梅様のその日暮らし日記

その日その日感じた事や世間で話題の事について自分なりの感想や考えを書いていきます。

「武漢・三峡ダム5日間」⑳

2016-05-22 13:54:28 | 日記
   「ようやく終わってくれたか・・・。」とお思いになっていらっしゃった方もおありとは思いますが、私の方のメモ帳にはまだ数ページ書き込みが残っております。

    見晴らし台から見た三峡ダム。東京の荒川沿いの大堤防を見慣れた私の目には、この角度から見た三峡ダムには何の感慨もありません。風景としても面白みが欠け、これ見るために丸一日かけ、夜中にホテルに到着するという強行軍を行ったのかと思うと、少しばかり悲しくなってしまいます。

   バスが出発、長江に架かる橋の上から川面を見下ろせば、昨日とは打って変わって茶色く変色しています。どうやら昨夜上流で雨が降ったようです。それにしても江南の風景は、適度な湿り気を帯びていて、人間的です。北京のような乾ききった空気とは全く違います。華北ではなく江南に首都があったなら、中国政府ももう少し潤いのある国造りをしていたのではないかと思えるほどです。私は100対0で江南の方を好みます。

   空港へと向かうバスの中、ガイドがひとしきり政府批判を繰り広げます。もはや飛行機に乗るだけの乗客が相手なので、心おきなく安心して本音が言えるのかもしれません。ちなみに、こんな風に政府批判をするのは、男性ガイドだけです。女性ガイドが政府批判をするのは聞いたことがありません。もしかしたら、女性ガイドの方が本来の職務に忠実なのかもしれません。更に言うなら、韓国のツアーでガイドが政府批判をするのは一度も聞いたことがありません。無形の言論弾圧は、実は韓国の方が強いのです。

   空港へ無事到着。飛行機までは100メートルしか離れていないのですが、リムジンバスで移動します。ガイドが独断でホテル出発を速めたおかげで、慌てることなく、しかし暇を持て余すこともなく、じつにスムーズに搭乗にこぎつけました。

   9:15離陸予定の所、9:00には全員搭乗を済ませてしまい、ドアががっちりと閉められ、いつでも離陸可能な状態になりました。しかし・・・・・。一向に滑走路に向かう気配がありません。私の中に嫌な予感が走ります。こんなケースで、待機時間があまりにも長かったために燃料が足りなくなって、離陸できなくなってしまったケースがあることを知っているからです。機長の説明によれば、上海周辺の上空が大変込み合っており、そこが一段落するまで安全のため離陸を見合わせるという話でした。まだ機が離陸もしない内から、頻尿気味の大勢の老人たちが、とっかえひっかえトイレに向かっていました。

   ピクリともせず待機すること45分が経過。CA達がにこやかな笑顔で水とチョコレートを配って歩きます。黙って座っているとストレスが溜まって文句の一つも言いたくなりますが、甘いものを口に放り込んでおけば、しばらくは持ちます。なるほど、と感心した私でした。

「武漢・三峡ダム5日間」⑲

2016-05-21 14:38:07 | 日記
   写真は長江の悠久の流れと、のんびりと釣り糸を垂れる住民の姿です。と言いたいのですが、やはり解像度の関係で掲載できません。残念。

   ホテル到着は夜中の11時。ゴールデンウイークの混雑と単独行動趣味の女性のおかげでとんでもなく遅くなりました。これよりひどいのは、大先生が組んだ中国ツアーで、ある日とうとう目的地まで到着することが出来ず、真夜中に飛び込みで軍経営のユースホステルに宿泊した時くらい。(中国の軍隊は副業もやっています。時には軍艦で自動車を密輸したり・・・。)

   寝酒を喉に放り込んでガッと寝たいところですが、ホテルから最寄りのコンビニまで300メートルくらいあります。このコンビニに行って帰るのと同じ時間で眠れるだろうと、寝酒はあきらめ、お茶でも飲むことにしました。お湯を沸かすポットに水を入れ、コンセントにコードを差し込んでスイッチを入れると・・・うんともすんとも言いません。バスタブが無かったり冷蔵庫が無くても文句は言いませんが、お湯が沸かせないとなったら話が違うぞ!と怒りがふつふつと湧いてきます。

