つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

津幡に別れの夏、到来。

2011年07月09日 20時02分03秒 | 日記
気象庁は本日2011年7月9日午前、九州北部、関東甲信、北陸の各地方で
梅雨明けしたとみられると発表した。
北陸の梅雨明け宣言は、前年より8日、平年と比べ15日早い。
1951年の統計開始以降、3位タイのスピード出梅だった。

「今日の一枚」は、先ほど夕方の散歩にて撮影した、バイパスの風景。
やはり空が高く青い。
陽ざしも強く、ジリジリと肌を刺す。
夏空がやって来た。

そして同じ日の未明…日本時間:7月9日午前0時29分、
最期のシャトルが打ち上げられた。
打ち上げの度、本体の殆どを消費してしまう多段式ロケットと違い、
何度も宇宙と地上を行き来する
“再使用可能ロケット”として開発されたスペースシャトル。
これまでに、日本人7人を含む350人以上の宇宙飛行士が搭乗。
30年間に渡り担ってきた、宇宙開発の主役の座を降りる事になる。

その処女飛行は…誰もが「ルビーの指輪」を口ずみ、「なめ猫」がヒットし、
沖縄で発見された「ヤンバルクイナ」が話題を集めた1981年の4月。
帰還は、確か夜の遅い時間だったように記憶している。
遠い空に現れたずんぐりとした機体が徐々に大きくなり、
滑走路に滑り込んでタッチダウン。
船尾からパラシュートを開いてブレーキをかけ、無事に到着した瞬間を
僕は、ブラウン管の前で固唾を飲んで見守った。
宇宙に新しい時代を切り拓いた「コロンビア号」の勇姿は、今もよく覚えている。
1986年にはチャレンジャー号。
2003年にはシャトル計画に先鞭を付けたコロンビア号が事故を起こし、
犠牲を出した不幸な歴史もあった。
しかし、果たした功績は間違いなく大きい。

宇宙開発の方針転換により退役する“空飛ぶレンガ”へ。
ありがとう。
さようなら。
 
コメント
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