梅様のその日暮らし日記

その日その日感じた事や世間で話題の事について自分なりの感想や考えを書いていきます。

「武漢・三峡ダム5日間」⑧

2016-05-10 15:51:56 | 日記


   本日は7:00朝食、8:30出発というゆるやかなスケジュール。まずは荊州古城へと向かいます。荊州自体は歴史が古いのですが、城壁は明の時代の物。万里の長城も、観光スポットとなっているのは明の時代のものです。城壁への入り口付近では、地元のおばさんが必死になって甘栗を旅行客に売りつけようとしています。見たところ、親指の先ほどの小さな栗で、一握りほどの量が10元。値段が高すぎます。

   城壁の上に戻ると、例の巨大な関羽像が遠くにかすんで見えます。城壁の上に登って、ガイドが魏延の像を前に、ひとしきり魏延弁護論をぶち上げます。魏延といえば、三国志の中では、諸葛孔明亡き後主役に躍り出ようとして、公明が密かにその下に送り込んでいた馬岱によって切り捨てられて、あえない最後を遂げた人物として悪名を残していますが、実際のところは公明と相性が悪くて冷遇され、実力を封じられていたというのが本当のところのようでもあります。ガイドがなぜ魏延に肩入れするのかは今一つピントこないところもあるのですが。

   楼門の中にささやかな土産物屋があり、不愛想なおじさんが店番をしていました。私はそこで「史記」上下巻と孫子の「三十六計」を開いてみたところ、辞書を引けば読めると判断したのでこの2冊を購入。中を見たら、2003年発行とありましたが、そもそもが大昔の書物ですから、発行が13年前位の事は、どうということはありません。三冊合計100元。このツアーで最高額の買い物となりました。

   中国もゴールデン・ウイークの真っ最中と会って、半端な人出ではありません。考えてみれば、4月28日に出発すれば当然ゴールデン・ウイークにぶち当たるわけで、何の不思議もないわけですが、武漢・成田線就航第一便という謳い文句に惹かれて、そんなことはついぞ念頭にありませんでした。そんなわけで、バスも近い所に停車していることが出来ず、川を渡った反対側を15分ほどあるいてようやくバスにたどりつく有様でした。

   炎天下を歩いたので、バスに乗り込むと冷房がとてもありがたく感じられます。そして次の目的地に向かって発車した途端、ガイドのスマホの着信音が鳴り響きました。曰く、2号車の客が一人行方不明になっているという話です。1号車、つまり私たちのバスの女性達が、その人は自分たちの後に最後にトイレに入ったので、中にいる内に置いて来てしまったのではないかと言いだしました。ガイドがその情報を2号車の女性ガイドに伝えます。かわいそうな2号車のガイドは、もう一度トイレまで戻り、往復30分と費やして、置いてきぼりを食らった女性を見つけたのでした。

   置いてきぼりを食らった女性は迷子になった時の鉄則通り、トイレの前を一歩たりとも動かず、ガイドが救援に駆けつけるのを待っていたそうです。その間、1号車は徐行運転でゆっくりと移動していました。この時点では、ドジな人!という程度の認識だったのですが、やがて皆さんの気持ちは怒りへと転じていきます。それは口述することにします。次の目的地は、劉備陣営第一の武将である関羽を祭った関帝廟です。関帝廟に到着してみると、どこを通ってやって来たのか、2号車が既に先に到着していたから不思議です。