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日本人は薬を飲みすぎ! 充実した保険と「念のため」の弊害か

2019-03-23 | 今注目の話題

日本人は薬を飲みすぎ! 充実した保険と「念のため」の弊害か 記事NEWSポストセブン2019年03月20日

          
日本はなぜ多くの薬を処方されるのか?(写真/PIXTA)
《4剤以上飲まされている患者は、医学の知識が及ばない危険な状態にある》。

 これはアメリカの医師が新人ドクターに向けて医師が持つべき心得を書いた『ドクターズルール425 医師の心得集』という本からの抜粋だ。

「アメリカにおいても実際にどの薬を使うかは医師の判断に一任されているうえ、減薬を義務づける法律があるわけではない。しかし、高齢者の多剤併用は社会問題化しており、避けるための動きが活発化しています」

 そう語るのは、アメリカ在住の医師・大西睦子さん。複数の薬を服用する多剤併用を避けるための動きの1つが、併用すると悪影響が出る薬をまとめた「ビアーズリスト」という一覧だ。大西さんが解説する。

「アメリカでは1991年、老年病専門医のマーク・ビアーズ博士が、併用すると不適切な薬のリストを作成しました。これを『ビアーズリスト』といい、リストの中には降圧剤や睡眠薬など、高齢者が多剤併用しやすい薬と、その危険性が記されており、たびたび更新されています」

 医療大国であるドイツでも単価が高いゆえ、余計な薬はのまない傾向にある。

 その一方で、日本では多剤併用が問題化している。どうして、日本だけがこんなにも多くの薬をのみ続けているのか。在宅医療や訪問診療に取り組むたかせクリニック院長の高瀬義昌さんは「日本は国民皆保険で医療費の自己負担額が低いことが大きな理由」と指摘する。

「特に抗不安薬の処方が他の国に比べてダントツに多い。高齢者では転倒やせん妄を発症するリスクも高いのに、いまだに漫然と投与されています」

“とりあえず”、“念のため”の弊害

 医療問題に詳しいジャーナリストの村上和巳さんは「“よかれと思って”が裏目に出た結果」だと言う。

「基本的に医療費は3割負担であるうえ、高齢者になると定額になったり乳幼児は一部自治体で無料になったりするゆえに、医師も“とりあえず”“念のため”の感覚で薬を出しやすい。医師は悪気なくよかれと思ってやっているし、患者も安いからもらえるものはもらっておこう、という気持ちでいる面は大きい」

 しかし「とりあえずもらっておこう」とのみ始めた薬が原因で病気になったら目も当てられない。無駄な薬をのまないようにするためには、どうしたらいいのか。

 新田クリニック院長の新田國夫医師は「前提として、薬を減らす場合は必ず医師に相談してほしい」と話す。

「自己判断で勝手に減らした結果、重篤な状態に陥った人もいます。必要がない薬だと自己判断せずに、必ず医師と相談しながら減らすようにしてください」

 画像の処方箋をご覧いただきたい。2枚にわたってびっしり薬の名前が書かれている。これは医師の高瀬さんが診察した80代の女性が持っていたものだ。当初、3つの医療機関から20種類以上の薬を処方されていた。

「この患者さんは、頻尿改善を期待して抗うつ剤の『アミトリプチリン塩酸塩』が処方されていた。泌尿器科で処方されることが多い薬ですが、アルツハイマー型認知症の症状を悪化させる抗コリン系作用のある薬であるため、高齢者はのまない方がいい。大病院の泌尿器科の先生ですら、高齢者に出すのは危険だと知らなかったようです。同じく腎機能が低下した高齢者には副作用が心配な酸化マグネシウムも出ているうえ、痛み止めも数種類出ています」(高瀬さん)

 高瀬さんは一つひとつ必要性を吟味し、16種類の薬を減薬した。画像で薬名に線が引いてあるものが減薬した薬である。

 実際に在宅や訪問診療を行っていると、同様のケースは決して珍しくないという。

「患者さんも多すぎる薬に不信感を持っていて、ご自宅に行くと、外来では『のんでいます』と言っていた薬も、のまずに隠していたりする。のんでいないから、症状がよくならず、薬の量が増えていることもある。たくさんの薬を1つずつ、今の状態を診察しながら、本当に患者さんにとって必要なのかを見直し、減薬していきます」(高瀬さん)

 高瀬さんは「生活習慣の見直しや周囲のサポートによって、薬を減らせることも多い」と話す。

「認知症で糖尿病も患っている男性の患者さんが、毎日コーヒー1杯に砂糖をスプーン5、6杯も入れていました。これを低糖質の人工甘味料に置き換えることで、糖尿病の薬を減らすことに成功しました」

 ほかにも日中の活動を増やして睡眠薬を減らす、家族や友人とのコミュニケーションを増やして抗うつ薬を減らすなどのケースがある。                           ※女性セブン2019年3月28日・4月4日号

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警醒難民(知られざる長寿国日本の現状)

2019-03-04 | 今注目の話題

苦しまないと死ねない国で、上手に楽に死ぬために『医者には絶対書けない幸せな死に方 記事 Dain  2019年03月03日

 生活や仕事の質を上げるテクニックが「ライフハック」なら、本書は、安らかに死ねるためのテクニックを集めた「デスハック」である。QOL(Quality Of Life)ならぬQOD(Quality Of Death)を向上させるノウハウ集やな。

                   
「平均寿命」-「健康寿命」≒ 10年

 日本人の8割は病院で死ぬが、病院では迎える死は「安らか」でない場合が多いという。なまじ延命治療技術が発達してしまったため、病院のベッドに何か月も縛り付けられたまま拷問のような状態で死に至る人が大勢いるらしい。

