感染が不安だ。だが希望してもPCR検査を受けられない。そんな状況が今も続く。背景には戦前から続く「医療」と「衛生」の分断や、官僚の利権意識がある。AERA 2020年8月24日号で掲載された記事から。

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「自治体の現場を知る者として申し上げたいのは、(PCR検査は)絶対に増えない構造になっています」

 8月4日に日本記者クラブで記者会見した東京都世田谷区の保坂展人区長は、新型コロナウイルスのPCR検査の拡充の難しさについてこう述べた。

 同区の人口は都内最大の約92万人。7月末までに約1千人の区民が感染した。最近では家庭内、職場内での感染も広がっているという。保坂区長は、検査の拡充が難しいとは認めつつ、それでも拡充しなければいけないという考えだ。

「これだけ市中感染が広がると、PCR検査のハードルをぐっと低くする、もしくはなくしていく(ことが必要だ)。ニューヨークでやっているような『いつでも、どこでも、何度でも』ということを最終的に目指していく」

 同区では、東京大学の児玉龍彦名誉教授の提案を元に、検査数の桁違いの拡充や医療や介護の現場で働く人たちへの検査体制の確立に向けて動き出した。「うまくいった例を参考にして、ということになると、PCR検査を制限するという話にはならない」(保坂区長)

 安倍晋三首相が4月に1日2万件を目指すと表明した国内のPCR検査数は、7月30日現在で1日あたりの能力で3万5664件。感染が急激に広がっているさなかの7月19〜30日の12日間の実際の検査数をみると、6712〜2万2302件。2万件を超えたのは2日しかなく、1万件を切った日は3日ある。安定的に目標を達成している状況ではない。

 米ウェブサイト「worldometer」では5日現在、人口比の検査人数で、日本は世界215の国と地域の中で155位だ。

 医師で、医療ガバナンス研究所(東京)の上昌広理事長は、検査が増えない理由について、日本の公衆衛生が成り立ちの経緯から医療の現場と“距離感”があることを指摘する。

「国内の感染症対策は、感染研(国立感染症研究所)と保健所が感染者を隔離してその周囲の人たちを検査するという仕組みになっています。これは、戦前は衛生警察と言われる警察の業務だった経緯もあり、現在の医療システムとは切り離されているとも言えます。感染研や保健所にはキャパシティーがないため、大量の検査をこなすことはそもそもできません」

 英キングス・カレッジ・ロンドンの渋谷健司教授(公衆衛生学)もこんな指摘をする。

「一つはPCR検査を行政検査という枠にはめたことです。外国ならいわゆる上気道感染の識別診断という形で通常の医療の中で行われますが、日本は感染症法に基づく行政検査にすることで、医師の判断で通常の検査ができませんでした」

 厚生労働省の組織と利権の問題だと指摘する声もある。厚労相時代に新型インフルエンザの流行を経験した舛添要一氏は、安倍首相が目指したほど検査数が十分に増えていないことについて、「加藤(勝信)厚労相に直言できるブレーンがいないのでは」との見方を示す。

「民主党から自民党に政権が戻ったとき、厚労省でも能力のある人たちが『お前ら民主党に協力したな』とずいぶんパージされました。長期政権になって、大臣にモノが言える役人がいなくなったようです」(舛添氏)

 しかし、そもそも「増やせ」という総理の意向があるのに、なぜ大臣に言えないのか。

「今は状況が違います。コロナ対応の失敗が続く中で『安倍は終わり』と思っている官僚は多い。検査を大幅に増やすということは、感染研の情報独占体制を脅かしかねないので、厚労省の官僚たちは、安倍首相を守るより、自分たちの利権を守るべきだと考えたはずです」(舛添氏)

 前出の上理事長も、少ない検査数に対する国民の批判と“公衆衛生ムラ”の情報独占のバランスを取る苦肉の策としてできたのが、民間医療機関への検査の業務委託だとみる。

ここまでの3氏はいずれもPCR検査の拡充を訴えているが、別の考え方もある。

 2009年の新型インフルエンザ流行時、厚労相だった舛添氏の私的アドバイザーを務めた山形大医学部附属病院検査部の森兼啓太部長はこう話す。

「当初は東京都など検査のキャパシティーが明らかに足りないところがあり、準備不足という点で確かに問題はありました。ただ、今は民間も含めて随分キャパシティーは大きくなっています。『山ほど増やせ』という意見もありますが、現状で適正な規模だと考えられますし、そもそもロジスティクス(工程)的に難しいのではないでしょうか」

 厚労省結核感染症課の医系技官、加藤拓馬さんも、そもそも感染者数が違うので外国との比較をしたうえで「増やせ」という議論には意味がないという考えだ。「感染予防の観点から必要な検査だけをやればよいのです」と話す。(編集部・小田健司)

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