★75年前の12月8日、私は小学生だったのだがその日のことを鮮明に覚えている。『大日本帝国は米英に対し宣戦布告し、戦闘状態に入った』というニュースが流れ、真珠湾攻撃の大成果が報道された。
マレー作戦では、日本軍は驚異的な速度でマレー半島を進軍し、イギリス軍を急追して開戦以来70日でイギリス軍は降伏し、シンガポールを陥落させた。
そのお祝いに小学生全員にゴムまりが配られたりしシンガポールは昭南島と名付けられた。そのあとも、南方戦線では進軍が少なくとも半年ぐらいは続いたのである。
山本五十六・連合艦隊司令長官が「是非やれといはれれば初め半歳か一年の間は随分暴れて御覧に入れる。然しながら二年三年となれば全く確信は持てぬ」と語った通りになったのである。
★小学校3年生時代の12月8日は、私にとってそんな想い出のある昔の言葉で言えば『大詔奉戴日』だったのだが、4年後の昭和20年8月15日に終戦を迎え、その年の12月8日に、朝鮮京城(今のソウル)から日本に引き揚げてきたのである。
その時は中学1年生だったのだが、その12月8日から、『私の人生は一変した』と言っていい。
それまでの何一つ不自由なこともない生活から、戦後の日本での予想もできないような生活が待っていたのである。
それが『不幸であった』とは決して思っていない。『新しいスタイルの生活』がスタートしたのである。家計を支えた父母たちは多分間違いなく大変だったのだと思うが、中学時代の私はむしろ『それが新鮮』に映ったのである。
そういう意味で『12月8日』が来るたびに、日米開戦の日と同時に、引き揚げてきて日本の地を踏んだ『新しい生活』が始まった『12月8日』といつも秘かにそう思うのである。
戦争は大変なことである。それ以上に『敗戦』ということは大変なことなのである。
父母にとってみれば、今までのものが全くのゼロになり、一切何の補償などもないのである、災害なども大変だと思うが、いろんな補償があるだけマシかなと思ったりする。
そんなことを経験したので、それ以降少々のことがあっても『大変だ』などとは思わなくなってしまったし、世の中に『大変なことなどナイ』と思ってしまうのである。
★戦争はダメだなと思う。
そんな戦争を戦った日米が今は同盟国である。