 WHOによると、「健康寿命」の定義は、「医療や介護に依存せず、自力で生活ができる期間」になる。日本人の平均寿命(2016)と並べると、こうなる。

  健康寿命/平均寿命
男  71歳 / 80歳
女  74歳 / 87歳

 つまり、死ぬ前に、男は10年、女は12年程度、医療や介護のお世話になる期間があることが見込まれる。そして、他人のお世話にならないと生きていけない10年をどうとらえるかが、死に方・死に時を考える入口となる。

 その10年は、誰かにオムツを替えてもらう10年か、恍惚の人となり家族に見放される10年か、ベッドに縛り付けられて「やめてくれ」と意思表示もままならない10年か、あるいはその全てか、さまざまな可能性に満ちている。

 現役の高齢者になると、ピンコロを願うという。ピンコロとは、直前までピンピンしており、ある日、苦しむことなくコロリと死ぬ「ピンピンコロリ」の略である。「ぽっくり逝く」の現代版みたいだが、節子、それ突然死や。お別れも未練もなく断ち切られる人生である。良し悪しともかく、そういう死に方ができる人は5%だという。

                                      
「できる限りのことをしてください」

 本書によると、自然死というのは、一種の餓死になる。老衰や病気で身体機能が落ちてくると、人は自然とものを食べなくなり、枯れるように死んでいく。理想的な死の一つだが、病院ではなかなかそうさせてくれない。

 なぜか?

 まず、病院側の事情がある。病院に担ぎ込まれたのであれば、治療せねばならぬ。自力で飲食できなくても、チューブにつながれ、無理やりにでも水分や栄養分を補給する必要がある。そして、家族が「できるだけのことをしてあげてください」と言うならば、できる限りの治療を施すことになる。

 そして、人工呼吸や胃ろうなど、延命治療を始めたならば、それをやめるのは難しい。訴訟リスクがあるからだ。本人が、文字通り「必死に」なって、家に帰る、死なせてくれと訴えても、家族や周りの人が、最後まで頑張って、可能な限りの治療をと言うならば、医師は後者に従ってしまう。

 家で死にたい親と、家で死なせたくない家族。この状態になると、いつ死ぬかは分からない。延命技術は日々進展しており、「死なせないため」なら、本人の意思はともかく、寝たきりの状態をできるだけ長く続けることができるから。

 結果、死亡前1年間にかかる1人あたり医療費は膨れ上がり、平均でも300万円弱かかっているという。手厚い延命治療を施した場合、1,100万円になる。「終末医療をカネで測るのは筋悪」という議論があるが、事実だけは確認したい。

300万の出典は、(本書によると)以下の通り。『高齢者の医療の~』を参照してみよう。
『高齢者の医療の確保に関する法律の解説』土佐和男・法研2008年
「終末医療の動向」日本医師会雑誌113巻12号
「東京都老人医療センターにおける終末医療費の解析」[参考]

1,100万は、『医師の一分』で見かけた。出典を確かめてみよう。

「良い死」とは

 ではどうすれば「良い死」を迎えられるか?

 これは、多くの人の死を見てきた医師に聞くのが手っ取り早い。つまり、「自分なら」どんな終末期医療を望むか、と医師に尋ねるのである。[良い死、悪い死、普通の死]でも考察したが、「良い死」として医者がすすめる死に方は、当の医者が患者に施している方法と、全く異なる。つまり、医者は、自分にしてほしくない医療を、患者に対して行っているのだ。

  • ほぼ全員が事前指示書を所持
  • 大多数の医者は、心肺蘇生、透析、大手術、胃ろうを希望しなかった
  • 全員が鎮痛薬、麻酔薬を希望

 この技は、自分や家族について医師と相談する際にも使える。ある治療や処置を施すかどうかについて、医師から判断を求められたとき、「先生ご自身がこうなられたら、どういう処置を望みますか」と聞くのだ(家族の場合なら「先生のお母さまが~」と置き換えればよい)。

 また、事前指示書については、たとえば東京駅の近くの京橋公証役場で、「尊厳死宣言公正証書」が作成できる(1万1千円とのこと)。証書を作るだけでなく、延命措置を打ち切る医師のリスクを下げる方法について聞いてみよう(この情報、週刊ポストで知ったのだが、時代だな……)。

                                              
 あるいは、本書によると、少なからずの医師が、「死ぬなら癌がいい」と公言しているという。理由としては、余命宣告されてから死ぬまでに動ける時間があること、残務整理やお世話になった人へのお礼の言葉を伝えられることが挙げられる。

 しかし、これは表向きで、一番は「確実に死ねる」ことにある。ある年齢以上になった場合、一年ぐらいで確実に死ねる死は、実は歓迎するべきものなのでは―――という意見もある(丸山理一「死について」日本医事新報1991年1月26日号)。これを書いた丸山医師は、自分で胃がんを診断してから「治療はしない」と決断し、9か月後に亡くなったという。63歳だった。

 死に方について、医療関係者や宗教関係者によって書かれる本は多い。だが、本書はどちらの立場でもない。認知症になった親の介護に苦労して、金も時間も使い果たした末に掴んだ介護保険や介護施設の裏事情が書いてある。

 生々しい話や、壮絶なものもある。「お金はないが、楽な死に方としての凍死」も提案されている。カネがあれば幸せな死が迎えられるかというと、そうでもない。社会が変わるのに時間がかかる。その前に、わたしの死がやってくるだろう。願わくば安らかな最期だが、願うだけでなく、できる準備はしておく。 最後は……どうか、幸せな記憶を。

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