梅様のその日暮らし日記

その日その日感じた事や世間で話題の事について自分なりの感想や考えを書いていきます。

昨日考えたこと

2016-05-25 10:41:20 | 日記
今日は中身が抽象的で堅苦しくてつまらない上、以前にも取り上げた話です。パスして下さって構いません。どちらかというと自分の気持ちの整理が目的で書いたようなところがあります。

   昨日は中国語仲間と六本木で中華料理を囲んだ宴会が行われました。和気あいあいとした中で歓談が進みます。しかし話が微妙な世界に入って来ると、和やかな中にも微妙が揺らぎが顔を覗かせてしまいます。

   私の書斎の本棚には、英語教師の前歴を窺わせるものはほとんどなく、ほとんどが中国や韓国、太平洋戦争をからめた米国に関する書籍ばかりが並んでいます。そんなわけで、太平洋戦争(これはアメリカが無理やり押し付けた言い方で、イギリスではこう言いません。)や日中戦争にからんだ話が出てくると、読みまくった様々な本から自分なりに構築した理屈が頭をもたげて来ます。

   こんな時真っ先に感じるのは、ネット上でもいろいろな人と意見を交換し、より矛盾の少ない説明へと落ち着いて来た見方が、一般の人たちには全くと言って良いほど理解されないという悲しさです。誰しもが、自分が持っている知識の中でしか正邪の判定をすることができない以上、しかたのない事ではありますが、さしたる知識も無いまま既存の常識から一歩も出られないばかりか、それが正しいと信じている人たちを見ているのはつらい事でもあります。

   一番困るのは、既に既成観念で頭が完全に固められてしまい、私のような人間が何を言っても、固まった頭の中にまで入って知識の再構築をしてもらうことが不可能に近いということです。このままではいずれ日本が中国の意のままに操られてしまうことは明らかであり、下手をすれば韓国にも同じような目に合わされることが懸念されます。

   たとえば、現行の修学旅行というものがどれだけ日本人の思想を間違った方向に導く要素となっているかということを説明しても、理解は全く得られないのが情けないこと限りなし、です。広島や長崎や沖縄に行くことを否定はしませんが、日本が戦争を仕掛けたのだから、自分たちが被爆者たちに謝罪しなければならないかのような流れで行われるのが普通であり、なぜ開戦に至ったか、アメリカの行為はただの大量虐殺に過ぎず、国際法にも違反するといった話は一切されません。核を使用してはならない最大の理由は、大量の犠牲者が出てしまうことは元より、そもそもこれが国際法違反に当たるものだからです。東京大空襲が、爆弾の数こそ違え、広島長崎と全く同じことであることも、あまり理解してもらえそうにありません。

   そして、もう話しても無駄だと感じて私が口を閉ざすことにした理由、それは、綿人は異なる立場の人たちというのは、事実に基づいた冷静な判断をしているのではなく、思い込み、先入観といったものに縛られていて、彼らに事実をつきつけても意味がないということを知ったからでした。何しろ、韓国へ行く修学旅行では生徒たちが慰安婦問題で地面に正座して頭を下げることを強いるという日程が存在することを伝えても、誰一人として表情を変える人がいません。

   私は38年間の教師生活において、12回の担任をしています。その間に、個々の修学旅行というものがどういう経緯で立案されるのかということもつぶさに見て来ましたし、他県の高校の行き過ぎた平和教育についても知ることとなりました。しかし、そうした事実を教えてあげたところで、結局はそんなことはない「はずだ」で整理してしまおうとするのが多くの人の立場でした。

   現在でも多くの人たちが、過去や現在の問題に関して、事実に基づいた提起をしているのですが、それが一向に世間に知られていかないのは、とても不思議な事です。マスコミが在日韓国人に押さえられていることも一因ですが、多くの日本人が事なかれ主義に陥り、無意識の内に大切な問題を「流す」ことに慣れきってしまったこと、言い換えれば、日本人をその方向に持って行こうとする見えない力が、その目的を達成してしまっていることが原因だとは思いますが、そんな安楽さに浸り切ってしまったら近い将来どうなるか、誰も懸念していないところに末恐ろしさを感じます。