社、一貫して技術畑を歩いた。「親分肌」「面倒見が良い」と現場の信頼を集め、本店とは距離がある協力企業の作業員の人望も厚かったという。第1原発所長には2010年6月に就任し、同原発への勤務は4回目だった。

 一方、11年12月に公表された政府の事故調査報告書(中間報告)によると、吉田さんは原子力設備管理部長だった08年、従来の想定を大幅に上回る「最大15.7メートル」の津波が原発に押し寄せるとの試算結果を独自にまとめながら、「最も厳しい仮定を置いた試算に過ぎない」として防潮堤などの津波対策を先送りしたことが明らかにされている。

 事故8カ月後の11年11月、原発内で報道陣の取材に応じた際には、事故を謝罪。「想定が甘かった部分がある。これからほかの発電所もそこを踏まえて充実させていく必要がある」と答えていた。

 「一番インパクトがあったのは3号機の水素爆発(3月14日)。自分も含めて死んでもおかしくない状態だった。10人ぐらい死んだかもしれないと思った」。吉田さんは公の場で事故について語ることはほとんどなかったが、12年8月、公開のシンポジウムにビデオで出演し、事故を振り返った。

 「原子炉を安定化させることが一番重要な責務。まだ十分な体力はないが、戻ったら現場のために力を尽くしたい」。闘病の疲れをにじませながら、あくまで現場復帰に意欲を示した。

 しかし、ビデオ収録後の7月下旬、脳出血に襲われた。「事故の経過を最もよく知る人物」(政府事故調関係者)と言われながらも、真相を語り尽くさないまま生涯を終えた。東電広報部は「遺書や事故に関する手記があるかどうかは確認していない」としている。【中西拓司、神保圭作】

 ◇歴史に残る困難な事態に対応

 国会事故調の委員長として吉田さんに事情聴取した黒川清氏の話 吉田元所長には、入院中にもかかわらず、20分の予定を90分にわたって協力いただいた。世界の歴史に残る、もっとも困難な事態に対応した原発の所長としての責任感とリーダーシップ、そして現場の仲間への思いに敬意を表し、この経験が生かされることを祈念し、国会事故調チームを代表して心からご冥福をお祈りしたい。

 

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参議院選挙の参考資料

2013-07-08 | 今注目の話題
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姑息な東電・今頃になって・・・?

2013-07-07 | 報道・ニュース

最高濃度の放射性トリチウム=福島第1の地下水―東電 2013年7月7日(日)14:00

 東京電力は7日、福島第1原発の港湾近くの観測用井戸の地下水から、1リットル当たり60万ベクレルの放射性トリチウム(三重水素)を検出したと発表した。これまでで最も高い濃度という。

港湾内のトリチウム濃度上昇=福島第1取水口付近-東電(時事通信)

福島第1原発 海から25メートルの井戸 地下水から90万ベクレル産経新聞) 07月06日 08:05

福島第1原発:別の井戸で90万ベクレル検出毎日新聞) 07月05日 21:53

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