コロナ禍の2020年に安倍晋三首相(当時)が打ち出した「アベノマスク」。この事業に関連する行政文書が4月に開示され、国と元請け業者が契約した単価が、業者や時期によって違いがあることがわかった。一方、文書からは見えてこない下請け業者の厳しい状況が、当時、仕事を請け負った零細企業の経営者の話から見えてきた。コロナ禍で仕事が減るなか、儲けが出ないような額で受注せざるを得なかったという。

 新型コロナの感染拡大でマスク不足が深刻になっていた当時、安倍首相がとった施策は、全国民に布製マスク2枚を配布するというものだった。

 この事業について、神戸学院大の上脇博之教授は2020年4〜7月に、厚生労働相と文部科学相に、マスクの契約や発注、回収などについて、業者との間でやり取りした内容を記録した文書の開示を請求した。

 しかし、国は単価や発注枚数の部分を「黒塗り」で出してきたため、上脇教授は不開示決定の取り消しを求める訴訟を2020年9月に大阪地裁に起こした。国は当初、文書が存在しないといった理由で開示していなかったが、その後、関係するメールなどが見つかったことが明らかになった。地裁は今年2月、国に対し、文書を開示するよう命じる判決を言い渡し、確定した。

 4月24日に上脇教授に開示された業者ごとの契約単価と枚数などが書かれた資料を見ると、厚労省と文科省が業者17社と計32件の随意契約を結び、約3億1800万枚を約443億円で調達していた。

 単価は業者や発注時期によってばらつきがあり、税抜きで1枚当たり62・6〜150円と2倍以上の開きがあった。

 これが製造現場に仕事が発注されるときには、さらに大きな開きが出ているケースがあった。

 AERAdotは、アベノマスクの製造を請け負った岐阜県の零細企業の経営者Aさんに話を聞いた。

 開示された文書に書かれた、国が発注した単価などの額を確認したAさんは、

「うちの単価は1枚40円あるかないかだったかな。この数字を見ると、腹が立つのを通り越してがく然とするばかりです」

 と語った。

 元請けとなるX社が国と契約し、それが岐阜県の卸業者を通じてAさんの会社に話があったのは2020年4〜5月。アベノマスクの仕様書を受け取ったときのことを、Aさんは今も鮮明に記憶している。

「布製のマスクで、1枚の大きなガーゼを繰り返し折り畳み、15層に仕上げる。マスクの大きさ、耳にかかるひもの長さなど、ズレは2ミリまでしか許容しないといった内容でした。1週間から10日で何万枚もやってくれという。うちの規模では厳しかったけど、コロナ禍で仕事がない時期。とにかく請けるしかありませんでした」

 だが、単価が1枚40円あるかないかでは採算がとれないため、値段の交渉をしようとしたという。

「生産者を無視している値段ではないのかと思って、せめて70円、無理なら60円でと頼みましたが、『とにかく急いで』『時間がない』といった話で結局変わらず。発注元は政府から仕事を受けている大手企業でしょう。しつこく『アップを』と言えば、卸業者からブラックリストに載せられて仕事がこなくなります。うちのような10人ほどの零細企業は、『指示通り』『言いなり』で仕事をするしかありませんでした」

 受注後は納期に間に合わせるため社長のAさんも加わり、毎日朝6時から夜11時まで作業が続いた。大きなガーゼを折り込んで、ひもをかけていく単純な作業が延々と続き、夕方になると配送業者が製品をトラックで卸業者に運んでいく。短期間での大量の手作業。「糸くずが検品で発見された」などと叱責(しっせき)されたこともあったという。

 Aさんの会社では1カ月弱、めまぐるしい日々が続いた。

「仕事をしていたスタッフのなかには外国人の研修生もいました。睡眠時間も3〜4時間で倒れそうになりながら、コロナ禍でいつ感染するかもわからないなか、マスクをひたすら作り続けました。その後、コロナに感染して重症になったり、過労で長期間休んだりしたスタッフがいます」

 Aさんはそう振り返り、こう訴えた。

「こうして単価がわかり、悲しいのひとことです。コロナ禍でマスク不足のなか、アベノマスクは必要だったのかもしれません。けれど、それを末端で製造している現場がどんな厳しい状況のなか、どんな条件で仕事をしていたのかを政府には知ってほしかった」

 一方で、Aさんに仕事を発注していた卸業者のB社。

 コロナ禍前の2019年、民間調査会社の調べでは約6億円の売り上げがある。アベノマスクの製造を国の契約業者から大量に受注したのは2020〜21年。21年度の決算では売り上げが13億円を超えていた。

「国はどうして生産者にもきちんと労働に見合った報酬を払うような仕組みにしてくれなかったのか」

 とAさんは嘆く。

 また、アベノマスクの検品を1枚1円で受けたという別の業者も、

「あまりの低さに絶句したけど、コロナで仕事の発注がないので飛びつくしかなかった。国からの単価が1枚130円とか150円の単価なら、10円はこっちにまわせたはず」

 と激しく憤っていた。

 上脇教授は、

「アベノマスクの単価は、本来隠す必要がないものです。裁判はしない、単価も出さない、というのはアベノマスク事業がそれだけずさんで役に立たない事業だったのではないでしょうか。さすがに裁判所も国の隠蔽(いんぺい)体質はNOだと判断した結果の開示だと思います。アベノマスクは国民からの評判もよくなかったし、効果についての評価も高くはなかった」

 と説明した上でこう指摘する。

「製造現場には十分な金額で発注されず、弱い立場にしわ寄せがいくということは、国と直接契約できた大きな会社だけが守られ、潤ったことになります。アベノマスクは国民のプラスにはなっていません」

(AERA dot.編集部 今西憲之)