★ 昭和42年から仙台に4年、そのあと大阪など近畿・北陸・中部を4年間担当していた。
その間は自由に出張が出来る環境にあったのだが、
東北の夏の三大祭りと言われる『秋田の竿灯』も
『青森のねぶた』も見ないままに終わってしまった。
思い返してみても残念なことなのだが、
当時は全然そんな気が起らぬほど社業に熱心だったのか、
『いつでも見れる』と言うことでそうなったのか、
いずれにしてもいま思い起こすと残念なことをした。
『大阪淀川の花火大会』も高槻に3年もいたのに見ていない。
唯一、何回か観たのは『仙台の七夕』ぐらいである。
その時代から50年も経っているのだが、
その祭りの内容はテレビなどで見る限り、
当時よりは数段大規模になっているような気がする。
秋田など今年は大水害だったのに『竿灯まつり』は盛大に行われたようである。
特にあの竿灯を支える技術など一朝一夕では身に付かない。
こんなのを『伝統』と言うのだろう。