   しかしここは中国です。何があるかわかりません。そこで周囲をじっくりと眺め回すと、ありました!ありました! 何でしょう、このくだらないまでに丁寧な作りは。コンセントの横に更にスイッチがあるではありませんか。さては?とそのスイッチを入れると、ポットの赤ランプが灯り、ごぼごぼとお湯が沸き始めました。このスイッチを一体どういうつもりでつけたのか、全く意味が分かりません。ドアを開けると更にもう一枚ドアがあるようなものではありませんか。

   深夜到着とはいえ、明朝は6:45ホテル発、9:15の便で帰国予定ですが、正味3日間のこのツアー、炎天下で焼き尽くされるかバスに乗っているか、この二つしか体験できない旅となりました。更にガイドの発案で、ホテル発は15分繰り上げ、6:30発ということになりました。

   最終日の朝、気が付くと私は日程表のページを見間違え、本日の時程ではなく、昨日の朝の時程で行動していました。出発に遅れるようなドジは踏まなかったのですが、お陰で朝食を食いっぱぐれてしまいました。しかし集合時間には問題なく登場したので、一見何のミスもしたようには見えなかったはずです。まあ、早朝から無理して食事をとらなくとも、空港についてからゆっくり食べれば良いのですから、慌てることはありません。

   それにしても、スマホやスーツケースの鍵や自宅の鍵を無くすなど、今回のツアーは凡ミスが目立ちます。私は睡眠不足に恐ろしく弱いので(夜更かしできたら東大に入れたと今でも信じている位)、全てはそのせいだと信じているのですが、万一これが痴呆の始まりだとしたら今回のツアーは悲劇の序章だったということになります。もはやそうでないことを祈るしかありません。起きてしまったことは仕方ないので、次回のツアーで確かめようと思います。次回のツアーでは、武漢発が7:30、今回よりも1時間45分も早いのです。

   ホテルを正に出発せんとするバス。横を地元の中国人たちが通ります。昔ながらのよく日焼けした深いしわの刻まれたおばさん。ポニーテールに真っ白なノー・スリーブのブラウス、ぴちっとしたパンツ・ルックのりりしい娘。大通りのど真ん中を、手押し車を悠然と押しながら歩いて行く男、音も無く背後から迫る電動バイク。こうした風景ともしばしのお別れです。

「武漢・三峡ダム5日間」⑱

2016-05-20 16:16:59 | 日記
   長い長いエスカレーターを乗り継いで高台へと上り詰めると、上は予想にたがわぬ大賑わい、気をつけないと人と人とが衝突してしまいそうです。到着したところで、二号車担当の女性ガイドが、一旦解散、15分後にここで集合を宣言しますが、一号車の責任ガイドがあわてて訂正に入ります。稀にみる混雑ぶりである上に、既に何回か迷子が出た前科があります。ガイドにしてみれば、限られた時間の中で、これ以上ロスタイムを生じたくないのは当然です。私たちは一号車のガイドの後をついて、三峡ダムが見える場所へ向かいました。

   音に聞く三峡ダム、日本の山間にあるダムとは違い、幅が広いので、高さが少しも感じられません。また、日本のようにアーチ形をせず直線的な作りになっているので、無機質で味がありません。赤壁と三峡ダムが今回の目玉であったと思われますが、赤壁同様、ダムもまた、関心も感動も与えてはくれませんでした。

   そしてここでもまた、荊州城で迷子になったあの女性が、再び行方不明になってしまいました。彼女は二号車のグループで、一号車の我々としてはもう置いて行ってしまいたいくらいなのですが、本人はもう手慣れたもので、他のツアーのガイドにこちらのガイドの電話番号を示して連絡を取ってもらい、こちらからガイドが迎えに行かされていました。私の考えでは、彼女が行方不明になるのは常習的なやり口らしく思われました。どうやら、勝手な行動をとってはその都度ガイドにしりぬぐいをしてもらっているように見えるのです。

