梅様のその日暮らし日記

その日その日感じた事や世間で話題の事について自分なりの感想や考えを書いていきます。

「武漢・三峡ダム5日間」⑬

2016-05-15 13:57:29 | 日記


   そうこうしている内に船は出発、鏡のように静かな長江を遡って行きます。どこまでもゆったりとした流れを、三峡ダムに向けて進んでいくのです。川面はまるで湖のように静かです。出発して間もなくは、高層アパートが立ち並ぶなど、いかにも現代的な風景が両岸に広がっています。
 
   このあたりはかなり透明度も高く、水はきれいです。右岸を見ると、川で洗濯をする女性の横に、海水パンツ姿の男たちが並んでいます。これから長江で水泳を楽しもうというのです。中国の川での水泳など思ってもみませんでしたが、確かにこの水質なら問題はないでしょう。やがて彼らは大きなブイを引っ張りながら泳ぎ始めました。何しろ川幅が広く、水深もこの辺りで40メートル以上あるので、安全を考えてのことでしょう。

   一階ホールの中では、私と隣席の男性の会話が弾みます。風情といい、中国語がぺらぺらであることといい、私の目には日本人には見えないのですが、一応日本名を名乗っていました。もしかしたら奥さんの姓を名乗っているのかもしれません。彼は徐福研究会というものに所属しているとの話で、日本における徐福について研究しているとのことです。

   念のため徐福について説明しておくと、秦の始皇帝が中国を統一した後、始皇帝に言い寄って資金を提供させ、5,000人の童女を引き連れて蓬莱に渡ったと言われる道士です。西日本には徐福の墓が確か二か所にあるはずです。青森県にはキリストの墓があるくらいですから、(この目で確認済み)どこまで本当のことなのかはわかりませんが、何となく徐福がやって来たことは間違いなのではないかと思います。卑弥呼の時代より400年も昔のことです。

   彼の言うには、神武天皇とは徐福のことであるとのこと。私が先月読んだ本の著者の説では神武天皇は高句麗王の弟であるとしており、何しろ大昔の事で確たる証拠も無いので、皆さんがそれぞれの立場で自由な説を述べる権利があります。

   徐福自体、一体どの程度の現代日本人が知っている人名なのか、その時点で既にかなり危ういものですから、彼も日常、やたらな人にこの話をしていることはないと思われます。たまたま私に予備知識があり、興味深く傾聴したので、存分に話を展開してくれたのでしょう。7月6日に神奈川文化センターで徐福研究会フォーラムが開催されるという予定を教えてくれました。その日まで覚えていられたら、少々遠くはありますが、行ってみても良いかなと思っています。

   蛇足ながら、日本の前方後円墳や方墳の作りは、高句麗の古墳と同じ形式です。城東時代に大先生と共に現地で確かめて来ました。神武天皇が高句麗王の弟であるかは別として、初期の天皇家と高句麗のつながりは否定できないように見えます。これに対して新羅の古墳は全てただの丸い土饅頭なのです。これもこの目で確認してあります。