梅様のその日暮らし日記

その日その日感じた事や世間で話題の事について自分なりの感想や考えを書いていきます。

日本の教育が憲法違反であることについて

2016-05-27 17:26:17 | 日記
   書いている内に長くなってしまいましたので、続編あり、です。

   とある雑誌を読んでいたら、毎号巻頭を飾るコラムの一つに、元大阪大学教授という方が書いていました。職を離れて昼間に体を動かすことが少なくなり、熟睡出来なくなってしまったのかもしれないと前置きしつつ、近年は夢を見ることが多くなり、内容は学校についての過去の夢だと書いています。こういうことは私だけではないのだな、と納得し、安心もしまいました。一方で、退職後間もなく亡くなる同業の先輩方を身近に見て来た身としては、今のところ衰えてはいるものの、未だ命まで失うに至ってはいないわが身を、少しだけ誉めてやろうと思いました

   「今の学校はすべて憲法違反を犯していないか?」と言ったら、暴論になるでしょうか。しかし定年まで教職を勤め上げた私が、現役時代から抱いていた疑問に表題をつけるとしたら、これ以外の表現を思いつきません。

   戦後70年を経て、日本の学校教育もいくつかの紆余曲折を経て来ましたが、根本的には戦前のものをそのまま引き継いでおり、あまり変更が加えられていないのではないかと思います。都立で言えば名門日比谷高校は、東京府立第一中学です。隅田川高校は第七中学、私が在籍していたことのある江戸川高校は、第16中学であったと記憶しています。

   現在に至るまで、そこそこの進学校は、全て旧制中学の流れを引くものです。こうした中学から旧制高校へ進むと、世間からは国を背負うエリートの卵として一目置かれ、「学生さん」と、尊敬の気持ちを込めて呼ばれることになります。

   ではそれ以外の、戦後の新設中学はと言えば、人口増や進学志望者の増加に伴って次々と開設されてきたものですが、それでも旧制中学の教育内容をそのまま引き継いでいるという側面があります。教科書の選定等、旧・旧制中学と完全な新制中学の間には特に差がありません。しかし、旧制中学は、現在の大学よりもはるかに数が少なかった旧制高校へ進むための学校であり、その授業内容は、優秀なエリートを対象としたものでした。

   旧制中学に進んだ生徒たちは、それぞれ自我が確立し、エリートとしての矜持をしっかりと持った若者たちでしたから、教師たちが管理せずとも、自覚を持って勉学に励んだものです。新制中学に切り替わっても、その校風は長く維持され、U野高校などは、難しい数学の授業中、将棋を指したり、弁当を食べたりしていても、注意されることはなかったそうです。なぜなら彼らはここぞと思う場面では瞬間的に態度を切り替え、集中して先生の説明を聞き、板書を書き写すという芸当ができたからです。弁当を食おうが将棋を指そうが、実は授業をちゃんと聞いているという優秀な生徒たちばかりだったのです。

   ただし、時代が移り、エリートというには遠い子供たちも高校に進学するようになって、さしたる気概を持たない幼稚な生徒たちであふれるようになると、さしものU野高校も、ただだらしないだけの高校に過ぎないという評価を受けるようになりました。一度評価が下がれば、そのレベルに見合った生徒が集まってきてしまうので、立て直すことは不可能に近いと言って差支えないと思います。

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