私も海外は80回くらい出掛けていますが、こんな人は初めてです。皆さんも同じ気持ちらしく、彼女待ちをしながら、「あの人絶対謝らないよ。」などと陰口が聞こえて来ます。中には、「あの人謝りっこないから私が代わりに謝ります。」とまで言う人も出る始末。こんな困ったちゃんには、団体旅行に参加する資格など無いのですが、彼女の方は団体旅行だからこそこの裏技が使えるわけで、永遠に他人に迷惑を掛け、スケジュールを変更させ続けるのではないかと思います。このせいだけではありませんが、この後、本日立ち寄る予定だった黄鶴楼には、結局立ち寄る時間が無いことになります。

三峡ダムの後は取りあえず夕食。頻尿を嘆いていたお爺さんはここでもまたビールをぐびぐび飲み、それでもまだ足りないのか、コーラを飲み干していました。私にはこの大胆さがうらやましくさえ感じられます。

夕食後、バスは一路武漢へと戻ります。これから300kmの陸路となります。明日は9:15発の便で発つため、朝に余裕がありません。最後までハードな日程となっています。ガイドが指さす方向に、暗闇の中に真黒なシルエットと化した黄鶴楼を横目に、バスは高速道路をひた走ります。平行する一般道路はと見れば、見事なまでの数珠つなぎ、車はピクリとも動いていません。私も途中で力尽き、いつの間にか深い眠りに落ちていました。

「武漢・三峡ダム5日間」⑰

2016-05-19 14:33:16 | 日記
   終点の船着き場に到着してからも、簡単には下船できません。既に何度も一時的に迷子が出ているので、ガイドも必死です。市街地ならともかく、こんなところで迷子になられたら、目も当てられません。船内放送のマイクを握り、日本語でまだ絶対に下船しないように、最後に指示に従ってまとまって下船するようにと、繰り返し放送します。

   三峡ダムに向かう前に、まずは昼食です。しかしバスには乗ったものの、道路の込み具合が半端ではありません。車が多い上に片側一車線しかないところへ大型バスが駐車していたりするので、簡単には前に進むことが出来ません。かと思うと、停車しているバスの尾部と私たちが乗るバスの前部の間に斜めに突っ込んできた乗用車があったりして、更に状況は困難を極めます。地面を這って行っても同じくらいの時間で着けそうな位のスピードでしか進まないバス。ようやく目指すレストランに到着したと思ったら、そこは私たちが乗車した地点から200メートルも離れていない近場だったのでした。

   昼食そのものはまあまあと言って良いでしょう。川魚の小魚も、フライになっているので、独特の泥臭さが消えて、おいしくなっています。しかし見ていると、先日出発時にいったん乗ったバスをまた降りてトイレに行き直していた頻尿のお爺さんが、しっかりとビールを注文して、おいしそうに飲んでいます。以前、絶対にバスが止まれない区間で尿意が限界に達してひどい目に会ったと漏らしていたのに、このゆとりは何なのでしょう。もちろん私は飲みません。自分が恥をかくのは良いとしても、皆さんにご迷惑をおかけしてしまいます。飲みたくなる気持ちは分かります。とにかく真夏日なのです。暑いのです。

   昼食の次はいよいよ三峡ダムです。ダム見学のための入り口自体が、既に大きなビルディングとなっています。ゴールデンウイークの人出のため、ガイドが必死でハンドマイクで叫んでいるものの、まったく声が聞こえません。やっとのことで入り口を過ぎると、これまたダム近くまではバス移動。ガイドが気を利かせて、私たちが全員一台のバスに一緒に乗れるように交渉してくれたのですが、中国人の若者が何事もなかったかのように、私たちの列の先頭に割り込んできます。彼らには悪意のかけらも無く、普段通りに行動しているだけなのですが、それだけに中国人の民度の低さを露呈されたようで、情けなくなります。

   気温は既に30℃、快晴。ダムに向かう途中、前方から職員と思しき男性が、両腕でバツ印を作りながら走って来ます。どうやら既に駐車場が満杯となっており、途中で交通をいったん止めておこうという指示のようです。しかし、私たちの横を乗用車が何事もないかのように追い抜きをかけていきます。さすがにこれは職員に停止させられていました。どうせならバス乗り場と連絡を取り合って、バスの発車そのものを遅らせれば良いと思うのですが、バスはバス、駐車場は駐車場で、横の連絡はないものと見えます。

   駐車場から三峡ダムまでは、長いエスカレーターを乗り継いで上って行きます。もちろん下りエスカレーターは無く、上りだけです。

「武漢・三峡ダム5日間」⑯

2016-05-18 14:39:42 | 日記
   1枚目の写真は、一生懸命お仕事に励む女性と、そんなことにはお構いなく舞台を我が物顔に動き回る子供たちの後姿です。小さい方の子のズボンを良くご覧になると、お尻の所が縫い合わされておらず、ぱっくりと空いていることがわかります。この子がしゃがみ込んで可愛いお尻がのぞいている写真もあるのですが、一応掲載は見合わせておきました。

   2枚目の写真は、高台に建つ地元民の昔からの家屋です。明らかに南方の香りがします。今から2,500年前、春秋戦国時代にはこの辺りにまで野生の像が生息していたのですから、この地域の人々が南方系の民族であってもおかしいことはありません。

   なのですが、またしても写真尾解像度が高すぎて受け付けてくれません。この後しばらくして気づき、解像度を下げて撮影しているのですが、この時点ではまだ気が付いていなかったのです。

   舞台にはまた別の女性が登場し、次に行われる余興的な出し物の紹介を始めます。この女性が姿を見せる前に、売店にいた女性従業員たちが一斉に舞台裏に駆け込んで行ったので、次の出し物はこの従業員たちが衣装替えして登場することが予想されました。

   まずは一人で登場した女の子、16歳くらいでしょうか、緊張していることがありありとうかがえます。どうやら嫁入りの日を想定した踊りのようです。嫁入り支度をするシーンで、後から加わった女性二人は、泣く演技をしつつも、大きなハンカチの下の顔は明らかに笑っています。支度といっても頭に頭巾を掛けるという象徴的なものなのですが、支度を整えたという想定で、花嫁は客席を一周します。続いて結婚式に移りますが、新郎役は乗客の中から選ばれた若者で、たまに耳打ちされながらお役を務めます。

   若者の登場はごく短時間で、真っすぐ客席へと戻って行きました。その後の花嫁役の女の子は、緊張がほぐれたらしく、表情もリラックスして、ぎくしゃくしていた踊りが丸みを帯びた動作に変わりました。もしかしたらこれが初舞台だったのかもしれません。この踊りは、次々と中国人の乗客たちが舞台に詰めかけては写真を撮っていたので、私が割り込む隙はありませんでした。

   ちょっとトイレに行き戻って来ると、私たち一行の一人の男性が、後ろの席の中国娘たちに話しかけてしまい、収拾のつかないことになっていました。私に、彼女たちが学生かどうか聞いてくれというので、そんなことを聞いてどうするんだと思いながらも確認。全員24歳の社会人だと言うので、それを伝えた上で、「この人は、あなた方があまりにも可愛いので学生かと思ったと言っています。」と言うと皆で大喜び、一人が私に向かって親指を立てて突き出し、「あなたの中国語すごい!」とほめてくれました。実はあまりにもよどみなくスラスラとこんなことが言えたので、私自身もちょっぴり驚いていたのでした。それにしてもキャピキャピと朗らかで、可愛い子たちでした。

   少したつと、一時席をはずしていた歯科医の奥さんが戻って来ました。とても社交的で嫌味の無い、話しやすい人です。聞けば、自宅は5階建てで、セルビア・ウクライナ等、7カ国からの留学生の娘たちを寄宿させているのだそうで、人見知りしない?のも当然と言えば当然なのかも知れません。